人生につまずく度にここぞとばかりに登場するのは、あのエリック・カントナ。『エリックを探して』

(2010.12.23)

いよいよ2010年12月25日 (土)より公開となるケン・ローチ監督最新作『エリックを探して』。これまでのケン・ローチ監督作品に共通する「労働者階級の生き様をリアルに描く」といったシリアスな社会派映画のイメージからすると、この最新作は予告の時点で思わず目を疑うほど、大きなギャップがあります。

©Canto Bros. Productions, Sixteen Films Ltd, Why Not Productions SA, Wild Bunch SA, Channel Four Television Corporation,France 2 Cinema, BIM Distribuzione, Les Films du Fleuve, RTBF (Television belge), Tornasol Films MMIX

うだつの上がらない中年男が、自身のスーパースターであるサッカー選手の等身大ポスターに向かって愚痴っていたら、なんと返事がかえってきて本人が目の前に現れた! なんてコメディ要素満載のキュートなストーリーを予感させる断片に、「え! これがほんとにケン・ローチ??」と驚かされること請け合いですが、実際映画を観てわかったのは、テーマやアプローチの方法こそ違えども、根底にはちゃんと(本人だから当然ですが)ケン・ローチの血が流れているということ。

しかもこの映画、フランス人のプロデューサー経由とはいえ、実在の元プロサッカー選手、エリック・カントナ自ら が企画し、ダメ元でケン・ローチサイドに持ち込んだ、というではないですか!

ちなみ に、エリック・カントナがどんなに偉大な選手であったかは、劇中要所要所に登場する、実際のカントナによる数々の名ゴールシーンとサポーターの熱狂的な歓 声により、予備知識がなくとも十分理解することができます。

©Canto Bros. Productions, Sixteen Films Ltd, Why Not Productions SA, Wild Bunch SA, Channel Four Television Corporation,France 2 Cinema, BIM Distribuzione, Les Films du Fleuve, RTBF (Television belge), Tornasol Films MMIX

母国のフランスサッカー界で活躍した後、イングランドのマンチェスター・ユナイテッドに移籍してチームを勝利に導いた一方、汚い野次を飛ばした観客を蹴飛ばした「カンフーキック事件」をきっかけに9ヶ月間の 出場停止処分を受けていたり、謝罪会見でマスコミを漁船に群がるカモメにたとえたりと、なかなかにやんちゃなお騒がせキャラとしても有名なカントナ自身がファンとの交流についていつか映画の題材にしたいと考えていたことなど、この映画が制作されるまでの過程を資料で読んでとても興味をそそられました。

通常の発想であれば、端からケン・ローチに撮ってもらおう! などと無謀なことは考えてもみないだろうし、たとえ頭の隅っこにケン•ローチは大のサッカー好き、との思いがよぎったとしても、これまで監督が積み上げてきた功績とは明からに毛色のちがうテーマをぶつける事はできなかったと思うのです。まさしくサッカーというフィールドで世界のトップを極めたエリック・カントナだからこそ実現しえた奇跡といっても過言ではありません。

©Canto Bros. Productions, Sixteen Films Ltd, Why Not Productions SA, Wild Bunch SA, Channel Four Television Corporation,France 2 Cinema, BIM Distribuzione, Les Films du Fleuve, RTBF (Television belge), Tornasol Films MMIX

サッカーのプレイはもとより、映画の撮影にしたって、なにより大切なのはチームワークのよさであることは間違いないし、エリック・カントナ自身、自らのプレイで一番印象的なのは「ゴールではなく、チームメイトへのパスだ」という名言を発し、主人公エリックが仲間に協力を仰ぎ起死回生の秘策を思いつく、というエンディングの大団円こそがこの映 画の醍醐味でもあるわけで、サッカーと映画撮影が引き起こした化学反応のすばらしさと相性のよさに感嘆せざるをえません。

映画ではカントナは格言好きという設定で、日頃から登場するたび何かしら格言めいたことを発言しているのですが、パニック障害が原因で置き去りにしてしまったかつての妻に、きっと今でも自分を恨んでいるだろうから、と会うのをためらう主人公に対しカントナはこう言います。「(彼女にとって)一番の復讐は赦すこと。髭を剃って会いにいけ。」これを聞いた時は正直目からウロコが 落ちる思いがしましたが、なるほど、この映画のキーワードの一つに「ゆるし」があることに気付かされます。

