音楽とワインのおいしいイヴェント、
『フィルハーモニック・テイスト』。

(2012.12.28)

『オテル・ド・ミクニ』で『フィルハーモニック・テイスト』。

ワイン自慢の国は数々あれど、弦楽四重奏を間近で聴きながら、ワインと美食を楽しむなんて魅惑的な企画が成立するのは、オーストリアをおいてほかにないのでは?

去る10月30日、『オテル・ド・ミクニ』で行われたイヴェント、『フィルハーモニック・テイスト』の仕掛け人は、ウィーンフィルハーモニック管弦楽団のヴァイオリニストで大のワイン通のアンドレアス・グロスバウアーさん。「音楽とワイン。オーストリアが誇るふたつの文化が溶け合えば、その魅力は無限に広がる」と、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの奏者を率いて来日しました。

ワインを選んだのは、逗子のワインショップ『a day』オーナーの松尾明美さん。2009年のオーストリア・日本交流年以来、オーストリア・ワインに触れる機会が増え、なかでもウィーンの北西・カンプタール地域のロイマー醸造所のワインは、「逗子のおいしい魚との相性バツグン」とお気に入り、今回の7種のワインは、すべてこの醸造所からのセレクトです。

料理は、『オテル・ド・ミクニ』・オーナーシェフの三國清三さんが担当。ここだけなにゆえフレンチ? いえいえ、実は三國シェフもオーストリアとは縁が深いのです。

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2010年、フランス料理がユネスコの無形文化財に指定されたことを記念し、サルコジ大統領がヴェルサイユ宮殿に650人のゲストを招いた晩餐会で、世界のトップシェフ60人が腕を振るいました。その際に、オードブルを担当したのは、日本代表の三國さん。ヴェルサイユの歴史のなかで最も華やかな人物といえばルイ16世の王妃、マリー・アントワネットですよね? ご存知ハプスブルク帝国最も華やかなりし頃の女帝、マリア・テレジアの末娘です。

松尾さんが定期的にワイン会を開くレストラン、葉山の音羽の森のシェフ、大和久康之シェフが『オテル・ド・ミクニ』出身ということで、松尾さんと三國さんをつなぎ、この会が実現しました。

ちなみにグラスは、オーストリアのZalt社と、オーストリアでは“ワインプリースト”として有名な神父でワイン研究家のハンス・デンクさんが共同で開発した手吹きの“神のグラス・デンク・アート”。ステムとボウル底辺の角度、あるいはボウルの底辺と側面の角度が、24°、48°、72°のいずれかに設計されたもので、これは地球が自転する際に傾く角度なのだそう。古代ローマ人が、食品貯蔵容器に用いていた“伝説の角度”だそうです。

「演奏家にとって、ホールの音場は何より大切。ワインにとってはグラスがホールにあたる。適したグラスで飲むとワインは最高の味を表現する」とアンドレアスさん。さて、弦楽四重奏の演奏とともに、ワインと料理を楽しむゴージャスな会が始まりました。


弦楽四重奏の演奏とともに、ワインと料理を楽しむゴージャスな会。
アペリティフのグリューナー・ヴェルトリーナーは、愉快なガリヴァー組曲とともに。

アペリティフのロイス・ズシ2011は、2009年の日本とオーストリア修好140周年記念に作られたボトルで、ラベルの絵は、逗子在住の画家・佐藤泰生さんによるもの。

ロイマー醸造所の当主のフレッド・ロイマーさんは2002年、38歳のとき、オーストリアで最も権威のあるワイン専門誌Falstaffが選ぶ最優秀ヴィンツァー(生産者)に選ばれて以来、常に注目の的の生産者。オーストリア固有の品種であるグリューナー・ヴェルトリーナーをはじめ、リースリング、ピノ・ノワールなどの品種を中心に、ビオディナミ(自然な農法の一種。20世紀半ば、オーストリア出身の人智学者ルドルフ・シュタイナーが行った農学講座の内容を葡萄栽培の応用したもので、月の満ち欠けなど宇宙のリズムに沿って栽培をする)で栽培、力強さとエレガンスを併せ持つワイン造りで知られています。

