NYのソムリエ、ポール・グレコ氏インタビュー ワイン界の反逆児はリースリングで世界を変える夢を見る。

(2014.05.13)

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リースリング種だけで作られたワインを味わうイベント『リースリング・リング・テイスティング』。NYから来日したゲスト・スピーカー、ソムリエのポール・グレコ氏とは?

2014年4月25日。日本のワイン業界の片隅に、小さな、しかし確かな一撃が加えられた日といっていいだろう。リースリング種だけで作られたワインを味わうイベント『リースリング・リング・テイスティング』。ゲスト・スピーカーとして招かれたポール・グレコ氏は、ニューヨーク・マンハッタンにレストランとワインバーを計5軒経営するオーナー・ソムリエだ。2009年、彼は、1軒の自身の店のグラスワイン約30種をすべてリースリングにする『サマー・オブ・リースリング』という、一種、狂気の沙汰とも思えるイベントを仕掛ける。そして現在では、マンハッタンを中心に全米で約500軒の店が参加する一大ムーヴメントに育て上げた。顎髭をのばしたベテラン俳優のような風貌、カジュアルでパワフルな言葉づかい、時に言葉よりも多くを語る仕草——その型破りなソムリエは、いったいどんな人物なのか。

トロントからニューヨークへ、反逆精神で手にしたリースリングという品種。

そもそもポールがリースリングにハマったのは、いつ頃だったのか?

「この瞬間だ! っていうのはなかったんだ。あ、これだ! これが好きだったんだ、というような存在でもなかった。ただ、多種多様なワインを飲んできて、ふと気づいた。リースリングってのは世間ではあまり深く探究したり、真剣に向き合って飲む人はそう多くない。王道ではなくとてもエッジのきいた品種じゃないだろうかとね。もともと、自分は王道を行くような人間じゃないし、はっきりいって反逆的。みんなと反対の道を行くことが好きだったから、気がついたときにはリースリングに注目していた」。

ポールは、カナダ・トロントでの幼少時代、親の言いつけに対して素直に「はい」と言ったことはなく、常に「なんで?」と切り返す子供だった。確執があったわけではないけれど、結局は父親のレストランを継がずにニューヨークに向かった。

「親父は保守的。もちろん伝統的な味やスタイルを守ろうとすることは素晴らしいことなんだが、僕はむしろ祖父と気が合っていた。祖父の革新的なところが好きだった」。

ポールにとって、ニューヨークで注目されていなかったリースリングのワインは、反逆のアティチュードを貫くために、格好のエナジードリンクだった。’08年、反逆の狼煙が上がる。

「’08年、『テロワール』というワインバーをスタートさせた。そこからリースリングを知ってもらうことは僕の使命になったんだ。シャルドネやピノ・グリのようなメインストリームで、みんなが知っているものにしたい。その思いで『サマー・オブ・リースリング』をはじめたんだよ」

彼が共同オーナーを務める『テロワール』。その1軒から始まった試みは5年後、全米で約500店舗が参加する一大ムーヴメントとなった。相当周到な準備と流行への確信をもってはじめたのだろうか? と問うと、悪戯っぽくこう答える。「なんか…やっちゃったんだよね」。

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始まりは反逆児の痛快な「勢い」。行動に移さなければ気が済まない。それは錯覚だろうと、思い込みだろうと、リースリングと共に歩むことを使命としてしまったポールの衝動。「でも、最初の年は全然ダメだった(笑)」。

周囲の反応は芳しいものではなかった。いや、むしろ冷淡と嘲笑か。

「『サマー・オブ・リースリング』の期間中、店で飲める30種類のグラスの白ワイン、すべてがリースリング。そう、リースリングのみ! リースリングだけ! ゲストがシャルドネを飲みたいという。僕たちの答えは、ノー。ソーヴィニヨン・ブランは? もちろん答えはノー。じゃあ、なにが飲めるの? ピノ・グリならあるの? 僕たちの答えは、こう。お客様、あるのはリースリングだけです! ゲストは言ったよね、バカなこと言うなよ! って。最後に僕たちはこう答えるんだ。ええ、お客様、残念ながら私たちもバカだってことはわかってるんですよ、って(笑)」。

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東京滞在2日目は早朝の築地からスタート。見慣れぬ魚、食材に興味津々。鰹節の香りには「香水にしてもいいぐらい」とお気に入りの様子。さすがに香りには鋭敏。

