福間雄三×髙野てるみ 対談
 時代を超えて心に響く

太宰 治の言葉。

(2013.11.08)

太宰治の残した小説の中の言葉にこそ、彼 自身が投影されている。「映画」と「本」という形で太宰への新たなアプローチを試みた『女生徒・1936』の福間雄三監督と『恋愛合格! 太宰治のコトバ66』の著者 髙野てるみさんが、その製作の舞台裏と太宰の魅力についてじっくり語り合いました。



photos / Peter Brune  ©2013 by Peter Brune、text / Reico Watanabe
cooperation / Bunkyo Gakuin University Faculty of Business Administration

■福間雄三 

(ふくま・ゆうぞう 写真・左)映画監督。1951年新潟県生まれ。高校時代から8mmフィルムでの映画制作に没頭し、大学卒業後も神奈川県職員として務めるかたわら短編映画を制作。2002年、映画批評のウェブサイト『ネット・リュミエール』を開設。’05年退職。兄である福間健二監督の映画『岡山の娘』 (’08)の製作ならびに記録、編集を担当し、’09年には短編映画『遺書』、ドキュメンタリー映画『私の青空・終戦63』を監督。2010年、「自由に映画をつくる・見せるシステムづくりを横浜から発信する」ことを目指し、映画館支配人、プロデューサー 福寿祁久雄と幻野映画プロジェクトを立ち上げ、2013年2月、長編劇映画第一回作品『女生徒・1936』を完成させる。ネット・リュミエール


■髙野てるみ 

(たかの・てるみ 写真・右)映画プロデューサー、編集プロデユーサー、シネマ・エッセイスト 。東京都出身。新聞記者、『anan』などのライター、編集者を経て、’85年、雑誌・広告企画制作会社『T.P.O.』を、’87年 映画配給・製作会社『巴里映画』を 設立。多くの映画配給を手がけ日仏合作『サム・サフィ』(’92)ではプロデューサーも。映画関連のレクチャーも行っている。著書に『ココ・シャネル 女を磨く言葉』(PHP 研究所)、『あなたを変える ココ・シャネルの言葉』(イースト・プレス)、『映画配給プロデューサーになる!』(メタローグ)、『恋愛合格! 太宰治のコトバ66』(マガジンハウス)がある。配給作品『パリ猫ディノの夜』がこの夏公開された。

革命を説く『斜陽』に繋がるラスト
60年代の若者の気持ちを代弁。

福間監督(以下 福間):1930年代に書かれた『女生徒』という短編を数年前に改めて読み直す機会があって、僕らの青春時代と太宰の書いた戦前の空気感がすごく似てるな、と親近感を覚えたんです。僕が太宰治の代表作である『斜陽』を読んだのは10代後半で、ちょうど1960年代の終わり頃でした。この『女生徒・1936』という映画の最後に登場する「私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれて来たのだ」という台詞は、実は『斜陽』のヒロインの「かず子」の言葉なのですが、そこに向けて全てのストーリーが集約される形でこの映画は作られています。『斜陽』は戦後の小説ですが、よく読むと本文中に「12年前」という表記が出てくる。遡るとちょうど『女生徒』の時代なんです。

髙野てるみ(以下 髙野):この映画はいわば「言葉の映像」ともいえるくらい、太宰の言葉を主軸とした作品ですよね。監督はなぜこのようなアプローチで撮られたんですか。

福間:太宰文学は過去に何本も映画化されているのですが、通常の映画の手法で撮ると、どうしても普通のドラマにしかならず、せっかくの太宰の言葉が死んでしまう。それなら太宰の残した作品を、そのまま彼自身の記録としてドキュメンタリー的に入れ込んでみたらどうか、男の太宰が女性の言葉で綴る文章を、実際に女優に語らせてみたら面白いんじゃないかと思ったのがこの企画の始まりなんです。『女生徒・1936』というタイトルには、2.26事件のあった1936年から’41年までの太宰という意味合いがこめられているんですが、’36年はちょうど日本映画がトーキーに変わる時期にあたることから、あえて字幕も意識して使っています。’37年の『燈籠』から、’39年の『女生徒』を経て、’40年の『きりぎりす』、そして’41年の『待つ』という4作品を一緒に持ってくることで、時代背景もしっかり浮かび上がらせられるんじゃないかとも考えたんですよね。

髙野:さらに、色がついていない役者を起用することで、太宰治のピュアな世界観が損なわれないというわけですね。


福間雄三監督作品『女生徒・1936』。タイトルには2.26事件のあった1936年から’41年までの太宰という意味合いがこめられている。映画は’37年の『燈籠』、’39年の『女生徒』、’40年の『きりぎりす』、’41年の『待つ』と年代順に語られる。写真は『燈籠』よりのワンシーン。

