映画『悲夢』で「睡魔」との壮絶な闘いの果てに見えたもの。それは、はかない蝶の幻影と、愛しい人への叶わぬ思い。

(2009.02.06)

 

ストーリーは……

別れた恋人を忘れられない男、ジン。別れた恋人が憎くてたまらない女、ラン。
男は夜ごと、夢の中でかつての恋人と再会する。ジンの夢に呼応するように、ランはかつての恋人と現実のときを過ごす。そして、男と女は出会った。襲いくる夢の数々に、必死であらがうふたり。彼らは悲しい運命を変えるため、静かに、激しい恋に落ちていく。それがたとえ叶わぬ恋であっても―。

 

 

 

このセリフがよいのです。

「 ふたりはひとりなのです。
白と黒は同じ色なのです。
愛する人はあなたの鏡なのです。」

by ふたりを診断する精神科医の言葉

 
ランはジンの見る夢のままに、夢遊病患者のように行動してしまうため、ふたりはなんとかしてお互いが眠らないよう、「睡魔」との壮絶なまでの格闘を試みるが、抗いきれずに「悲しい夢」を見続ける。思わず目を背けてしまうほどの「痛さ」の表現方法は、韓国の鬼才映画監督キム・ギドク作品の特徴の一つでもあるが、人間のこころの痛みや苦しみを、痛覚に訴えかけて描く手法は非常にリアルだ。

映画の中で、夢と現実を共有する奇妙なふたりを診断した精神科医によって語られる「白と黒は同じ色である」というセリフは、実際にギドク監督がかねてから事あるごとにインタビューなどで口にしている言葉で、きっと歴代の配給・宣伝担当者たちの間では、数ある“ギドク語録”のうちの重要なキーワードとして記憶されているはず。

さて、これまでの『絶対の愛』(’06)『弓』(’05)などのキム・ギドク作品とこの作品との決定的な違いは、オダギリ ジョー演じるジンと、イ・ナヨン演じるランが、それぞれ日本語と韓国語でしゃべっているにも関わらず、ごく自然に意思の疎通を図っていること。

もちろんこれはギドク映画に限ったことでなく、ほかのどの映画とも違う明らかな異様さを放っているのだが、ギドク監督が前作『ブレス』(’08)で台湾人であるチャン・チェンを自ら喉を鋭利な錐で突き、声を失った役として起用していたことを考えると、かなりの進化を遂げているのは明らかだ。

一見こちらが戸惑う手法を用いながらも、いつのまにか観ている側がその言葉の壁をないものとする演出に何の疑問も抱かなくなるほど、役者は確かな技量を発揮している。

ギドク監督というと、なにかと暴力的な描写ばかりが取り沙汰され、一般的にはマッチョなイメージが附いて回るが、わたしは彼のセンチメンタルでロマンチックなところがとても好き。あふれるほどの色彩感覚とエロティシズム、そして神秘的なロケーションと叙情的な音楽は、この映画においても存分に堪能することができる。

実は以前、某映画配給会社勤務時代に『絶対の愛』のプロモーションでギドク監督が来日した際、監督と一緒に渋谷の街をビデオカメラ片手に歩いたことがある。

キム・ギドク監督がカメラを回し始めた途端、普段見慣れた街並みが突如として映画的世界に様変わりした瞬間を目の当たりにした私は、後日天才アラーキーこと、写真家の荒木経惟氏による下北沢の街の撮影時にも、次々と映画的な現象が起き続けた現実に、不思議な繋がりを感じざるを得なかった。

というのも、さまざまな方の尽力により、ギドクとアラーキーの「鬼才VS天才」対談という奇跡的な巡り合わせが実現し、新宿歌舞伎町を韓国風おでんを頬張りながら練り歩く、という絶好の機会に恵まれた際にも、マルセル・デュシャンの作品『泉』さながら、路上に打ち捨てられた便器が目の前に現れ、何食わぬ顔でギドク監督がそれに跨る、という光景が見られたのだけれど、ふたりが揃えばもはやそれは必然だったに違いない。

一度は、映画界からの引退宣言とも取れる発言をしたキム・ギドク監督が、こうして現在も新作を撮り続けてくれていることが、1ファンとして素直に嬉しい。

 

 

 

『悲夢』

2月7日(土)より新宿武蔵館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー
出演:オダギリ ジョー、イ・ナヨン、パク・チア、キム・テヒョン、チャン・ミヒ(特別出演)
監督・脚本:キム・ギドク
プロデューサー:ソン・ミョンチョル
配給:スタイル・ジャム 宣伝:ミラクルヴォイス
上映時間:93分
2008年/韓国/35mm/ アメリカン・ヴィスタ/ドルビーSRD/カラー
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