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築地での注目は食だけではなく包丁にも。多種多様な包丁の用途を熱心に聞きだす。ちなみにこちらの女将さん、英語が堪能。築地が国際的な場所であることを、ポールを通して知る、という一場面。

気に入らないなら来てくれなくていいんだ、
なぜなら、ここは自分の箱庭だから。

バカげたことができる恵まれた環境であることは、ポール自身、良く理解している。

「とても幸運なポジションだよ。普通のソムリエは、必ず誰かの期待や要望に応えなければいけない。店のオーナーであったり、投資家であったり、シェフであったり。大変だと思う。でも、ここではオーナーは僕なんだ。席を立つゲストもいたし、スタッフも、おいおい冗談じゃねえよ、こんな店で大丈夫か?って思ってただろうし。でも、オーナーは僕」。

例えて言うなら子どものころ遊んだ「砂場」、だとポールは言う。24席の『テロワール』というポールの砂場。そこには自分のおもちゃがあって、自分だけのルールがある。外から見てその砂場が楽しそうに見えなければ、よそで遊んでくれ。

「スタッフも、もう二度とこんなことをしないでくれ!って言ったね(苦笑)。確かに今でも、僕の店で『サマー・オブ・リースリング』がビジネスという観点で成功しているかどうか? と問われれば、難しいと答える。でも、使命なんだよ、リースリングは」。

それは、ポールがソムリエであり、ワインバーのオーナーであり、一人のワイン好きとして、自らがすべきだと信じることとつながっていく。

「ワインの世界はとにかく広い。そのすべてを知ることは不可能だ。多くの人々は、ワインと聞いただけで頭を抱えてしまう。難しいことには関わりたくないと思っているだろう。だから気に入った品種や国が見つかれば、そこで安心してとどまってしまう。シャルドネならシャルドネだけでいい、という具合に。そりゃそうだよ。誰も女の子と一緒の時にワインごときで恥はかきたくないよね。でも、僕はもっと大きなワインの世界を彼らに見せることがきると思う。そのために旅をして経験を重ねているわけだから」。

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偶然にもポールの来日は、オバマ大統領訪日と同じタイミングだった。

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伊勢丹 新宿店の地下セラーを熱心にチェック。「これはニューヨークでもなかなかない、興味深いリストだ」。
ワインリストを閉じさせて、
そこからソムリエの「会話」という仕事が始まる。

もっと大きなワインの世界を知ってもらうために、ポールが理想と掲げているひとつの試みは、「会話を引き出すワインリスト」だ。

「2003年にマンハッタンに『ハース』というレストランを開き、その後2008年に『テロワール』を立ち上げた。その時に、世界中のどこにもないようなワインリストを作りたいと思ったんだ。前提として、僕の理想は、リスト自体を置かないこと。モデルは鮨屋だ。メニューはないが、おまかせをゲストとの会話の中で出していく。そういうスタンスのレストランやバー。あくまでも究極の夢だけどね」。

ワインリストの存在のなにが問題なのか?

「リストは大切な会話を閉ざす。広げて薀蓄を語るか思考停止になるか。だから僕は、思わず、なんだよこれ! って閉じたくなるようなリストを作ったんだ。あえてね。閉じてもらえれば、そこからソムリエとの会話が始まる」。

『ハース』、『テロワール』のワインリストはそれぞれのWEBサイトに公開されている。それを見れば一目瞭然だ。ある種のワインフリークにはたまらないリスト。まるで短編小説のようにスリリングでちょっとサスペンス、ノンストップのアクションで、でもどこか観念的かつ私小説的。この乱暴でシュールなリストを開くと、ワインマニアなら、デートの相手さえ放って食い入るように読みふけってしまうだろう。

だが、一般的なお客にとってはこれはある種のヴァイオレンス。閉じたくなるというより、テーブルに投げ出したくなる。ポールはこのリストに食い入るマニアには興味はない。放り出すべきはデートの相手ではなくこのリストだ。それがポールが歓迎すべき、愛するべきワインラヴァーなのだ。ただ、そこからの仕事は、決して簡単なものではない。

「ものすごく根性がいるんだよ。完全な形で準備しておかないと。それも鮨屋と一緒だよね。会話は心地よく素晴らしいペースで運ばなければいけない。そのためには言葉だけではダメだ。フィジカル、メンタルのどちらも揺さぶりあって、時には心理学も必要になってくる。

