名乗らない少女と長距離トラックドライバーのロード・ムービー アニエスベーことA・トゥルブレ監督
『私の名前は…』について。

(2013.12.27)

映画をこよなく愛し、映画監督や映画祭への支援を惜しまないファッション・デザイナー、アニエスベー。『私の名前は…』で遂に自ら映画監督デビュー。監督の作品への思いをうかがってみました。

アニエスベーが70年代からずっと休むことなく作り続けてきたのは、大袈裟で無く、何気ない。けれど鋭く時代を読みとった辛辣さやユーモアを埋め込み、それをセンス良く形にして、私たちの毎日の生活を楽しくしてくれる服でした。また映画をこよなく愛し、映画監督や映画祭への支援を惜しまず、映画プロデユーサーとしても本格的に活躍。今年6月に日本でも公開され話題となった、ハーモニー・コリン監督の最新作『スプリング・ブレイカーズ』の製作総指揮をとるなど、映画へ注ぐ情熱は並々ならないもの。そして、ついに自ら映画監督デビューを果たしたのです。作品タイトルは、いかにも彼女らしさを感じさせる、『私の名前は…』。意味深長、謎に包まれたタイトルです。

日本でのプレミア上映は彼女が毎年支援を続けてきた映画祭『東京フィルメックス』で。2回に渡る上映は『アニエスべー』ファンはもちろんのこと、映画に一過言を持つ、この映画祭の熱烈なファンたちを唸らせました。真っ赤なツーピース、手にはハーモニー・コリンからプレゼントされたというバッグを持って登場。無邪気な少女のような顔を覗かせながらも、一人のシネアストとしての貫録も充分に作品についてのこだわりを語りました。

片時も人形を手放さない主人公の少女(ルー・レリア=デュメールリアック)は働いている母親が留守の間に父親から虐待を受けていますが誰にもそのことを話しません。臨海学校でクラスの友達たちや先生と海辺へでかけるチャンスを得て、密かに家出をする決意をします。

少女の赤い服が印象的です。素晴らしく美しい情景なのに、決して希望には満ちてはいない。ビバルディのオペラ曲を多用しているところ、特に『Amen』は悲劇的なものを喚起します。

父親(ジャック・ボナフェ)も罪の意識を抱いて苦悩しています。突然モノクロームに変換されるカットなどなど、まるで動く写真集を見る思いで新鮮です。

海辺で見つけたのが、スコットランドから働きに来ていた男ピーター(ダグラス・ゴードン)が運転している長距離用のトラックでした。自由を求め、そのトラックにもぐりこみ、トラックの運転手との交流が始まります。しかし、この二人の出会いは、新たな悲劇の始まりだったのです。

ジワジワと迫り来る、目に見えないものがどのような形の悲劇となって、観ている我々に襲いかかるのかと、緊迫した、しかし、あっという間の2時間余りです。『私の名前は…』というタイトルを少女が呟くシーンで、このタイトルの持つ謎めいた意味が一挙に解き明かされると、それまで緊張で押さえていた涙がこみあげます。

観終わって驚かされるのは虐待や、ハッピーエンドとはほど遠い現実的な事件、また封じられる真実などのネガティブ要素が多い中、素直にこの物語を受け入れている自分がいることでした。

人生は、そう楽なこと、楽しいことばかりではない。でも、誰もが一つや二つの秘密を持って生きていることだろう。人は傷を抱えて生きていくこともあるものなのだ。そんな、強く生きることの意味や、愛について考えさせられるフランス映画ならではの説得力を持った作品です。

みごとです。今年の『ヴェネチア国際映画祭』のオリゾンティ部門や『ニューヨーク映画祭』に出品『アブダビ国際映画祭』ではチャイルド・プロテクション 審査員特別賞に輝きました。