磨きぬかれた言葉の宝庫

太宰治の作品

福間:髙野さんがお書きになられた『恋愛合格! 太宰治のコトバ66』は、太宰の小説から言葉を抜粋されていますよね。フィクションなんだけれども、「それこそが太宰のコトバなんです」といっているところが僕の映画と少し似ているのかもしれません。

髙野:最近の女性は容姿端麗なのに、恋愛で迷ってばっかりでほんとにもったいない。そんなときこそ、太宰治の言葉がヒントになる。もっと人生を楽しみなさい、もっと自由に自分の可能性を生かしなさいって太宰は言っているんです。


「恋愛で迷った時こそ、太宰治の言葉がヒントになる。女性の本音のすべてを語っている。」と髙野さん。

髙野:太宰治という人は、自作自演をされた方ですよね。自分のやったことについて言い訳をしたり、心中までしたのに、自分だけ生き残ったり。あの時代にほとんど今の男女がやりそうなことを全てやってしまった人なんです。センセーショナルすぎて、いろんな人から叩かれたり批判されたりすることもあったけれど、男の人でこれだけ女性の思いを言葉に表して文学作品にしてしまえる人はまずいないでしょう。ほとんどの文豪と呼ばれる人たちの書いた女性は、男が考えた女でしかなく、すごく嘘くさくて私は好きじゃないんですが、太宰の場合は「両性具有なんじゃないか」っていうくらい、時代を越えて、女性の本音、それこそ、恨み、嫉み、妬みといった欲望のすべてを語っている。それはすなわち、太宰が女性とそれだけ付き合って、女を熟知していたということにほかなりません。

福間:髙野さんの本にも、映画と同じ『きりぎりす』の言葉が少し登場していますね。

髙野:実は、女性が主人公の短編シリーズは、「続編」のために残してあるんです(笑)。この本を書くにあたって、ほぼ太宰の全作品を読んで、ピックアップした言葉は500以上に上ります。そこから最終的に66に絞りました。66というのは、頂点を極めて、お金が象徴する物質的な執着から解放されるという意味を持った数字でもあるそうです(笑)。ちょうど『きりぎりす』のお話にも通じますね。

『女生徒』-女声の語り 少女漫画のような読みやすさ 
倫理観から解放された自由さ。

髙野:映画は『燈籠』からはじまって『待つ』に終わる4章から成っています。各章のタイトルバッグが着物の地紋の上にのっているところなんて、ちょっとお洒落ですよね。

福間:あれは映画で女優が身につけている着物を背景に使っているんです。

髙野:なんと最近の大学では「太宰は読むに値しない」と言う教師がいるそうですが、女言葉で綴られる太宰の短編などは、少女漫画みたいな読みやすさがある。他の作品より凛としているのも、太宰自身の実体験が入っているから。文学は、生き方そのものですからね。監督はなぜ、女言葉の作品だけを選んで、映画化されたのですか。

福間:太宰は『燈籠』の少女が好きだという弟子でもある作家 小山清に「あれは僕だよ」と言ったそうなんですが、たしかに女言葉の太宰の作品にはある種、倫理観から解放されて自由に自信を持って本音で書いているところがあるんです。それは、戦争に向かっていく時代だったからこそ書けたともいえる。太宰の小説というのは、「話体」であるがゆえに文学的見地から言うと軽く見られがちな面もありますが、太宰は生き方すべてを賭けて書いているから言葉が生きているんです。太宰の言葉は普遍的で何度聞いても飽きないし、映画を編集していてもどこかでカットできるものではないんです。

髙野:太宰はいわばコピーライターなんですよね。一行で全てを言い得ていて、しかも、太宰の言葉は錆びない。だからこそ、太宰の小説からどこか一行でも好きな言葉を見つけたら、それが人生の指針になるんです。

福間:それに、太宰は落語の流れをキチッと勉強していたから、冒頭の掴みも本当に上手いんですよね。

髙野:太宰という人は、本当は3枚目気質で、きっとみんなに笑って欲しかったんだと思うんです。以前、フランス人の女性監督との間で、太宰をテーマにした映画を撮ろうという企画があったのですが、「DAZAIは決して暗い人ではない。明るくて、人を楽しませることに終始した」と、彼女は太宰の本質をよく理解していましたね。


「太宰の小説は話体であるが故に軽く見られがちな面もあるがすべてを賭けて書いているから、言葉が生きているんです。」


女子だけでなく皆で考えたい 
「美しく生きる」とは?