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ちなみに僕がスタッフを雇う時も、こうしたホスピタリティある会話ができる人間かどうかで判断する。ワインに関する技術や知識は二の次だ。業界経験もいらない。いい聞き手であることこそが大切だ。アメリカ人はみんなしゃべりたいことを持っている。誰もがトーク、トーク、トーク! たいして重要なことを言っているわけじゃないんだけどね(笑)。それを集中して、聞いて、会話をする。その人のことを早い段階で知って、幸せなワインを提供すること。それが僕たちのホスピタリティというわけだ」。

ポールは『リースリング・リング・テイスティング』でのセミナーでこう名乗った。「ニューヨークでホスピタリティ産業に従事している者です」。そしてこう言った。

「”サービス”は要望に対して何かをして差し上げるという一方通行。”ホスピタリティ”は会話から生まれる双方向。僕がやってるのはそれなんだよ! えーと、ごめん、リースリングの話だったよね。話がずいぶん脱線した(笑)」。

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午前中は新宿散策。初夏の陽射しの中、「何か飲みますか?」と聞けば、「カフェインとリースリングだね!」と笑顔のポール。自らコーヒー中毒というだけあって時間が空けばすぐコーヒー。ワイン同様、東京のコーヒーも堪能したようだ。
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散策は竹下通り、そしてウラハラへ。「ゴスロリ、見てみたいんだよねえ」というポールの意外な要望。サッカー好きの2人の子供へのお土産に日本代表ユニフォームを、ウラハラでは自分のシャツとパンツを購入。
他の品種を貶めるのではなく、
リースリングも貴重な品種なんだということを伝えたい。

話を戻そう。ポールはリースリングという品種をどう考えているのか?

「もし、あなたが『サマー・オブ・リースリング』に参加する店の人だとしよう。僕はああしろ、こうしろなんて言わない。唯一これだけ。例えば4つのグラスワインを提供するなら、2つをドイツワインにすること。なぜなら世界のリースリングのうち、60%はドイツにある。ドイツはリースリングのホームカントリーであり、そこにはあらゆるスタイルがあるからね」

ドライ、オフドライ、甘口というテイストだけではない。通常、リースリングといえば「この国の個性はだいたいこういう感じ」というものがあるが、ドイツには想像を超えた多彩さがあるという。ほかにその可能性を持った国はあるか? と聞くと、ポールは「ニューヨークは次のドイツになるかもしれない」と答えた。それは、多くの移民がそれぞれの文化を持ち込むからなのだろうか、という質問に対して、ポールのリースリング論は止まらなくなる。

「違う。テロワールなんだ。リースリングは畑で生まれるものであって、醸造所でできるものではない。リースリングの生産者に尋ねるといい。彼らは決して『ワインを造っている』とは言わない。『ブドウの栽培をしている』と言うだろう。リースリングは実に透明なワインだ。生まれてきた土壌や、どこの太陽で育ったかがすぐに理解できる。それはまさにブルゴーニュのピノ・ノワールだ。ブルゴーニュの赤を味わえばテロワールがわかる。一方で、シャルドネを飲めば、どこの誰が、どこのワイナリーで作ったものかがわかる。

アメリカやヨーロッパでは、最近、食べ物の産地にこだわるようになった。日本もそうじゃないかな。どこの海で釣れた魚か、どこで収穫された米か、牛肉か、豚肉か、よく気にしているよね? だったらワインも気にしようじゃないか。そこでリースリングだ。だって、テロワールがそこにあるんだから」。

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リースリング至上主義者とも見えるポール。だが、彼の店にはリースリング以外のワインも豊富だ。それらのワインは重要とは考えていなかったのでは?

「いやいや、例えばシャルドネを貶めようとしているわけじゃないんだよ。だってそうだろう?世界で一番素晴らしい白ワインはブルゴーニュ、つまりシャルドネと言っていいと思う。シャルドネから生まれるシャンパーニュだって素晴らしい。確かにシャルドネをバカにするのは簡単だ。ひどいシャルドネはたくさんあるからね。でも品種が問題じゃない。誰が造ったのか? ダメなワインっていういのは造った人がダメだってこと。

『サマー・オブ・リースリング』は『シャルドネってイケてねえよな!』っていうムーヴメントではないんだよ。むしろ逆。リースリングもシャルドネと同じように重要な品種なんだよ、ということを伝えたいんだ」

リースリングを愛する者として、もちろん厳しい視点もある。

「リースリングを産みだすためには、ものすごく集中して畑造りに臨まなければダメだ。そこで失敗したらすべて台無し。そこで終わる。その栽培者の集中力。これをゲストにまで届けるのが、インポーターや我々ホスピタリティ産業の人間の役割だ。この栽培者の集中力とゲストが結びついたときに、リースリングの世界は確固たるものになっていくだろう」。

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表参道ヒルズで日本酒をテイスティング。ここでも鋭い視線。貪欲に、しかし、軽快に日本文化と東京のスタイルを味わっていく。
セックス・ピストルズが音楽の世界を変えたように、
リースリングで世界を変える。

今後の『サマー・オブ・リースリング』はどうなっていくのだろうか?

