酒サムライコーディネーターの独り言 - 2 - IWCにSake部門!

(2010.02.18)

25年以上の歴史を持ち世界35ケ国から9,000銘柄ものワインが集まる最大規模のワインコンペティション『インターナショナルワインチャレンジ(IWC)』。

それは私にとってはロンドンへの実際の距離よりも、もっともっと遠く感じた雲の上の大会でした。このワイン業界世界最高の檜舞台にワインと並んで日本酒の部門を創るというハロップ氏の提案は、ワインにハマった事から日本酒の魅力に開眼した私にとって、まさに身震いするほどの興奮でした。

もう10年以上も前、マスター・オブ・ワイン試験にアメリカ人で初めて合格したジョエル・バトラー氏が来日した際、「このあとIWCの審査に加わるためにロンドンに行くんだよ。」と目を輝かせながら話していたのを思い出します。この大会のワイン審査員を務めるというのはワインの世界では勲章のようなもの、世界のワイン業界で通用する一流の証明なのです。

ワイン部門の審査には、先のジョーのような専門家が300人以上で世界中から集まった9,000を超えるワインを2週間かけて審査にあたります。つい最近までワイン審査に日本からの審査員は一人もいなかったので、まさに欧米のワイン業界の世界だったのです。

またそれだからこそ、そこに日本酒の部門が出来る事は欧米のワインの市場に本当の意味で日本酒が認知されていくのに最も望ましい動きだと思われました。
でも、海外のワイン業界では超有名な大会であっても日本のワイン業界者さえ踏み込んでいない世界の事を、どうして日本酒の蔵元さん方が知っているでしょう?

日本酒部門を創っても出品酒が集まらなければ話になりません!(>_< )

前の年にハロップ氏がそのIWCの審査部門の最高責任者(Co-Chairman)の一人となったと聞いた時には、彼ってやっぱり凄い人だった……そんな人を日本酒の蔵に案内出来て良かった♪……日本酒の将来にきっと良かったのでは……くらいの感覚でした。

しかしこの彼からの提案はかなり具体的で、そしてまさに私達の行動如何で実現するかもしれない「夢」でした。

 

ロンドンでの日本酒のレクチャーが全ての始まり!

 
ロンドンのWSETで行った日本酒のレクチャーにハロップ氏が来てくれた事から繋がったこのご縁が、まさかこういう方向につぼみをつけようとは……このつぼみを花咲かせずにはあまりにももったいない、コンペティションは毎年開かれるのだから、毎年世界最高のワインの舞台からチャンピオン銘柄の日本酒が発信されます。
そして毎年新しい日本酒のスター銘柄を世界に向けて生み出していけるのです。

ワインの例に見れば、世界的なスターワインの誕生はそのワインを生み出した土地の知名度を世界的なものにし、その地域の名産品や観光にも影響を与えたりします。

知り合いになった蔵元の皆さんのお話を聞いていると、皆さんがそれぞれに地域に貢献されている事を感じます。 創業100年未満の方が少数派と思えるほど皆さん歴史のある家業なので自然とその地域の世話役的な立場になるのでしょう。蔵元の皆さんの予定などを伺うと地域の行事やお役の多いこと。

昨今の健康志向や飲酒運転に対する報道などでアルコール飲料のイメージが必ずしも良くない現状があります。また、国内消費は少子高齢化や他のアルコール飲料の台頭といった事もあり減少傾向……廃業する蔵も少なくない現状。 でもIWCを通じて日本酒の魅力を世界発信する事で、それまでとは規模の違う地域貢献まで繋げていけるかもしれません。

そういう意味でもこのハロップ氏の提案を実現させる事は、単なる日本酒の販売促進にとどまらない可能性を感じさせました。 そして日本酒の海外進出が地域活性まで繋がっていく事が出来たら、それは蔵元さん方が何代もの世代でその地域に尽くされてきた事の延長線上にあるのでは……と思われました。

この大きなチャンスを絶対に生かさなければ! 私自身の事ではないけれど、明るい光が差そうとしている予感に胸が大きく高鳴るのを抑える事が出来ませんでした。

 

日本酒応援団「酒サムライ」誕生!

