今年の『東京国際映画祭』に教えてもらったこと。

(2010.11.15)

10月の22日から31日まで開催された東京国際映画祭も、今年で23回を迎え、盛況のうち無事終わりました。

その年の、ベルリンから始まり、カンヌ、ベネチア、トロントの順で開催される各映画祭の中で、トリを務めることにもなる東京の国際映画祭。

今年は、ベルリンでは、寺島しのぶ、トロントでは深津絵里と、日本の女優陣が次々と快挙を得て、世界で通用する実力を発揮し、映画祭というステージがいかに映画と、映画に関わる人を育てる場であるかを明らかにしました。

今回の東京国際映画祭は、私にとっても、学びの場そのものでした。
映画を学ぶというよりは、世界のことを学ぶ、まさに国際性とは何かということを、今一度考えるヒントになったのです。

「映画は国際言語である」
とは、大プロデューサーのジェレミー・トーマスの説得力ある言葉。

今回で7回目となるこの映画祭のマーケット部門であるTIFFCOMが企画した、ビジネスセミナー(ユニジャパン エンタテインメントフォーラム/「ジェレミー・トーマスが語るアジアとの共同制作とは」)で語った印象的なメッセージです。

彼は、時代劇の名作『十三人の刺客』をリメイク、三池崇史監督バージョンを完成させ、日本でも若い世代の心を捉えて大成功させた映画製作の第一人者として知られています。

過去、大島渚監督作品、『愛のコリーダ』、『戦場のメリー・クリスマス』、『御法度』で製作を手がけ、どの作品も国際的に高く評価されたことは誰もが知るところです。もちろん、あのベルナルド・ベルトリッチ監督『ラスト・エンペラー』は映画史上に残る秀作で、これもジェレミー・トーマスのプロデュース作品の代表格です。

『ラスト・エンペラー』では第二次世界大戦で日本軍が行った蛮行、虐殺が描かれ、日本上映でのカットの是非が問われ、国際問題を扱った作品としても注目され、中国最後の皇帝溥儀が描かれていて、日本人にとっては見逃せない作品だったことを憶えています。
坂本龍一が映画音楽を手がけアカデミー賞を獲得したことも私たちにとって誇らしいこととなりました。ことのきっかけを作ったのも、この名プロデユーサーの存在あったればこそでした。

いずれの作品にも、外から見た日本の世界観が織り込まれており、どれも、当時の映画祭にも出品され注目の的でした。

彼の話によれば、大島監督と出会ったのもカンヌ映画祭であったといいます。
国々が国境を越えてコラボレーション出来る場が映画祭であり、映画づくりそのものでしょう。
そこには何の障害も立ちはだかることはないのです。

一方で、最近のニュースを知るにつけ、私たちはまだまだ、世界で何が起きているか知り得ないまま、世の流れに漠然と身を任せているように思えます。
今回の東京国際映画祭の作品の数々を観るにつけ、そう痛感させられ、本当に学ぶところが多かったと言えるのです。

こんなに世界中の情報がネットなどで容易く手に入るにもかかわらず、未だ井の中の蛙の様な頼りない自分に、一挙、今回の映画祭の作品は、様々な国々の世界観をたやすく教えてくれた思いがします。
いえ、教えられたことになるのですが。

フィクションであったとしても、しかし、それこそが、その国の今の時代の空気を感じさせるものであり、監督たちのメッセージがたっぷりと含まれている合成化合物なのであります。

ここ数年来、絶対目が離せない作品が、この映画祭にはたくさんあると感じてきました。
事あるごとに、おススメしてきましたが、“絶対配給されないであろう作品をこの機会に見る!”という切り口においての作品選びに、本気で今年も時間をかけました。後で観られる映画に時間を使ってはいられない。
 
もちろん、私の仕事の一つ、配給作品探しということもありますが、映画祭の後で公開される作品は、その時観ればいいと決めています。
もちろん、それら話題作をいち早く観ることの喜びというものが映画にはつきものですが、とにかく作品も年々増えて、観きれるものではないのですから、後で観ることが出来る作品は後回しで、本気で観ました。

