道田宣和のさすてーなモビリティ vol. 10“NISSAN 360”で垣間見たクルマの明日。追うサステと追われるサステ。
(2013.09.28)相克するふたつのサステ
EV(電気自動車)、自動車間距離保持、自動ブレーキ、自動車線保持(つまりクルマが勝手に向きを修正してくれる)、そして行き着く先は……自動運転! フ〜ム、追い込まれてるな。瀬戸際じゃないか。
クルマのサステイナビリティ=持続可能性にはふたつの意味があり、しかもその両者は互いに相容れそうもない、とボクは感じている。
ふつうサステイナビリティと言えばこれはもう、クルマのあらゆるネガを潰して「環境保全」と「万全な安全」を図り、将来ともにパーソナルモビリティ=個の移動を担保しようとする一大ムーブメントを指す。と、世間一般ではそう認識されている。
そこではすでに究極の姿として環境のためのゼロエミッション(排ガスゼロ)車たるEVやFCV(燃料電池車)と安全のための自動運転(自律運転=autonomous)が視野に入り、後者については冒頭のようにそれを実現するための周辺技術群が着々と実用化されてきた。当然ながら、これにはさまざまなセンサー類とコンピューターを駆使した自動化が避けられない。機械はその信頼性が確保される限り、人間がやるよりはるかに迅速かつ確実で、間違いがないからだ。
でも、それじゃあ電車やバスなどのパブリックトランスポートに「乗せられている」のも同然、クルマはドライバーが自ら主体的に運転してこそクルマなのであり、それを通じて得られる自由や達成感こそがクルマの本質だと考える人間もいる。もちろん、ボクもそのひとりだ。いわば「サステイナビリティに抗うサステイナビリティ」とも言うべき構図で、時代は確実に自動化の方向に突き進んでおり、さしずめボクなんかは「守旧派」と呼ばれるに違いない。
この「内戦」、正直言って我々クルマ好きには相当不利な状況にある。なにしろ「敵」には掛け替えのない地球や命を救うといった、何人たりとも異議の唱えられない崇高な大義名分があるのに対して、こちらはせいぜいドライビングプレジャー=運転の歓びなどという、きわめて軟弱そうに聞こえる旧式な武器しか持っていないからだ。
見たこともない日産車
久し振りのカリフォルニアは相変わらずの青い空と能天気な雰囲気で開放感充分。ホテルに着き次第、時間があればまずプールというのがボクのお定まりのコースだが、今回それができたのは初日だけ。2日目以降はツアー本来のアジェンダが目白押しで、さすがに叶わなかった。
ルノーによる資本注入と「ゴーン革命」でV字回復を成し遂げた日産は日本で最も進んだグローバル企業のひとつに生まれ変わった。そしてボクもそのひとりとして参加したイベント、“NISSAN 360”ではその「昨日・今日・明日」を一堂に披露。9月初旬を挟んだ延べひと月間、世界中から計1000人に上るメディアやステークホルダーが招かれ、ロサンゼルス郊外のアーヴァインを舞台に開催された。“360”には「日産のすべてをあらゆる角度からつぶさに見て欲しい」の意味が込められている。
***
軍の滑走路跡地を臨時に借り受けた会場にはパイロンで仕切られたターマック(舗装路)の特設サーキットからSUV/トラック用の人造ゲレンデまで各種コースが揃い、ほかに望めば1台当たり30〜45分間の近隣公道ドライブも許される。試乗車と展示車は全部で実に130台。小は日本の軽自動車、デイズから大は普段日本で見掛けることのない小山のようなアメリカ(キャントン工場)製の大型バン、“NV3500”に至るまで、それぞれのマーケットからこのイベントのために掻き集められ、試乗に供された。欧米や中国での稼ぎ頭、高級ブランドのインフィニティ各車や新興国向けとして復活を果たしたダットサンも含まれている。今日の日産は単に販売面だけでなく開発/生産の面でもそれだけワールドワイドにコミットしているというわけだ。
人一倍の「乗りたがり屋」を以て任じるボクはここぞとばかり2日間に亘って計17台を乗り倒し、日頃の鬱憤を晴らしたのは言うまでもない。
アーヴァインの戦い
けれども、このイベントで最大の注目を集めたのはやはり「自動運転」に違いなかった。すでに量産型EVとして世界最多の販売実績を残しつつあるリーフをベースに目下研究開発中の “リーフ・オートノマス”はこの会期中、カルロス・ゴーン社長自ら2020年までの実用化を表明し、十全の自信を以てもはや「夢物語」ではないことを示すとともに、グーグル等先陣争いを演じるライバルたちに強烈なパンチを見舞った形だからだ。
では、どんなクルマなのか実際にステアリングを握ってみよう。いや、悔しいことにこのクルマに限って「握る」わけにはいかないから横で指を銜えているだけなのだが、説明員を兼ねたエンジニアとともに「同乗」してみた。むろん、ドライバーズシートに坐っているそのエンジニア自身も手と足は一切使っていない。
まだ仮の姿(実験段階)とあって、製品化された暁にはいわゆる“デザイン-イン”が施され、巧妙に隠されるはずのレーザーレーダーやカメラを始めとする各種センサー類が現状では剥き出しなため外観は一種異様だが、なるほどクルマ自ら周囲の状況や路上に設けられた速度制限等の標識を確実に検知・判断しつつ、的確にスロットル(アクセル)を開け、ブレーキを踏み、そしてステアリングをクルクルと回してみせる光景はまさに感動もの。EV特有のデッドな静けさやデッドなスムーズさとも相俟って、その洗練された挙動には舌を巻かされるばかりだった。一瞬、あたかも東京の“ゆりかもめ”や空港によくある無人シャトルの最前列にでも坐っているかのような不思議な錯覚を覚えた。路側から急に人や障害物が飛び出して来ても即座に回避してみせるのは見事と言うほかない。
かくてサステ対サステの戦いは案の定、守旧派が一敗地にまみれた……かのようだったが、実はそうでもない。と言うのも、今のところ2020年時点で想定されている自動運転なるものは一定の条件下ごとでの運用。いや、それだけでも大したものだが、それはそれとして、この日のデモンストレーションもショッピングモールなどの平面駐車場を想定した自動車庫入れ/車庫出しシーンと幹線道路や高速道路と思しきオープンロードに一旦乗り入れてからの、コーナリングを含む巡航的な走行シーンのふたつに限られていた。そのこと自体はほぼ完璧と見えたにしても。
つまり、現実の走行で遭遇するさまざまなシーンをシームレスに繋ぐ全域自動運転ではなく、どうやら当面の目標は一定のシーンに達した後、スイッチを切り替えて(言うまでもなく手動運転もできるから)機械に任せ、それによって人間が犯しがちな操作ミスや見落としを排除するとともにドライバーには安楽を与えること、と言えそうだ。
もっと分かりやすく言えば、玄関から目的地の車寄せまで、たとえ眠ったままでも連れて行ってくれるショーファー(お抱え運転手)レベルの自動運転はさらに数十年先のことだろう、と開発者自身も考えているようだった。
単なる乗りたがり屋でなく、同時にメカ好きでもあるボクはstate-of-the-artな現時点での出来映えに敬意と驚嘆の思いを覚えつつ、内心いくらかホッとした。まだまだクルマは愉しめそうである。