 
ロンドンのレクチャーのために渡英した蔵元さん達に早速相談しましたら大変良いアイデアが出てきました。実は渡英した蔵元さん方は若手蔵元の全国組織「日本酒造青年協議会」の会長、副会長、代表幹事や県代表の幹事の皆さんで、日本酒業界全体の事を考える立場の方々だったのです。丁度その頃、国内外から日本酒を応援してくださる方々に「酒サムライ」という称号を差し上げて叙任式を行おう。という計画を進めているところでした。その叙任式は年に一度、京都でとり行うというもので、蔵元さん方は羽織袴の正装で参加、叙任式の後に記者会見、そして日本酒と日本文化を楽しむ宴会をするというものです。

その酒サムライをハロップ氏に受けてもらい全国の蔵元さん方に紹介する形で、この若手の蔵元の全国組織「日本酒造青年協議会(以降 日青協 ニッセイキョウ )」がIWCのSake部門をバックアップするというものでした。酒サムライに叙任されたハロップ氏に協力する形で出品酒を集めようというのです。 
ですが、このIWC Sake部門創設そして運営にあたりのちのち次から次に乗り越えなければならない課題が出てきます。全国の蔵元さんに出品を呼びかけよう(^.^)という範囲にはとどまらない事になってくるのですが、この時にはそんな事は想像もつかないことでした。

私はこの計画を進めるにあたって休みに当たれば新橋の酒造会館で行われる日青協の会議に出るようになりました。 日青協はその親会である日本酒造組合中央会のあるそのビルの会議室で会議をしていますが、古い歴史あるビルの会議室では歴代の中央会会長の写真が私達を見下ろしていて厳粛な感じ……古い歴史、伝統の空気があって何代もの世代が守ってきたこの業界の重みが漂っています。 入らさせていただいた会長室には、大平総理より現鳩山総理まで一人も欠けることない歴代総理の直筆の「國酒」の色紙が飾ってあります。(一般公開はしていないそうです。)」それを見た時にあらためて日本酒は日本の国古来のお酒なんだなぁと感じました。 

私の役目は主に他の各県代表の幹事の蔵元の皆さんにマスター・オブ・ワインやらIWCの説明、海外のワインビジネス事情等々の説明でした。各県代表が集まるこの幹事会では当然の事ながら全国から蔵元さん方が集まります。東京出身で、新卒で今の会社に入り、すぐに月のうち多くを海外という国際線乗務を始め、実は国内の地方の事をあまり知らない私には、この集まり自体が大変に新鮮でした。どの蔵元さんも歴史のあるおうちです。全国ほとんどの県に広がる日本酒の蔵(鹿児島県のみありません)、何百年もの家業という、それだけでも海外では大変な価値です。現在日本酒の総生産量はピーク時(昭和40年後半)の約3分の1という事で会議では消費の低迷や廃業した蔵の事が話題になったりしていましたが、暗い話題と反比例して私の中では日本酒、そして歴史ある日本酒業界への大きな憧れが広がっていきました。  

そしてこの日本酒の低迷は日本酒業界だけの問題ではなく、日本にとって「物凄くもったいない状態」という思いが募っていったのです。

そんなある日、日青協の会長、副会長が酒サムライのロゴのついた名刺を持ってらしたのを「ステキ、羨ましい。」とつぶやいたのを聞いて会長の佐浦さん(宮城県 浦霞社長)が「それでは名刺作ってあげましょうか?」と言ってくださいました。確かに日本酒業界の会議に出ていても私個人として参加しているので会社の名刺を出すわけにもいきません。佐浦さんが私の会社の名刺を見ながら「じゃあ酒サムライコーディネーターでどう?」とおっしゃって「酒サムライコーディネーター」が誕生しました。

こういう経緯で決まった役名ですが、その後私がお手伝いしている内容を考えるとこれ以上しっくりくるものは考えられないくらいぴったりなネーミングとなりました。
名刺を作っていただいたのを機に会社に社外活動として報告して就業規則の範囲内でこの酒サムライ活動をお手伝いする事になりました。

 
 

「酒サムライ」のロゴデザインについて

ロゴの丸い図案は日出る国のシンボル日の丸にも見えますが、日本刀(坂本龍馬愛刀)の鍔(つか)であり、侍のスピリッツを著しています。

鍔(つか)の中は、魔除けであり、悪夢を食べる想像上の動物「獏(ばく)」が描かれています。この「獏(ばく)」は、これまでの日本酒の低迷という悪い夢を食べ、今後はよい方向へ向かっていくことを象徴しています。
漠はまた「BACK(漠)TO THE 原点」という原点へ回帰の意味とその2本の牙は「サムライ」の刀にも通じている図案となっています。