特に、「ワールド・シネマ」のカテゴリーは毎年、全部観たい、観ておかねばならないという作品ばかり。
800以上もの応募から選ばれた15作品も貴重ですが、
今年は、優先して、このカテゴリー作品を観まくりました。
このところは、カンヌやベネチアで賞を獲得した作品であっても、その後日本配給されないものが多く、字幕もついていることですから、カンヌで観たとしても、東京で観なおすというプロもいるくらいです。

昨年はベネチアで最優秀男優賞をとった、コリン・ファース主演の『シングルマン』がこの映画祭でも大変注目され、日本でもよく知られるカリスマ・デザイナー、トム・フォードの初監督作品として、ちょうど今年の秋にロードショーが実現しました。

そんな風に、公開されるべく評価の高い作品であることは映画ファンには、とっくに気づかれていますから、このカテゴリーのどの出品作品も早いうちから満員御礼でした。
 
その中でも、ビンセント・ギャロが今年のベネチアでは最優秀主演男優賞を獲得した『エッセンシャル・キリング』(監督イエジー・スコリモフスキ)は、テロリストの死が全編に描かれる残酷で美しい映像作品。
ほぼ、台詞がないという演技も高く評価されたことになるでしょう。
追手に追い詰められ、死を待つまでの間も、人間は生きねばならない。生まれたら、いつかは死ぬ運命を持つ命というものの旅。逃避行の短い時間が、まるで私たちの一生を暗示しているかのように美しい時間を描いて圧巻でした。

アラブ地域が舞台であっても、アメリカとの対立は、私たちにも感じられるので、一般公開されて多くの方々に見て欲しい作品です。ギャロがアラブ側を演じているのもまた、意味があるところでしょう。

 

監督イエジー・スコリモフスキ『エッセンシャル・キリング』。生きるためだけの演技に迫真の演技が受賞を呼んだギャロ。
賛同を得るだけが作品作りではないという監督の姿勢に拍手。監督ヴェイコ・オウンプ―『聖トニの誘惑』

同じく、興味深かった作品がありました。
飽食の時代の究極の快楽的生き方、つまり死に至る生き方なのですが、それを考えさせる、強烈な風刺力がモノクロだからよけいに際立つ、これもロッテルダム映画祭などに出品された『聖トニの誘惑』(監督ヴェイコ・オウンプ―)。

悪魔からの誘惑と戦い、生涯のほとんど苦行を重ね、聖人として後世に語られる聖アントニウスから、インスパイアされた作品ということですが、悪魔からの誘惑は、現代の私たちの日常そのもので、そんなことをイメージさせる作品でした。

表現の自由がどこまで許されるかを問われるような、チャレンジングな作品でもありました。

映画祭に出品する多くの監督が皆共通して言っています。
「映画がハッピーエンドであっては、ハリウッドの映画になってしまうから、悲劇を、死を描こうとするのは当然のこと」
と。

そして、極めつけは今年度カンヌ映画祭で、惜しくもパルムドールを逃しグランプリを獲得した『神々と男たち』(監督グザヴィエ・ボーヴォワ)。
主演の神父を演じたフランスの男優、ランベール・ウイルソンが最優秀主演男優賞に輝いたことは記憶に新しい。

事実にもとづいた事件の映画化でアルジェリアにキリスト教を布教するためにイスラム教徒の調和を保ち慎ましく暮らしているが、イスラム過激派のテロの脅威にさらされる。これに圧することなく神を信じ、最後までフランスにも戻らず信念を貫いた神父たちの物語。

今の時代、「神も仏もあるものか」ということが真実だとしたら、聖職者たちの殉教とはあり得るのだろうか。その意味を問う、これも私たちが何を信じて、何をよりどころとして生きていけばよいのかを考えさせられるヒントをくれた作品です。

