電子書籍はブレイクするか?
日本の出版界の未来、残された課題。

(2012.02.24)

2011年後半、米アマゾンが日本の電子書籍市場に本格参入する意向を表明した。また、日本のネット通販大手・楽天は、カナダのタブレットメーカー・kobo社を買収。この春にも、低価格電子書籍リーダーを日本市場に投入する見通しだ。アップルの『iPad』をはじめ、タブレット端末、電子書籍リーダーが群雄割拠し、いよいよ電子書籍時代到来の機運が高まっている。日本の出版業はこの大変革にどう対応するのか、そして、電子化に向け残された課題とは何なのか。出版社で編集、電子化事業に携わった異色の経歴をもつ弁護士、村瀬拓男氏が語った。

■村瀬拓男(むらせ・たくお)

1985年東京大学工学部卒。同年、新潮社に入社。週刊新潮編集を経て、映像・電子出版などの新規事業に携わる。同社退社後、06年に弁護士登録。出版社、映像製作会社の企業法務を手がけ、「著作権関連問題やITに精通した弁護士」として活躍する。社団法人日本書籍出版協会知的財産委員会幹事等も務める。著書に『電子書籍の真実』(毎日コミュニケーションズ)。

電子書籍の定価を決められない!?
日本の特殊な出版事情

―11年末、米ネット通販大手アマゾンが日本の電子書籍市場へ参入しようとした際、日本の出版社側と折り合いが付きませんでした。

村瀬 アマゾンが提示した条件を、日本の出版社がそのまま鵜呑みにはできなかったということでしょう。その条件の一つは、「アマゾン側が自由に価格を設定できる」というもので、長年再販制度を維持してきた、つまり価格決定権を保持してきた日本の出版社側は大いに戸惑った。先行例であるソニーの『Reader』等では、配信事業者側に価格決定権があるものの事実上、出版社の指値に基づいて販売を行ってきましたから、流通側が積極的に価格操作を行うというアマゾンの姿勢に対して、慎重にならざるをえなかったのではないでしょうか。

―これまでの出版社のビジネスモデルとは大きく異なっていたということですか。

村瀬 その通りです。しかし、かといって出版社側にとっても、電子版の価格決定をどのように行えばいいのかはっきり分からないという現状もあると思います。それは、そもそも電子書籍の仕組みそのものが、従来の出版ビジネスの収益構造とは大きく異なっているからです。

一冊の本を作るには、編集・校正・デザインなどの製作費、印刷代、出版取次や書店の流通コストを確保する必要があります。著者を立てる本については印税も払わなくてはなりません。

出版社は、そうしたコストを払いつつ利益を確保する、という観点で「定価」と「刷り部数」を決定してきました。

本の訴求力や売れ行き動向を予測しながら、たとえば「定価1,000円、初版1万部なら返本リスクは少なく、コストを支払い利益も確保できる」といった形で判断し、一定のロット数を流通させる。1,000円×1万部=1,000万円分を一旦流通させ、1,000万円分の何%を著者印税、何%を製作コストといった具合に原価計算する。そして、販売総額とコストの差額を出版社の利益としてきました。1万部刷っても、ある程度の時間をかければ一定程度消化できる、そういった見通しが立てられたのです。

しかし、電子書籍はこうはいきません。純粋にダウンロードした数(ないしはアクセスした数)の分しか売り上げが立たず、一体どのぐらい売れるのかがわからない。だから、定価を設定しコストの原価計算をすることができない。「刷り部数」という概念がないため、すべてが手探り状態とならざるをえないわけです。

従来までの出版の利益サイクルが、すでに成り立たなくなっている分野があります。それが電子辞書です。

電子辞書の世界では
一部の「勝ち組」だけが生き長らえた

―電子辞書はすでに10年前から200万台規模 ※1 の出荷が続いており、一般にも広く浸透しています。

村瀬 電子辞書が広く出回ることで、何が起こったか。『広辞苑』や『ジーニアス英和辞典』等ごく有名なタイトルを除き、他の辞書は非常に安価な「部材」となってしまったのです。

現在の電子辞書には多くの場合、100近いタイトルの辞書が収録されています。仮に電子辞書の定価が1台3万円だとして、電子辞書のライセンス料として支払える金額はせいぜい5,000円程度でしょう。これを100タイトルで均等に割ったとしても、ひとつの辞書が有する1台あたりのライセンス料は50円程度ということになります。実際には、有名タイトルは電子辞書のキラーコンテンツであるため、単価はもっと高く設定されるはずであり、その他の辞書については下手をすれば単価が5~10円程度ということも考えられます。その電子辞書が10万台売れたとしても、辞書出版社が得られるライセンス料は50万~100万円。これでは商売になりません。

