熊田有希子のブルゴーニュ便り – 2 - ラタフィアってご存知ですか?

(2010.05.13)

ワイン産地に住む一般のフランス人のお宅に招かれると、ラベルの貼っていない、コルクも手で押し込んだようなボトルが出てくることがあります。しかもご主人の恥ずかしそうな、だけど満面の笑顔つきで。飲んでみると確かにワインなのかもしれないけど、甘い。トロトロと甘い。これがラタフィアです。収穫直後のぶどう果汁にアルコールを添加して発酵を阻止させた酒精強化ワインで、トロトロの甘さは添加した糖分ではなく、ぶどう果汁本来の甘さです。同じような酒精強化ワインは、ポルトガルに行けばポート酒になります。フランスのコニャック地方ではピノー・デ・シャラント、ジュラ地方ではマックヴァンと呼ばれていて、ラタフィアと言うとブルゴーニュとシャンパーニュが一般的です。

セロスのボトル。シンプルなデザインです。

ラタフィアはあまり店頭で見かけることがありません。スーパーには置いてありますが、ワイン産地に住んでいると、冒頭に書きました通り一般家庭でひょっこりと出てくることが多いワインです。ワイン産地にはネコの額のようなぶどう畑を所有している市民が少なくなく、地主としてヴィニュロンに貸したり、もしくは家庭菜園のように週末だけ面倒を見ていたりします。ラタフィアはこうした畑のぶどうからちょびっと造る自家製の果実酒、日本文化に例を探せばさしずめ梅酒といったところでしょうか。

実はラタフィアを造っている生産者は割といます。ただ、造るのは自家用にほんのわずか。訪問時にたまたまラタフィアの瓶詰め作業に出くわすと、慌てて「商品じゃないから写真は撮らないでね」と言われたりします。一方で、少数ながらラタフィアを商品化している生産者もいます。ドメーヌ・シャンパーニュの代表的な造り手ジャック・セロスもそのひとつ。

セロスのラタフィアは名称に彼のワインに対する哲学が見え隠れしています。その名も”Il était une fois…” 日本語に訳すならば「昔々あるところに……」、フランス語の物語の冒頭に使われる決まり文句です。ジャック・セロスの当主、アンセルム氏はワインに関する技術的な細かすぎる説明を好みません。「レストランに行って目の前に美味しそうな料理が出てくる。ユキコはナイフとフォークを手にする前に、これは塩が何グラム、コショウが何グラム、隠し味のハーブはどれ……そんなことは考えないでしょ? まず口にして料理の世界に飛び込む。ワインだって同じだと思うんですよ。どの樽で熟成を何ヶ月とか別にいいじゃない? まず口にしてワインを味わって欲しい。」

まず口にして理屈抜きで味わうこと―それは目で確認できる3次元からポエムや物語など2次元の世界に飛び込むことに似ているとアンセルム氏は考えています。「昔々あるところに……」というのは、わたしたちが本のページをめくるのと同じように、ワイン1本で3次元から2次元の世界へと引き込むキーワードなのです。

「昔々あるところに……」物語を読むように2次元の世界に吸い込まれる様子が描かれています。

手は農民らしくゴツゴツとしていますが、アンセルム氏は読書家のかなりのインテリです。この日はテイスティングに行ったのではなくご自宅に挨拶にお邪魔したので、シャンパーニュとラタフィアを居間でまったりと頂いたのですが、アンセルム氏はソファから立ち上がったり、床に膝をついたり、お互い話に夢中になること3時間……。確かに話はワインから2次元の世界へどんどん飛躍していきました。

それでも技術的な話はやっぱり気になります。彼のラタフィアは、1リットルに157gも糖分が残っているのに甘いと感じさせなくて、黒糖を焦がしたような香りもさわやか、そして口当たりからアフターまで非常に洗練されているのです。アルコールで割っているはずなのに、全然気が付きません。一般のフランス人家庭でご馳走になる「お母さんの味」チックな素朴なラタフィアもとっても好きなのですが、それでも造り手が変わるとこんなに表情が変わるのかと目からウロコです。

セロスのラタフィアの特徴は、果汁を割るアルコールに、デゴルジュマンの時に出る澱とワインの蒸留酒を使っていることです。ワイン生産者が販売用にラタフィアを造るときはマール(ぶどう果をプレスしたあとの絞り粕を蒸留して熟成する、イタリアのグラッパ)を用いることが多いのですが、「余分な香りを付けずにぶどう果汁本来のアロマを残すために」ニュートラルなアルコールを選んでいるそうです。

熟成ではセロスのシャンパーニュ「シュブスタンス」と同様にソレラを採用しています。これはスペインのシェリーのようにワインを継ぎ足して熟成していくものです。ブレンドした時は55度だったアルコール度数が15度まで下がってきたら今度はステンレスタンクで熟成を続けます。毎年3樽分しか用意せず、2009年に仕込んだ果汁が市場に出るのは2022年!だとか。販売量も年間わずか350本。超超手に入りにくいレアアイテムですが、数年前に商品化されるまではドメーヌにうかがった時に熟成中のタンクの蛇口から味見させてもらうしかなかったわけですから、購入できるとなれば、それでもまぁ民主的になったといえるでしょう……。

セロスのコルク。シャンパーニュの造り手なので、コルクも普通のスティルワインと違ってキノコ型です!

さて運よくセロスのラタフィアを口にするチャンスに恵まれたら何と合わせるか? 通常、ラタフィアは食前酒として飲まれますが、アンセルム氏は食中酒と考えているようです。

「イギリスのスティルトン・チーズ、カボチャや栗のポタージュ、それから……」とアンセルム氏は台所からイベリコハムを出してきてくれました。確かにハムの塩気とラタフィアの甘み、脂身とアルコールがうまく噛み合って絶品の組み合わせでした!

 
そうそう、シャンパーニュの情報も忘れずに。この日は98年と02年が最初に出てきました。98年はシャープな97年よりもっと豊満、02年は天候がよかっただけに「酸味が足りないんじゃないかと収穫当時はヒヤヒヤした」(アンセルム氏)そうですが、確かによく熟れた果実味がありながらもちゃんと引き締まっています。98年は今年9月リリース予定、02年は未定だそうです。