そういうことを日々、ちゃんと考えている日本人がいるならば、この作品だって一般公開されるべき作品なのですが。

それにしても、ランベール・ウイルソンはいい男です。いつ見ても。
過去、89年、やはり実在の、パリのホームレスを教会に住まわせたピエール神父役で『Hiver 54(54年の冬)』に出演し、ジャン・ギャバン賞を獲得。その頃の彼は、今より当然若かったわけですが、何しろ、聖職者の役をやらせたら、この人ほどよく似合う男はいないと思わせるところが素敵です。ラブロマンス役もたくさん演じてきている役者さんですが、今一つ女性との絡みはピンとこない。むしろ、聖なる男役となると色気も溢れるという稀有な存在。

その昔、さしでお目にかかり、確かに彼出演の映画は日本ではあまりポピュラーではないので、その理由を誰かに教えてもらいたいということで、なぜか私が選ばれ、一時間ほどお話させていただいたことがあります。もう、ムッシューぶりが素敵なのと、美男子なので、メロメロになってその時間を何とか無駄にしないことで精いっぱいの私でした。

『神々と男たち』では、草食系男子には持ち得ない、リーダーシップを、彼演じる神父は貫き通し、しかし、神をも恐れないテロリストとの静かなる戦いの末は……。
という内容の中に、彼らの生活ぶりが描かれ、例えば作物を作り、料理もし、その衣食住の佇まいを見ていると、実に男らしく、頼もしい。男の神髄が感じられるが、悲しいかなその男らしさは、女性のためにあるわけではなく……。なんか、そんなことまで考えさせられた作品だったのです。

聖職にある男たちというと、なぜか美しいもの。
話が飛躍しますが、『禅ZEN』で、道元禅師を演じた中村勘太郎の美しさに感動したことを思い出します。

ともあれ、まさにこの作品も、理不尽の極み、実際に起こった悲劇そのものですから、中東で起きているテロリズムの容赦のないことを目の前につきつけられる思いです。

神父たちを演じた男たちは皆、美しく輝いていた、監督グザヴィエ・ボーヴォワ『神々と男たち』

その他、なかなかに、唸らされたのは最優秀男優として、アカデミー賞受賞歴の誉も高い、フィリップ・シーモア・ホフマンが初監督を果たした作品、『ジャック、船に乗る』は、かつて、ウディ・アレンが中産階級の男女の交際模様を描いてきたとしたら、その真逆の、労働者階級の男女の恋物語を描き、サンダンスで高い評価を得ています。
 
恋に、幸せに臆病になってしまって大人になった、不器用なままに生きるニューヨークの男と女。デートはセントラルパークでボートでと考えるホフマン演じる男は、泳ぎを覚えないとデートが出来ないと思い、無我夢中で水泳を習う。この不器用さと純粋さは、すごくリアリティがあり、今の時代のニューヨークの片隅が浮かび上がってきます。

このように評価の高い作品を東京国際映画祭で観ることが出来ることは、本当に幸せな時間です。

デビュー当時から、カンヌの新人賞などを獲得し才能あふれるロマン・グーピル監督の今年度の新作、『ハンズ・アップ!』。
移民の追い出しに必死で、多くの悲劇も起こっているパリが抱える問題を、子どもの視点で描き、説得力を発揮していました。
現実のパリは、本当にきれいごとじゃないことが分かるのです。

そして、『戦場のピアニスト』で衰えを知らない実力を見せつけたロマン・ポランスキーの新作は、ベネチアで最優秀監督賞を獲得した『ゴースト・ライター』。
ユアン・マクレガーが主演。大統領のゴースト・ライターを引き受けるうち、前任のライターの死の解明に知らず知らず、巻き込まれていくあり様は、過去の作品で、ハリソンフォード演じた『フランティック』によく似ています。多くを知り得てしまうライターの運命が描かれます。
 

こんな感じで、合作による作品も多く、アメリカ、フランス、イギリス、ドイツをはじめ、ポーランドやエストニアまで、多くの国々が国際性を活かして作品作りに関わり、その国々が抱える現状を、芸術性も大いに発揮して完成させている、これら作品に触れることは、大変に価値あることと、例年になく痛感した次第です。