辞書出版社は、時間をかけて辞書を製作し、学校なども含めて販促活動を行ってきました。ある程度の初版部数は見込めていたので、「刷り部数」をもとに新たな辞書の製作費や改訂のための費用を計算していたわけです。しかし、辞書の分野では電子媒体が紙媒体にとって代わり、このサイクルが回らなくなっている。事実、20年前などと比べると、辞書の改訂頻度は劇的に下がっているはずです。中小の辞書はビジネスとして成り立っていかなくなることも十分に考えられます。

―電子書籍化が進めば、こうした現象が一般書籍においても起こりうるということですか。

村瀬 少なくとも辞書などのように「データを取り扱う本」については、同様のことが起こりうるでしょう。

これまで出版社は、取次・書店のルートを把握して、ある程度の部数を見込んで出版していたわけですから、売り上げ規模についてある程度コントロールができていました。しかしアマゾンや楽天などのネット通販を通じてどれだけ売れるのかは、まったく予想がつかない。流通のテリトリーが完全に移ってしまうわけですね。

従来であれば、定番のビッグタイトルのような書籍であれば、大部数を刷ることによって早期にまとまったお金を取次・書店側から受け取ることもできたでしょう。しかし、ネット通販ではそうはいかない。少なくとも現時点で、電子書籍について出版社側がアドバンス(前払い)を受け取る契約が成立したという話は、聞いたことがありません。

もっとも、前例がないからといってやるべきではない、とは思いません。出版社は自信のあるタイトルについては、もっと強気に「何万ダウンロード分はアドバンスを保証しろ」といった交渉をしていくべきではないでしょうか。現に、海外でヒットした書籍の日本語版を出版する場合には、海外出版社にアドバンスを払っているわけですから。
 

※1 社団法人ビジネス機械・情報システム産業協会の調査によると、電子辞書の出荷実績は02年290.9万台となっており、以後200万台超の出荷が続いている。

「普通の本」こそ、一番危ない!

―出版社側では、どのようなコンテンツが電子版として向いているのか、その判断についてもまだ模索中といった印象があります。紙媒体と電子媒体での棲み分けは、今後どのようになっていくのでしょうか。

村瀬 紙媒体では、本の知名度を上げる安定的な手段がいくつか存在しています。今後はどうなるかわかりませんが新聞広告があり、電車の中吊り広告があり、そして書店での広告効果というものもあります。商業施設に入居するような大型書店が増え、書店数は減少している一方で書店の延床面積は拡大しています。本でも雑誌でも、面陳(表紙が見えるように本を立てること)や平積みで置きやすくなっています。読者にとってみれば、ふらっと立ち寄った書店で、書籍の表紙を見て、POPを見て、あるいは関連のポスターを見たりする。そのメディア価値というものは無視できないものがあります。

つまり、本にある程度の関心がある人が、無意識的に本の情報を入手できる環境があるわけです。しかし、電子書籍ではこの点が劇的に異なっています。ネットの世界の情報は、明確な目的意識をもって探さなければ手に入らないのです。

では、新聞広告、車内広告などや書店での広告効果に支えられている本というのは、どういうものでしょうか。これは「数万部売れる」、いわゆる普通の本です。こうした書籍が、既存の広告効果が通用しないネットの世界では、今までのような売り上げが期待できない脅威にさらされてしまうのです。

逆に数千部単位でしか発行されていない本は、読者が「探して」買いに来る本であり、ある意味で紙媒体であろうと電子媒体であろうと、欲しい人(コアなファン)は懸命に手に入れようとします。また、100万部に達するような大ベストセラーは、紙媒体でも電子媒体でも放っておいても売れていく。ものすごく売れるものと少部数のものは、ネットでもカバーできるわけです。そこそこの数の読者を見込める一般的な本こそが、電子化において一番危険な領域といえるでしょう。

―多くの出版社は、数万部売れる見込みの本を大量に出版することで、経営を成り立たせています。発想の転換が不可欠ということですか。

村瀬 数万部の本というのはまさに、出版業界のボリュームゾーンと言える領域です。ですが、そうした類の本がネットの世界ではなかなか通用しない。一部のトップ商品だけが注目され、真ん中の層がないというのは他のネットショッピングにも共通した特徴だといえるでしょう。検索上位に引っかかるものしか「存在しない」、それがネットの世界なのです。

そうした状況下で、出版社側はどのような層を狙って出版をするべきか、発想の転換が必要なのは確かです。ただ、本作りというのは読者の側だけを見て商売するものではありません。発信したい情報や著者があって初めて成り立つものです。紙媒体と電子媒体とで、アイテムの出し入れをコントロールするような柔軟な姿勢が求められているのではないでしょうか。

紙媒体として生き続ける
ジャンルとは?