「フレッドが畑を所有するカンプタール地域はドナウ川沿いの急斜面に広がる産地で、葡萄の生育期には、ハンガリーに向かって開けたパンノニア平原の影響で昼は温かく、夜になるとぐっと気温が下がるため、葡萄は糖度と酸度をキープするのが特徴」とアンドレアスさん。

グリューナー・ヴェルトリーナーの特徴といわれる白胡椒のフレイヴァーをもつ微発泡の若々しいワインは、楽しい雰囲気で飲んでほしいと、曲はゲオルク・フィリップ・テレマンの、ガリヴァー組曲。小人の国、巨人の国など、ガリヴァーの冒険物語に沿った4楽章を、ふたりのヴァイオリニストがリズミカルに奏でます。

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続いてシュピーゲル畑のグリューナー・ヴェルトリーナー2007は、豊かなマンゴの香りにスモーキーなトーンが混じり、フルボディな印象。音楽は、ハプスブルク帝国の名門貴族、エスターハージー公爵家のお抱え作曲家だったハイドンの弦楽四重奏曲 第42番 ニ長調 op.33の6 第1楽章 Vivace assai。エスターハージー宮殿は当時から優れたワインを造っており、ワイン好きのハイドンはしばしば報酬をワインでもらっていたそう。
「楽長として団員の音楽家たちに慕われ、また勤勉に多くの曲を書いたハイドンの性格を表すような曲」とアンドレアスさん。最初の前菜、マリー・アントワネットが好きだったというピンク色が美しいタスマニア・サーモンのムースを包んだマリネもワインと好相性。


タスマニア・サーモンのムースを包んだマリネもワインと好相性。

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次のグリューナー・ヴェルトリーナーは、ケファーベルク畑2010。熟したりんごにハーブの香りが混じり、きれいな酸味と蜂蜜のような後味。合わせる曲は、オーストリアが誇る天才モーツァルトの弦楽四重奏曲 第21番 ニ長調  K.575第4楽章 Allegretto。チェロを嗜むプロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世からの「難しくないチェロの曲を」と依頼で作ったものの、むしろ高度な技術が要求される曲になってしまったそう。料理は、これぞ2010年の晩餐会で三國シェフが作ったオードブルの“カナダ産オマール海老のうま味ジュレ寄せ、三種のピーマン風味”。ドレスアップしたお客さんたちからは、「いま世界中で私たちが一番幸せ!」というため息が。


オードブルの“カナダ産オマール海老のうま味ジュレ寄せ、三種のピーマン風味”
リースリングは菩提樹の香り。シューベルトの生地、グリンツィングの風景が目に浮かぶ。

続いてゼーベルク畑のリースリング2009には、シューベルトの弦楽四重奏曲 第12番 ハ短調 D.703
「このワインは菩提樹の香りがしませんか。シューベルトはウィーン19区のグリンツィング、ホイリゲで知られる町で生まれました。その頃グリングィングは田舎で、緑が多く菩提樹の樹も多かった。私はオペラ座に通うときにここを車で通るのですが、花が咲くと、まさにこのワインと同じ素晴らしい香りがします。シューベルトもワインが好きで、若く貧しいときには、ホイリゲでその場で曲を書き、対価としてワインを飲ませてもらっていました」料理は、インカのめざめで作ったスープ、パルマンティエール ロイヤル風あさり風味。なんと、このインカのめざめ(じゃがいも)はヴェルサイユ宮殿の“王の菜園”で栽培されたものだそう。