勝手し放題の息子を赦すこと。身近にいる他者に心を許して、コミュニケーションを諦めないこと。そして何よりままならない自分自身を許すこと。エリック•カントナはどうやら主人公だけに見えるメンターのような存在ですが、マンツーマンのプライベートコーチよろしく、主人公が人生につまずく度にここぞとばかりに登場しては、自身の経験を元に鮮やかな対処法を披露してくれます。

9ヶ月もの出場停止期間中、失意のカントナはいったい何をしていたのか。それはなんと吹いたこともないトランペットの練習でした。お世辞にも美しい音色とは言いがたいけれど、自身の専門分野とは全くかけ離れたことに挑戦してみること自体が、きっと人生の成功の秘訣じゃないかと思えてくるのは、それがカントナばかりでなく、70歳を過ぎて初めてハッピーエンディングの作品を撮ったケン•ローチ監督にも共通していることだから。

自分を自分で鼓舞する方法は、何も一つに決まっているわけではなくて、時には妄想が自らを救うことだってある。自分を守るために自分で作った思い込みに縛られていることも意外と多かったりする。

市井の人びとをリアルに捉えることの得意なケン•ローチが、独自の視点はそのままに、ファンタジーの要素を取り入れ完成させた新境地ともいえる『エリックを探して』。

エルヴィス•プレスリーの歌さながら、“ブルースエード•シューズ”が、主人公の輝ける青春時代と、ほろ苦くも再び煌めき始めた現在とをつなぐ小道具として登場するなど、ちょっぴりダサくてカワイイ演出も
見逃せません。

ぜひスクリーンで、どこまでも進化しつづけるケン•ローチワールドに触れてみてください。

©Canto Bros. Productions, Sixteen Films Ltd, Why Not Productions SA, Wild Bunch SA, Channel Four Television Corporation,France 2 Cinema, BIM Distribuzione, Les Films du Fleuve, RTBF (Television belge), Tornasol Films MMIX

 
 

ストーリー

マンチェスターの郵便配達員エリック・ビショップは、10代の息子、ライアンとジェスと3人暮らし。2人とも、7年前に出て行った2度目の妻の連れ子だ。ある日、エリックはパニック障害の発作で車をぶつけてしまう。翌日、病院から帰宅すると、家の中は乱雑で、ライアンは女の子を連れ込み、ジェスは学校に行かず寝ていた。思わず激昂したエリックは、枕をあたりかまわず打ちつけ、ジェスの部屋を羽根だらけにしてしまう。

元気のないエリックを心配した郵便局の仲間たちは、エリックの家に集まる。仲間のミートボールが読み上げる自己啓発本の指示に従って、各自「師と仰ぐカリスマ」を言いあう。サミー・デイビス・Jr.、フィデル・カストロ、ネルソン・マンデラ、マハトマ・ガンジー。エリックの師は「エリック・カントナ、“キング・エリック”」だ。90年代前半にマンチェスター・ユナイテッドで大活躍したサッカー選手。みんなも口々に「彼は最高だ」と賛同する。

夜、自室でハッパを吸いながらエリックはポスターのカントナに話しかける。「欠点だらけの天才。欠点だらけの郵便配達員。あんたも自己啓発を? 自殺を考えたことは? 誰に愛された? 心配してくれる人は? 俺の憂鬱の理由がわかるか? 一生後悔するような失敗をしたことは?」……そのとき、背後から「君はどうだ?」と声がした。振り向くと、暗がりに立っているのは、カントナ本人だった!!

 

エリックを探して

2010年12月25日(土)、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー
出演:スティーヴ・エヴェッツ/エリック・カントナ/ジョン・ヘンショウ/ステファニー・ビショップ
監督:ケン・ローチ(「麦の穂をゆらす風」カンヌ国際映画祭パルムドール受賞)
脚本:ポール・ラヴァティ
配給:マジックアワー+IMJエンタテインメント
英語タイトル: LOOKING FOR ERIC
公式HP: www.kingeric.jp