映画『リンカーン』 ダニエル・ディ=ルイス
アカデミー賞3冠王の魅力とは。

(2013.04.30)

アメリカ合衆国16代大統領リンカーンを
演じきった英国俳優。
第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーン。膠着する南北戦争を終戦に導き、真の奴隷解放、平等な社会を根付かせようと奔走したリンカーン大統領を「そっくり」に演じ、アカデミー賞史上初、3度目の主演男優賞を獲得したダニエル・デイ=ルイス。生粋の英国人であるダニエルがアメリカン・レジェンドを演じ切ったことは実に大きな功績です。これまでのダニエルの軌跡を振り返り、『リンカーン』での熱演ぶりをたどってみたくなりました。


第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーン(ダニエル・デイ=ルイス)の最晩年1865年1月。奴隷解放宣言をめぐって国を二分する南北戦争は膠着状態。大きな苦境に立っていた。

1985年、スティーヴン・フリアーズ監督作『マイ・ビューティフル・ランドレット』、ジェームズ・アイボリー監督『眺めのいい部屋』でスタイリッシュな演技派美青年として注目されたダニエル・デイ=ルイス。アメリカ資本の映画に初めて主演となったミラン・クンデラ原作の『存在の耐えられない軽さ』(’88)でのダニエルには、しびれるものがありました。複数の女を手玉にとるプレーボーイの医師という役どころ。いかにも色ごとが好きそうな、しかし知性もあるという男で、女心を掻き立てる。そんな男を演じることは、そう容易いことではないはずですが、彼の存在感と演技力、その風貌や上背のある姿には違和感無くリアルなエロティシズムを感じたものです。アメリカのスターが持つ魅力とは全く違う色気を放つ役者でした。


戦場で兵士たちの報告を聞くリンカーン。くせっ毛で散髪に困っていること、最後の散髪屋は困り果てて自殺してしまった……軽い小話を挟み込み兵士たちを激励。

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その独身時代のモテ男ぶりは有名です。お相手はジュリエット・ビノシュはじめイザベル・アジャーニ、ウィノナ・ライダーと、その時代を代表するアイドル的美人女優と思いのままに恋をしたといいます。『存在の耐えられない軽さ』を地で行くプレイボーイでした。著名な作家、アーサー・ミラーの娘レベッカ・ミラーと結婚後は、すっかり落ち着いたようで、彼女の監督作品に協力したりと、リスペクトも大きいようです。一時引退したり、私生活も大切にした暮らし方には彼女の影響が大きいことでしょう。アメリカとの絆も彼女への理解への深さから生まれたに違いありません。

英国男は、英国紳士の精神が持ち味。DNAの中に騎士道精神があって、ブレイブ、フリーダムを感じさせ、おつきあいすると、女はお姫様気分を味わえるのでモテるのでは? 英国といえば世界有数の美男子の産地。フランス、イタリア顔よりシャープ。線が細く繊細な陰影に富んでいる横顔も魅力ではないでしょうか。モテ期も絶頂の’89年、ダニエルは脳性麻痺で左脚しか動かすことのできない主人公を演じた『マイ・レフトフット』で最初のアカデミー主演男優賞受賞します。


正式に奴隷制を廃止するには合衆国憲法修正第13条を下院で批准させなければならない。国務長官ウィリアム・スワード(デヴィッド・ストラザーン)を介して共和党保守派の票をまとめるが、足りない。

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’92年『ラスト・オブ・モヒカン』で英国アカデミー賞、’93年『父の祈りを』で米英アカデミー賞にノミネート。着実にキャリアを積んでいるものと思われた’97年『ボクサー』に主演したあと、俳優業を引退して靴屋の修業をしていたという逸話もユニーク。役作りのために徹底したリサーチ、肉体改造を実践するなど揺るぎない役者魂を持ちながら、まさかの、靴職人に転職を宣言。当時映画ファンならずとも、あっけにとられた思いでした。

その後4年のブランクを経てマーチン・スコセッシ監督のご威光で見事カムバック。しかし、その役はと言うと、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(’02)の悪漢ときました。存在感と演技力で、他に真似のできない役者魂の健在ぶりを見せつけました。そしてポール・トーマス・アンダーソン監督の要請に応え『ゼア・ウイル・ビー・ブラッド』(’07)に出演。この作品で2度目のオスカー主演男優賞受賞。怪演に次ぐ、怪演で、そこにはもう、ハンサムなプレイボーイの姿はないわけですが、でも、彼はどんな役を演じてもなぜか色気がある。背筋の美しさが、男の色気を滲ませる。上背もあり、男らしいいで立ちの、イイ男。リンカーンその人も、細身の長身だったといいます。ダニエルは演技力だけでなくリンカーンの男としての優しさ、勇気、そこから湧き出るセクシーさを漂わせる怪演。たとえばブーツの磨き方。さすがに靴職人修業の成果なのか、ブラシのさばきがカッコいいですね。一挙手一頭足に男の色気に通じました。