さて、監督のこの作品への思いをうかがってみましょう。

■アニエス・トゥレブレ プロフィール Agnès Troublé ベルサイユの美術学校卒業後『ELLE』のファッション・エディターに。フリーランスのスタイリスト、デザイナーを経て自身のブランド『アニエスベー』を立ち上げ世界展開。ファッションのみならずアート、映画に造詣が深く常に強力にサポート。ジャック・タチ監督『プレイタイム』の修復、ギャスパー・ノエ、ハーモニー・コリン監督作品はじめ各国の国際映画祭への協賛も積極的に行う。今回の映画は自身の映画製作会社『ラブ・ストリームス・プロダクション』 で製作。写真撮影、美術製作も手がけるがコレクターとしても知られている。ボスニア・ヘルツェゴビナ戦争遺児救助などにも大きく寄与している。2000年にレジオンドヌール・シュヴァリエ、2005年にレジオンドヌール・オフィシエ、2008年にフランス芸術文化勲章オフィシエ、12年にコマンドゥール受勲。
自分のために作った映画だから、妥協できない。

―ディテールの素晴らしさは、一枚一枚の芸術的な「写真」を観る思いですし、音楽は「詩」の要素を果たしているかのようでもあり、もちろん現代的な社会問題をテーマにした巧みなドラマであり、素晴らしい仕上がりですが、映画を監督しようとの思いはどのようなことから?

アニエス:映画を作ろうと、思い立ったのは、突然で偶然でした。背中を押されたのは10年前の『ル・モンド』の事件記事でした。冤罪事件に違いないと思わせるような、突然の犯人の自殺を報じた記事で、そのことに思いを馳せていったら、イマジネーションが膨らみ、2日で話をまとめあげてシナリオにしてしまっていました。自分が映画にするしかないと。衝動的に突き動かされ、それから本格的にシーンを撮りためること2年間、編集は洋服のデザインの仕事が終わった後、毎晩深夜に至る作業を6カ月続け完成させました。

―この作品には妥協というものがないですね。カメラワークも独自のもので、自在です。いろいろな試みをして、やってみたいことをすべて成し遂げたことが伝わってきます。

アニエス:もちろん、妥協なんて、あり得ません。妥協が私は嫌いなんです。だって、私は、私のために映画を作っているんですからね。だからこそ、人任せにはできません。フレーミングも編集も、カメラ全て自分でやりました。何しろ、どんな時でも、私は完璧主義だから。

独自のこだわりのひとつ、手描き文字。

―キャストも素晴らしく、母親役を演じるのは、『サガン -悲しみよ こんにちは』でサガンを演じ高い評価を得たシルヴィー・テステュー。運転手役のダグラス・ゴードンは?

アニエス:コンテンポラリーアーティストで、映画監督でもあり、この作品で役者としても才能があることを見せつけました。

―主演の少女、セリーヌ役ルー=レリア・デュメールリアックは、オーディションで見つけ出したそうですが。

アニエス:600人から選びましたが、すぐにこの少女が、自分の映画に必要なことがわかりました。彼女の持つ目ヂカラと飲み込みの良さ、演技力がすごい。私の眼に狂いはなかったですよ。

―作品の場面毎に、『アニエスベー』のブランド名にも使われている、自身の手描きの文字で、“ここはお父さんの部屋”とか、“彼女は眠りに落ちた”などの表現があり目立ちました。手描き文字にこだわるのは、なぜですか?

アニエス:今、人の手描きの文字って見かけなくなってきてますね。人を知るためには、その人の手描きの文字を見たらよくわかるでしょう。そして、私は、手描きが、すごく好きで、それを世の中から失くしてしまったらいけないと思っているので、この映画にも使ってみたかった。ブランドを立ち上げた時から、この思いは強く今も変わりません。私の考え方の重要なもののひとつなんです。