さらに、手を広げて今年は、グリーン・カーペットが売りのこの映画祭ならではの「ナチュラルTIFF」部門でも、優れた作品出会うことが出来、この映画祭がグレード・アップしたことを実感しました。

当然のこと、ドキュメンタリーが多いのですが、『断崖のふたり』は、伝説的実在の登山家の生きざまを映画化した作品で、K2だけが世界的な難関だと信じていた私の眼から鱗を落としてくれたし、その感動を裏付けるかのように、審査員特別賞もとったし、配給も決定。

『スペース・ツーリスト』も、自らが宇宙旅行を体験・生還して、宇宙旅行をビジネス化しようとチャレンジした女性にスポットを当て、旧ソ連の宇宙開発との関係性を鋭く描いていて、感心するばかりでした。

自分の知らないことが多すぎる。何となく国際ニュースを聞いては知ったつもりになっている自分が、とても小さく思えた日々でもありました。

そして、いつもトピックスのそばにいられる幸せを感じることが出来た映画祭でもあったのは、4年前にすでにコンペティション部門でグランプリに輝いたイスラエルの監督ニル・ベルグマンとの出会いでした。

監督たちを囲むパーティーで、
「この映画祭でグランプリをとった作品が、なぜ未だに一般公開されないんだ」
と、ぼやいていたこの監督と私は、今の時代、わかりやすい映画だけに人が集まる傾向がグローバル化していることに同感し、大いに盛り上がったのです。

その時、私はひょっとして、この監督の新作が今年もグランプリになるのではと、そんな予感がしたのです、慌てて翌日に『僕の心の奥の文法』を観ましたね。上手いこと、上手いこと。映画づくりの秀才です。

結果的に、私の勘はあたり、みごとに再びの最高賞グランプリ受賞となりました。

上手な作り手に乾杯。

クロージングパーティでは、私自身が祝福できる監督がいることも、大きな幸せでした。
 
映画があって、いろいろなご縁が生まれる。これも映画と映画祭の力。

ユアンもいいけど、首相役ピアース・ブロスナンが上手かったです。ロマン・ポランスキーの新作『ゴースト・ライター』
ナンガ・パルバットを地球上で最も標高差があるといわれるルパール壁から登った登山家ラインホルトの執念には感服するばかり。「ナチュラルTIFF」部門」『断崖のふたり』
成長がなぜか止まってしまった少年の細かな心象風景に心うたれました。イスラエルの監督ニル・ベルグマンの『僕の心の奥の文法』
母親役のイスラエルの女優さんが最高の演技でした。

「アジアの風」部門の審査委員を手がけた、新作に『死刑台のエレベーター』をお作りになった緒方監督の弁によれば、
「映画祭は多くの作り手に勇気を与えてくれる場所なのです」
と、素晴らしいメッセージをプレゼント。本当にそうです。

ぼやいていたベルグマン監督も、「ホントかよ、信じられない」を連発しながら、
大きな自信をこの映画祭でもらったことでしょう。

筆者が会った時は、受賞をするとは思っていなかった様子のベルグマン監督。

最後に、この映画祭のクロージングを飾った『タウン』は、ベルグマン監督たちの作る作品とは違って、アメリカン・メジャー作品。ベン・アフレックが主演・監督を果たしています。
この作品がまた、ものづくり精神において一本筋が通っている作品で、実に映画祭の最後を飾るにふさわしかったのです。
ベン・アフレックの才能は、あの『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』で、25歳の若さでアカデミー賞脚本賞を誰にも有無を言わせずかっさらい、圧倒的でしたが、このたびは、またまた、監督としての腕前をグーンとあげ、観る者を唸らせてくれます。
 
天は二物を与える。再度、確信しました。
アフレックに乾杯です。

公開も決まっていて、「映画祭で観なくとも、後でいくらでも楽しめる映画」にも、いいものはイイと感動し、思う存分、映画祭のクロージングまで楽しんでしまった私でした。

写真提供/東京国際映画祭広報部