インカのめざめで作ったスープ、パルマンティエール ロイヤル風あさり風味。
やさしい風味のピノ・ノワールは、ベートーヴェンのハープ曲と。

最初の赤ワインはデカント畑のピノ・ノワール2007。
「ラズベリーやチェリーの深い香りに深みのあるタンニン、後味は軽やかなレモンのよう。このワインにはベートーヴェンが似合います」と、アンドレアスさんが選んだ曲は、弦楽四重奏曲 第11番 ヘ短調 「セリオーゾ」op.95第2楽章 Allegro con brio。ベートーヴェンも、祖父の友達がワイン業者だったことから、大のワイン好きだったそう(アンドレアスさん、ほんとによくご存知)

料理は、青森下北沖の平目の軽い薫製キャビアソース。前述のヴェルサイユ宮殿での晩餐会で、ブルゴーニュの3つ星レストラン、ラ・コート・サンジャックのシェフ、ジャン・ミッシェル・ローランが作った料理を再現したもの。魚介のうま味がしみ込んだソースが絶品です。

続いて、テラスの畑の葡萄を集めて造ったテラッセン・ピノ・ノワール2007は、凝縮感のある奥深い味に、ほのかなオレンジピールの香りがエレガント。これにもやはりベートーヴェン。弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調 「ハープ」op.74 第4楽章 Allegretto con variazioniです。料理は、フランス産鴨のロティ。こちらも晩餐会のメニューで、アルザスの3つ星レストラン、オーベルジュ・ド・リルのシェフ、マルク・エーベルランのスタイルで、ブロッコリーのフランに、マリー・アントワネットが好んだピンクのスプーマ(ビーツ)が。


青森下北沖の平目の軽い薫製キャビアソース。
フレッドさんと出会った10年前を振り返り、
そのワインの変化に思いをはせる。

最後に、ルーレンダー(ピノ・グリ)の貴腐ワイン、ベーレンアウスレーゼ2007。「パイナップルのような香りが空気にふれると開いて、麦わらのような香り。甘酸っぱくて豊かな味わいです。これにはチャイコフスキーと、弦楽四重奏曲 第1番 op.11 第2楽章 Andante cantabile。ヴァイオリンにミュートを付けてつややかな音色を演出しました。

穏やかな曲を聴きながら、フレッド・ロイマーさんと初めて会ったときのことを思い出しました。まさにFalstaffのベスト・ヴィンツァーに選ばれた年で、ワインもご本人も自信たっぷりでした。2005年ごろからオーストリアに自然派、ビオディナミのブームが訪れました。フランスに本部のあるデメーターに加盟する生産者が多かったなか、フレッドさんはスイス在住のアンドリュー・ローラントという指導者のもと、独自のビオディナミ団体、リスペクトを立ち上げました。しかしそれからの数年、不幸なことに葡萄畑に病害が蔓延し、ビオディナミに転換中の畑はひどい被害を受けたことが災いし、ワインはひどく凡庸になったと感じました。それから私はロイマーさんのワインから遠ざかりました。強いワインよりも、やさしいワインを求めるようになったのです

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フレッドさんについて、ワインジャーナリストで、スローフード協会チロル支部副会長のユルゲン・シュムッキングさんと話したことがあります。2010年のことです。

「ビオディナミを取り入れたことによって、ロイマー醸造所のワインはどう変わったか」という私の問いに、彼は「ワインだけみれば、何も変わっていないと思う」と答えました。

「しかし変わったのは彼の態度だ。スターとおだてあげられていた若手生産者が、自己と向き合い自然を尊敬するようになった。今の彼は、農薬が普及する前の農夫そのものだ」

それから2年後、フレッドさんのワインは変わっていました。7種のワインに、私が警戒していたコワいフレッドさんの姿はありませんでした。なかでもピノ・ノワール・デヒャントはかぎりなくやさしくチャーミングで、まるで別の人が造ったようです。もう一度、きちんとフレッドさんのワインを飲んでみようという気持ちがわきました。実はその晩は満月。ビオディナミで育てた葡萄で造るワインが最もおいしいと言われる瞬間です。もちろん、『フィルハーモニック・テイスト』の温かみのある音楽がおいしさをふくらませてくれたのは言うまでもありません。

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