長引く戦争へのいらだちから味方である共和党の中からも、奴隷制を認めて、南軍と和平すべきだという声が強くなっていた。そんな中でも戦争で若者が死に続けていることに苦悩するリンカーン。
映画というより、舞台。
舌鋒・応酬の楽しみ。

政治、理想の国家、民主主義を論じたリンカーンの長台詞を難なく成功させているのは、演劇出身という経歴でしょう。この『リンカーン』、映画というより、もう、舞台でした。トミー・リー・ジョーンズ演じる共和党急進派下院議員タデウス・スティーブンスとの豁達たるも、滔々ととしたセリフの応酬は、まさに当代一流の俳優同志による舌鋒バトル。

また、緊迫した局面で一見なにげない物語をリンカーンがとりとめなく話し出すというシーンが劇中で何度か登場します。ユーモアを交えた語り口調で笑いを誘い、意外な方法で人を煙に巻き、その後感動までさせ説得してしまう。それがいくつにも積み重ねられていき、数々の演説で国民の心を掴んだという史実、その人間的魅力、パワーの裏付けになっていく。リンカーン像がおのずと浮き彫りになっていくのです。


奴隷解放を推進したい共和党急進派下院議員タデウス・スティーブンス(トミー・リー・ジョーンズ)は、リンカーンがどこかで妥協してしまうのではないかと考えていた。

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これまでも歴史上の偉人を演じた作品はありましたが、だいたい違和感を感じながら最後まで観て、歴史を学ぶことで,終わっていました。しかしダニエルには、そういう印象が皆無でした。

大統領として奢ることなく、公僕に徹する孤高の男らしさを貫き、献身したリンカーン。彼の男らしさに、思わず泣けて泣けて。こういう男は、もういない気がします。


合衆国憲法修正第13条の下院議会での批准の前に、たとえ多くの死者が出ても戦争を止めるわけにいかなかった……。

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この『リンカーン』の名演技で今年3度目のアカデミー賞主演男優賞獲得を成し遂げたダニエルは受賞スピーチで「人生の運をすべて使い果たしたかのようだ。」という言い方で栄誉に咽んでいました。リンカーンの成し遂げた奴隷解放、真の平等を目指す精神を貫くため疲労で骨が砕けそうになるまで献身したリンカーンは、映画の中で10年老け込んだと描かれましたが、その姿と重なります。

政治家としてだけでなく、家庭人としても実の息子を戦争で失うことへの恐れ、恐妻家とされながらも愛する妻への配慮をいつも忘れなかったリンカーン。その隅々までも演じ切れたことは、ダニエルが演技を越え、まさしくカリスマの域に達したことを見た思いでした。これから、どんな演技を見せるのか、“運を使い果たした男”の今後を、さらにもっと見てみたいものです。


リンカーンの妻メアリー(左・サリー・フィールド)は、息子を亡くした喪失感をリンカーンにぶつけるもリンカーンに絶大な信頼を寄せ支えていた。

長男ロバート(左・ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は北軍に志願、リンカーンはロバートを戦争に行かせたくない。幼い四男タッド(右・ガリバー・マクグラス)がリンカーンの心の安らぎだ。
『リンカーン』

TOHO シネマズ日劇他全国公開中

アメリカ合衆国第16代目大統領エイブラハム・リンカーン(1809〜1865)。奴隷解放宣言、ゲティスバーグの演説後2回目の大統領選に再選を果たした国民的英雄リンカーンの最晩年1865年1月の22日間を中心に描くヒューマン・ドラマ。真に奴隷解放を実現するためには憲法改正が必須と考えたリンカーンが、合衆国憲法修正第13条を議会で可決に向けて政治的手腕を発揮する姿だけでなく、これまであまり伝えられなかった妻メリーや息子ロバートとの葛藤をも辿り家庭人としての姿もとらえる。理想の社会、家族のあり方、といったリンカーンの生き方、思想が、時に饒舌に、時にユーモアを盛り込んで語られる。

出演:ダニエル・デイ=ルイス、サリー・フィールド、デヴィッド・ストラザーン、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、ジェームズ・スペイダー、ハル・ホルブルック、トミー・リー・ジョーンズ
監督:スティーブン・スピルバーグ  
製作:スティーブン・スピルバーグ、キャスリーン・ケネディ
製作総指揮:ダニエル・ルピ、ジェフ・スコール、ジョナサン・キング  
脚本:トニー・クシュナー
原作本:D・K・グッドウィン著『リンカン』(平岡緑訳 中央公論新社刊)
ドリームワークス・ピクチャーズ / 20世紀フォックス映画 パーティシパント・メディア共同提供
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