―本のジャンルという点では、どのような棲み分けが予想されるのでしょうか。先ほどのお話の中では、「データを扱う本」については電子への移行が進むとのことでしたが……。

村瀬 「電子辞書の方が使い勝手がよい」ということは、多くの人の共通認識となっていると思います。このように、データベースを主体としたコンテンツというものは、必ずしも「紙の本」という形をとっている必要はありません。これまでは「紙の本」という形でしかまとめようがなかったから、本にしていたのだということです。情報誌やガイドブックなどについても、同様のことがいえるでしょう。

これに対して、「紙の本」という媒体に適したコンテンツもあるのではないかと思います。一言で言えば、「アタマから順番に読む必要がある本」、たとえば小説やマンガです。

小説については、アタマから順番に読むほか、読みようがありません。そうしたものは1ページ1ページ、ページをめくって読んでいくことそのものに魅力があります。

活字離れと言われて久しいですが、物語を欲しがっているニーズというもの自体は、けっして衰えていないと思います。今後も「紙の小説」というジャンルは一定層のニーズを得て継続していくのではないでしょうか。

― 一方のマンガについては、電子書籍の先駆け的な存在として、ケータイコミックスという分野もかなり大きな市場 ※2 となっています。

村瀬 ケータイコミックスは、いわばスキマ市場でした。普及した要因は2つあったと思います。ひとつは、ひまつぶしに最適だったということ。5~10分程度の移動時間、空き時間の間に、携帯電話で「マンガを読むか、ゲームをやるか」という選択肢を作ることに成功しました。もう一点はスペースの問題です。特に長編コミックなどは、紙媒体で保存するとなると物理的スペースを大きく占有してしまうことになり、ケータイコミックスはその問題を解決するのに最適な媒体でした。

ですが、多くのマンガが電子に移行するかと言えば、それは極論すぎます。マンガの原画は非常に表現力豊かで、それゆえ一般の携帯電話やスマートフォンの画面で読者が満足しているとは思いません。第一、マンガは「見開き」や「ページめくり」を前提としてコマ割りが構成されています。ひとつのコマが右ページにあるのか左ページにあるのか、ページをめくる前と後のコマをどのようにつなぐのか。その一つひとつが表現の一要素であり、電子コミックスはこれらの要素に目をつぶって置き換えているに過ぎません。現在の電子書籍リーダーには「見開き」を表現できるものはなく、現状、電子媒体は紙の代用品の域を抜けていない。ですので、マンガという表現形式も紙媒体の中で生き続けていくことでしょう。

―ソフトバンクの孫正義社長などは「電子教科書」の普及を訴えていますが、若い世代ほどこうした電子媒体への浸透は進んでいきそうです。

村瀬 注釈風にハイパーリンクを貼るといった機能は、電子特有のものですので、参考書的な本に関しても電子化は進んでいくことでしょう。当然、若い世代の方が電子媒体になじみやすい環境にあります。

ただ、気になった部分にマーカーを引く、フセンを貼るといった機能は紙特有のものであり、教育的な要素としてそういう部分を捨象していいのかどうかという議論はあるでしょう。また、読みやすさという点では、やはり紙の方に一日の長があるのも事実です。
 

※2 インターネットメディア総合研究所の調査(『電子書籍ビジネスに関する調査報告書』、2011年)によると、2010年度の電子書籍市場規模は約650億円(推計)であり、このうちケータイ向け電子書籍市場が全体の88%にあたる572億円を占めているという。また、ライフネット生命の調査(『電子書籍に関する調査』、2010年)によると、電子書籍を閲覧したことのある人の76.8%がコミックを閲読したことがあるという。

電子書籍の未来と残された課題

―Amazonの交渉は一旦難航したものの、12年4月にはリーダー『Kindle Touch』を日本で販売する予定です。また、ネット通販大手の楽天は、カナダのkobo社を買収し、やはり12年春に割安な電子書籍リーダーを投入する方針です。出版社などコンテンツメーカーも含め、本格的な電子書籍時代の到来となるのでしょうか。

