映画で綴るニューヨークシティへのラブレター『ニューヨーク、アイラブユー』

(2010.02.25)

『ニューヨーク、アイラブユー』とは、
・視覚的にニューヨークと特定できるようでなければならない。
・ストーリーの終わりや始まりに「徐々に暗転」を用いない
など、「ある一定のルール」に基づきながら、世界各国から集められた個性溢れる11人の映画監督と、幅広い年齢層の豪華キャストによって思い思いに綴られた、いわばニューヨークシティへのラブレター。

フランス代表は『ぼくの妻はシャルロット・ゲンズブール』のイヴァン・アタル、ドイツからは『そして、私たちは愛に帰る』のファティ・アキン、中国から『鬼が来た!』のチアン・ウェン、アメリカから『そして、ひと粒のひかり』のジョシュア・マーストンや『モンスーン・ウエディング』のニューヨーク在住インド人監督のミーラー・ナイルらといった、いずれもひと癖ある監督が名を連ねる中、日本からは岩井俊二が参加し、オーランド・ブルームとクリスティーナ・リッチという贅沢なキャスティングで、閉塞感の中にポッとあたたかな感情をもたらすロマンチックなラブストーリーを生み出しています。また、映画界きっての才女ナタリー・ポートマンが、女優だけでなく監督も務めているのも見どころのひとつと言えるでしょう。

一見、これだけ濃い面々による作品が寄せ集まると、一篇一篇が短いこともあり、全体的にまとまりのない印象に陥ってしまうのでは? と懸念されがちですが、コーエン兄弟作品や『シカゴ』などのタイトルデザイナーとして有名なランディ・バルスマイヤーによる「ニューヨークの街を、走りぬけるタクシーの車窓やカフェ、ホテルの窓から記録するビデオアーティスト」の挿話が、それぞれのストーリーを自然につなぐ役割を果たし、オムニバスというよりは群像劇の趣きを醸し出すことに成功しています。

 

街は人々を映し出す鏡。

ゴダールやロメールら6人の監督によってパリのあちらこちらで撮影された『パリところどころ』(1965)や、同じコンセプトで18区ものエリアで制作され話題を集めた『パリ、ジュテーム』(2006)、ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノが東京を舞台に撮った『TOKYO!』(2008)など、ある一つの都市を題材に複数の監督が撮影するという試みはこれまでにも見られましたが、すべてに共通して言えることは、どんな魅力的な街であっても、そこに行き交う人々のあいだにしかドラマは生まれないということ。

「もし自分が映画を撮るならここを舞台にしたい」と街が作り手の心を掻き立てることはあれども、街はあくまでも人々を映し出す鏡にすぎません。描きたいことは、そこで出逢いすれ違う人々によって紡ぎだされる会話や、単調に思える毎日の中で繰り広げられる人生模様にこそあるのです。でもだからこそ、街が人々の心を育み、街を愛する人々の思いがよりその街の独自性を強める、といった街と人との間の切っても切り離せない関係性が浮き彫りになるのです。



「みんなここ(ニューヨーク)にくる。すべてを可能にする街だと思うから」と語るタクシー運転手に、すでに何かを諦め悟ったかのような瞳をした画家と思われる乗客が、「可能だよ。しばらくのあいだは」とぽつりと答えるシーンがあります。それがこの街が世界中の人々を惹き付けてやまない大いなる魅力のひとつであるとするなら、その舞台に登場する数百万人もの「主人公」が放つ一瞬のきらめきこそが、ニューヨークを光り輝かせているにほかなりません。

 

『ニューヨーク、アイラブユー』

2010年2月27日(土)よりTOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマ他全国ロードショー!

監督:岩井俊二、ナタリー・ポートマン、チアン・ウェン、ミーラー・ナーイル、イヴァン・アタル、ブレット・ラトナー、アレン・ヒューズ、シェカール・カプール、ファティ・アキン、ジョシュア・マーストン、ランディ・バルスマイヤー

出演:オーランド・ブルーム、ナタリー・ポートマン、クリスティーナ・リッチ、ヘイデン・クリステンセン、シャイア・ラブーフ、レイチェル・ビルソン、ジャスティン・バーサ、ブレイク・ライブリー 、マギー・Q、ロビン・ライト・ペン、ブラッドリー・クーパー、ジェームズ・カーン、ジョン・ハート、アンディ・ガルシア、イーサン・ホーク

http://www.ny-love.jp/