「毎年、違う内容でやっていきたい。ただ正直なところ、今、ワインの世界で僕をインスパイアしてくれるものは見当たらないんだ。いつもほかの世界から影響を受ける。音楽、映画、テクノロジー。例えばアップルのスティーブ・ジョブズだ。カスタマーのためにことを起こしたんじゃなくて、自分が世に送り出したいものを作った。そこに需要とムーヴメントが生まれた。そういう姿勢に共感を覚えるんだ」

『サマー・オブ・リースリング』はリースリングというワインの魅力を広めるムーヴメントである。これは一面で正解だ。だが、ポールはワインの世界の住人ではあるが、ワインの世界の中だけの常識ですべて解決するわけではないことを承知している。

「’77年、セックス・ピストルズ。音楽の常識をひっくり返した、たった1枚のアルバム”Never Mind the Bollocks”(邦題『勝手にしやがれ!!』)。40年近くたった今でも燦然と輝いている。しかし、だ。彼らは世界一うまかったり、偉大だったバンドだろうか? とんでもない! むしろ音楽的には最悪のバンドだよ(笑)。でも、彼らは変えたんだよ。音楽ってものの見方を。

『サマー・オブ・リースリング』も同じさ。リースリングをもっと飲んでくれ、ということだけではなくて、ワインの世界ってのは頭を抱えたり、恥をかきたくないなんて気持ちにさせるお高くとまった狭い世界のものじゃなくて、とても魅力的だということを知ってもらいたいんだ。

ニューヨークのカベルネ・フラン? ウルグアイのタナ? 見たことないからいらない、じゃなくて、お、飲んでみようかなってチャレンジしてもらいたいんだ。そのきっかけにしたいんだ。知識でワインを飲んでほしくないんだ。人々は、つねに経験や新しい体験を求めているんだと思う。だから『サマー・オブ・リースリング』はこれからも新しいことをやっていく。ワインの世界で誰もやっていないようなことを、ね」。

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たとえばポールは、とある年、西海岸の野外音楽フェスで、定番のホットドッグ+コーラやビールではなく、リースリングだけが飲めるブースを出すという仕掛けをした。日本人からするとエレガントで高貴、一方で可憐でかわいらしい果実感、というイメージもあるリースリングが、とたんに、反逆のアイテムでありシンボルに変わる。

ワインの世界の中の人にも、外の人にも、パンクスにとってのラバーソウルや、グランジロックのネルシャツと同じようなアイテムとして、また、UKロックの黎明期、THE WHOのピート・タウンゼントが『マイ・ジェネレーション』でステージに叩きつけぶち壊したギターから発せられたノイズのごとき次代のアンセムとして。

リースリングに新しい光が照らされ、リースリングは新しい世界を照らす。そして、その時、リースリングそのものの本質は実は何も変わっていない。エレガンス、可憐、凛とした背筋、生産者の集中力とテロワールの魅力とともに静かに微笑む。

ポールは確かに反逆児であり、革命家ともいえるだろう。しかし、その本質は、ホスピタリティだ。デートの時に恥をかかせない。知らない喜びを提供する。もっと多くの人にワインを知ってもらいたい、楽しんでもらいたい。『サマー・オブ・リースリング』は、反逆というスタイルをとりながら、ワインと人々を微笑みでつなぐ、静かで革命的なムーヴメントなのだ。

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「リースリング・リング」会場でのセミナー。座って聞くだけなんて! ということなのか、オープニングでは参加者と「リースリングへの宣誓」の楽しいセレモニー。参加者の笑顔が物語る、心地よい熱気。
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ポール・グレコ氏。NYのレストラン『グラマシー・タバーン』で長年ソムリエを務めた後に、自身で開店したレストランとワインバーを有名店に。ニューヨークのワイン業界内でも強い影響力のある人物として広く知られる。

Text / Daiji Iwase
Edit & Photographs / Miki Ikeda
Attendance / Yoshiki Goto (GO-TO WINE)
Interpreter / Yuka Goto(GO-TO WINE)