土屋孝元のお洒落奇譚。脳内おいしいもの巡り 思い出の中華の名店、ふたつ。

(2015.03.18)
紹興酒は老酒の一種です。© Takayoshi Tsuchiya
紹興酒は老酒の一種です。© Takayoshi Tsuchiya
台湾の裏町か香港か何処なのか
築地の路地裏 華僑ビル『新蓬莱』。

これは、僕が通った中華の名店のお話です。その昔、築地の路地裏にあったお店の思い出です。はるか昔のことで記憶が定かではありません、もしかしたら自分の記憶の中で再構築された思い出なのかもしれません。奇譚なのでそこのところはあしからず。

その建物は、はるか昔からあったようでした、華僑ビル、 そうなのです、昔からあった6階建てくらいの頑丈そうなビルはそう呼ばれていました。外壁は不思議なタイルで覆われ、いかにも日本のものではないような佇まい、そのお店はこの地下一階にあり、一階から入るガラス張りの小屋の入り口には英語と漢字がいろいろ書かれており、独特の存在感があって大変印象深かった記憶があります。入り口階段には観音竹や棕櫚竹の鉢が置かれていました。

先輩に連れられて初めて来た時の僕の感想はこんなでした。

この華僑ビルは昭和の初期からあり、太平洋戦争を耐えたという建物なのでした。夜になると『新蓬莱』の文字のネオンが瞬き、台湾の裏町か香港か何処なのか、辺り一帯に国籍不明な様子を醸し出し、一元さんは入り難いというか、ほとんど入れないだろうという店構え。『台湾料理 新蓬莱』、確かそんな名前でした。

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いつも頼んで食べたのは、台湾風鳥そばと台湾風粽です。何が台湾風なのか? 中に入る、干しシイタケ、棗とゆで卵と豚角煮の味付けが台湾風なのかなとその時は思っていました。干し海老と八角の香りが少し強かったかなと記憶しています。何も言わずに出てくるガラスコップに入った熱々の台湾烏龍茶も美味しくて、鳥そば(メニューには鳩とあったと記憶しています)には台湾風の味噌だれを少々とテーブルにいつも山盛りだったパクチー(シャンツァイ)を盛り、泡盛か焼酎に漬けた赤唐辛子ソースを少々かけて、この刻んだ赤唐辛子や種もほんの少し入れて食べるのが通の食べ方でした。もちろん粽(ちまき)にも味噌だれをたっぷりつけて。他には台湾風ビーフン、ピータンの盛り合わせ、揚巻、などなど美味しいものがたくさんありました。

『新蓬莱』の味付け3品。© Takayoshi Tsuchiya
『新蓬莱』の味付け3品。© Takayoshi Tsuchiya

このお店はマダムと呼ぶにふさわしい妙齢な女性が一人で切り盛りしていて、僕はまさしく安井曾太郎が描いた『チャイナドレスの女』のようだと、その頃 ひとり思っていたのです。店内はというと、テーブルごとにビーズかガラスの暖簾のようなカーテンで空間を仕切られた部屋が幾つかあり、煙草の煙と喧騒で全体を把握しずらいような作りで、まるで日活映画のセットのような世界、いまでもオシャレなお店だったろうと思います。ある時に 久しぶりにその店の前へ行ってみるとだいぶ前からの廃墟のような佇まいで、僕の記憶は夢か幻だったのかと愕然としました、

少し前までランチはやっていたようですが……。僕の思い出の中にあったあの『新蓬莱』とは違うような気がして、それ以来 訪ねたことは一度もありません。

中国文字の不思議な魅力。 Takayoshi Tsuchiya
中国文字の不思議な魅力。 Takayoshi Tsuchiya
横浜・中華街 メニューになくてもリクエストに応え
何を食べても美味しいお店。

もう一店は、横浜中華街にある『海南飯店』。中華街の中でも目立たないので探してみて下さい。確か中華街には珍しいジャズクラブ『ウィンドジャマー』のはす向かいにありました。ここ何年か、中華街へ行く機会も減ってまだ変わらずにあればよいのですが……。こちらは3卓のテーブルがある普通の中華料理屋さんで何気ない店構えですが、『華正楼』や『同發』、『聘珍樓』、『萬珍樓』、などと同じくリクエストするとメニューに無くとも料理を作ってくれました、水餃子や白身魚の丸揚げを筆頭に、何を食べても美味しいのです。なんでも、中華街のシェフが夜な夜な通うという都市伝説があったくらいですから。この店を紹介してくれたのは、若い頃からの友人のひとりです。

中華料理といえばこのスパイス 八角。© Takayoshi Tsuchiya 
中華料理といえばこのスパイス 八角。© Takayoshi Tsuchiya