『アニエスベー』に使用されているあの見慣れた書き文字が随所に登場する。もちろんアニエス自身によるもの。
テーマとして
偏見や虐待を扱う意味。

―この作品で、一番言いたかったことは何だったのでしょう。

アニエス:テーマは、偏見を取り去るということ。人はそういう間違いを起こしやすいものです。ピーターを誘拐犯人だと思い込むことは偏見からなのです。例えば、この作品は、アラブ首長国連邦の首都、アブダビで行われた『アブダビ国際映画祭』で賞を頂きましたが、そこで私は、その思いを強くしたものです。アブダビの女性たちは体の線に沿ったパールだらけのドレスを着ているような人もいれば、黒いベールの下にちらりと金色の綺麗な織を見せていたり。皆、独自のオシャレを楽しんでいました。アラビアのロレンスのような出で立ちの映画祭の主催者は、夜はその正装のままでテクノ音楽で踊っていました(笑)。想像がつかないでしょう? イスラム教というと即、過激派をイメージしてしまう。決めつける前に、まず、真実に目を向ける心が大切です」

―もう一点の題材は、父親による娘への暴力。現代の社会問題ですね。

アニエス:これは、もう、むしろ、普遍的な問題として、また女性としては極めて重要な問題だと思います。ですから、今回の映画では、現代なのか、数十年前なのかをあえて曖昧にしました。車やインテリアなど、今の時代性を排除してみたんです。児童虐待と言う点では、虐待を受けた子供たちをサポートする組織を女優のキャロル・ブーケが作っていて、その組織も今回この映画を観てくれて、そういう事実を広く知らしめてくれる良い映画だと言ってくれましたよ。

―キャロル・ブーケの名前が出たところで、かつてのココ・シャネルをはじめ、ジェーン・バーキンなどフランスの、力ある女性たちのチャリティ精神が思い出されます。身を投げ打っての支援活動には目覚ましいものがあった。あなたこそ、その筆頭に名を連ねるべき存在といえますね。

アニエス:そうですね。そうすべきだからです。できる立場ですから、やることが当然だと。困っている人がいたら手を差し伸べること、他人を愛することには喜びがあります。お互いに助け合い、与え合うということは本当に素晴らしいこと。人生一は度きりなんだから、自分の喜びとしてもやるべきです。

年齢を言い訳にしない、
諦めない精神が若さの源。

ー最後に、今までのお仕事に加え、今回また、映画監督となって、新たなものを生み出すということに成功なさいました。いくつになっても留まることを知らない、その若々しいエネルギーの源とは?

アニエス:人生にどん欲であること。自分にも妥協しないで、ここまでやってきました。何歳になっても、人生を生きることを恐れちゃいけない。自分を守り過ぎてもいけないの。そして、どんな時にも決して諦めないことです。年相応とか言って、どんどん諦めていくことが増えていくなんて、そんな人生は楽しくないです。

―これは女性の持つ社会的な問題を扱った映画でもあるのですが、大人のためのファンタジーであるとも思えました。自由を求める少女を迎えにきたのは、トラックを運転する中年の男ですが、それって、白馬にまたがる王子のメタファーではないでしょうか。

アニエス:そうですね、そのとおりです。映画の観方は自由でいいんですから。

***

真顔で語りつつ、急に少女のように無邪気になって言います。「この作品を観たヴィセント・ギャロからメールが来たのよ。彼、この作品、大好き!だって!」と言い、はしゃいで見せるアニエス。自分のために作った初の監督作品は、問題作か、芸術か、はたまたファンタジーなのか。アニエスが、観る者のイマジネーションをグングンと広げてくれました。

より多くの人へと届くための公開が待たれるばかりです。


『わたしの名前は…』 

出演:ルー=レリア・デュメールリアック、シルヴィー・テステュー、ダグラス・ゴードンほか
監督:アニエス・トゥルブレ aka アニエスベー
脚本:アニエス・トゥルブレ、ジャン=ポール・ファルゴー
撮影:アニエス・トゥルブレ、ジャン=フィリップ・ブィエ
ゲストカメラマン:ジョナス・メカス
編集:ジェフ・ニコロシ
音楽:デビッド・ダニエル、ソニック・ユース
衣装:フランソワ・ユゲ
美術:アニエス・トゥルブレ、トマス・ケルトゥド、クレモン・コラン
原題:Je m’appelle Hmmm…
英題:My Name is Hmmm…
第7回アブダビ国際映画祭 チャイルド・プロテクション賞 審査員特別賞受賞
2013
年 / フランス / カラー、一部モノクロ / 
121分