村瀬 正直、まだもう少し時間がかかるのではないかという印象です。iPadの販売台数が100万台に達したかどうかという程度と推定され、他のリーダーはもっと少ないはずです ※3。過去、ビデオプレーヤーやCDプレーヤーなど新規の機械が発売されたのち、コンテンツが出そろい始めたのは100万台を突破したころだったと言われています。iPadがようやくその領域に達し始めたところで、他のリーダーはまだ「機械好きのための機械」の域を出ていません。

アップル、ソニー、Amazon、楽天……どのリーダーが優れているのか、といった論争がある段階では、まだマーケットが成立していないというのが私の考えです。一家に一台、いずれかの電子書籍リーダーがあるという状態、わかりやすい例で言えば現在のゲーム機のレベルにまで普及してこないと、市場としてまだまだ未熟だと思います。

その意味で、リーダー同士で価格競争になり、ある程度リーダーの値段が下がってくるということが望ましい方向ではないでしょうか。

―まずはプラットフォームの定着が、電子書籍普及の最大の前提条件というわけですね。コンテンツを作る側、つまり出版社ないしは製作会社は、これからの変化にどのように対応していくのでしょうか。

村瀬 出版社の側からすれば、電子化に対応するために本の作り方を考え直さなくてはいけないし、ラインナップそのものをもう一度検討しなければなりません。紙と電子、両媒体を合わせた需要、読者のパイは増えないはずです。そうした中で、ターゲットの絞り方なども変えていかなければならないでしょう。

また、電子化は「コストの二重化」という問題もはらんでいます。著者印税を例にとれば、従来までの紙媒体での計算・払い込みに加えて、電子媒体においても同様の作業が生じてくるわけです。同じアイテムを紙と電子両方で出せば、作業は2倍に膨れ上がる。にもかかわらず、紙と電子のトータル売り上げは変わらない。製作過程の効率化やアウトソーシング、コストダウンのための組織改革などによるコスト圧縮も必要となります。

反面、先ほど述べたような「紙でなければならないコンテンツ」というものも、依然として存在するわけです。「紙媒体をすべて捨てる」というのであればともかく、紙媒体のコンテンツを出し続けるのであれば、現在と同じような経営形態をある程度維持することの意義はあるのではないでしょうか。

―出版社側にとっては、新しい課題に直面しつつ従来の紙媒体事業も維持・拡充していかなくてはならない、難しい局面だといえそうですね。

村瀬 大切になってくるのは、「どんなコンテンツが電子媒体に向き、どんなコンテンツが紙媒体に向いているのか」の見極めだと思うのです。強みとしているジャンルによっては、「電子媒体1番手、紙媒体2番手」といった方針転換が求められるケースもあるかもしれません。

いずれにしても、媒体に合わせたコンテンツ提供のありかたを、もっと深く考えていく必要に迫られます。新たな電子コンテンツをどのように作るのかはもちろん、紙でなければならないコンテンツについても、たとえばデザイン性などの面で、もっと紙である特性を前面に出した作り方を追求していく。時代に求められるものに合わせて形を作っていく、それが、編集の本来的な力なのだと思います。

―最後にユーザーにとって、電子書籍への移行はどのような意味を持ってくるのでしょう。

村瀬 電子書籍が読者にどのようなインパクトを与えるのかは、未知数の部分も多いと思います。少なくとも、現在米国で電子書籍が定着してきたといっても、一概に米国と同じような状況になるとは言い難いのではないでしょうか。

アマゾンでは2011年4月以降、米国内での電子書籍の販売数が紙媒体の部数を上回ったと発表し、また、米国の出版社業界団体のひとつAAPは、2011年2月、電子書籍の販売額(卸売ベース)がハードカバー、ペーパーバックといった媒体を超えトップになったと発表しています。ただ米国と日本とでは、卸、書店における本の流通規模やシステムが大きく異なっており、こうした米国の現状がすぐ日本でも訪れるということにはならないでしょう。
 

※3 ICT総研の調査によると、2011年上半期のiPad(iPadとiPad2合計、以下同)出荷台数は約70万台、その他タブレット端末の出荷台数は約12万台だった。2011年下半期の見込値は、iPadが約88万台、その他タブレットが約18万台である。合算すると、iPadの11年出荷台数は約158万台、その他タブレットは約30万台、計約188万台。販売台数はこれより少ない値となる。