髙野:少女の持っている残酷さは世界中で映画や文学の題材になっていますが、太宰も例外ではありません。

福間:「老醜」というのをすごく太宰は嫌がりましたよね。

髙野:そう。だから『カチカチ山』でもピュアな少女が兎で、老醜の狸を退治しちゃう。『女生徒・1936』の中にも「美しく生きたいと思ひます」という言葉が象徴的に登場していますが、「いかに美しく生きるか」が太宰本人も含めたテーマなんですよね。それはまさしく、すべての女性が求めていること。化粧品やサプリやプチ整形の力を借りれば、いくらでもきれいにはなれるけれど、ココ・シャネルも言っているように「きれいと美しいは全然違う」。美しく生きるのは美意識の問題なんです。

福間:太宰は切羽詰った孤独な状況の中で、自分の生きる覚悟として、女性の主人公に「美しく生きていきたいと思ひます」と語らせている。これはつまり、3.11後の日本の状況においても、誰かのせいにするんじゃなくて、一人ひとりがもう一回自分というものを見つめなおして、どう生きるかを考える、ということに通じるような気がするんです。きっと太宰も当時、そんな風に考えていたんじゃないかな。

髙野:震災も戦争も、大勢の人が亡くなり、残された我々がどう生きていったらいいかということをすごく考えさせられたわけです。「人として美しく生きていきたい」と願った太宰の言葉は、今の社会で指針を見失いかけている少年少女たちにも、ちゃんとその道筋を示してくれています。「自分なんて駄目だ、駄目だ」って口では散々言ってるけど、本心では思ってませんからね。太宰は(笑)。

福間:現代の若者たちも、「どうやったら美しく生きられるか」を真剣に考えながら、『女生徒・1936』を見てくれているようです。秋元康さんがプロデュースされているNMB48にも『太宰治を読んだか?』という隠れた名曲がありますが、恋愛に悩める女性はもちろん、NMB48のファンはじめ男性陣にも、ぜひこの機会に太宰を知ってほしいと思いますね。


映画『女生徒・1936』より。本作に髙野さんはコメントを寄せている。「女子にも変化(へんげ)する稀代の作家、太宰治が描く“女言葉”の作品群は、純粋で強くて、怖いくらい。時代に阻まれもせず、「ティーンエイジャー」「オリーブ少女」、「AKB48」の精神にも通じて、今に生きている。」

●イベント情報 髙野てるみ&福間雄三トークイベント
『美しく生きたい!太宰治の少女力を言葉と映画で読む』 映画『女生徒・1936』公開記念

映画『女生徒・1936』のシーンをみんなで見ながら、福間雄三監督と『恋愛合格!太宰治のコトバ66』の髙野てるみさんが太宰治の新たなる魅力についてお話します。

日時:2013年11月22日(金) 19:00~
会場:西武池袋本店別館9階池袋コミュニティ・カレッジ28番教室( 東京都豊島区南池袋1-28-1 )
参加チケット :1,000円(税込)
チケット販売場所:西武池袋本店書籍館地下1階リブロリファレンスカウンター
お問い合わせ:リブロ池袋本店 Tel:03-5949-2910

*『女生徒・1936』、『恋愛合格! 太宰治のコトバ66』はこの秋から文京学院大学経営学部 TAF実行委員会 太宰治プロジェクトとのコラボレーションをスタートさせました。

『女生徒・1936』
2013年11月23日(土・祝)より角川シネマ新宿・シネマ2にて2週間限定ロードショー
上映時間(1日2回上映)10:40、13:00

女性の語りで書かれた太宰文学の名作『燈籠』、『女生徒』、『きりぎりす』、『待つ』の4作品をもとに映画化。戦争に向かう過程から、終戦(『パンドラの匣』)そして戦後(『斜陽』)まで。時代を肌で感じながら、ひとり生きていく覚悟を決めた少女たちを包む光と影。太宰治の目を通じた、社会に対する抵抗と諦念が、繊細な言葉となって紡がれていく。

出演:柴田美帆、川原崎未奈、真砂豪、岡本裕輝、コンタキンテ、金子ゆい、本間健太郎、松下京子、真砂皓太
脚本・監督・編集 :福間雄三
原作:太宰治『女生徒』(角川文庫刊)、『太宰治全集』(筑摩書房刊)
製作 :福寿祁久雄
プロデューサー:櫻井陽一
撮影 :根岸憲一
音楽 :原将人、高野浩一

©2013 GEN-YA FILMS
『恋愛合格! 太宰治のコトバ66』
髙野てるみ著

言葉にこだわった元祖草食系男子・太宰治のピュアで珠玉の名言を、恋愛というフィルターで厳選した66のコトバ集。多くの作品からセレクトされたキーワードを伏字にしたマスキング方式で、謎解き感覚で恋愛力を磨ける一冊。読書推進運動協議会「若い人に贈る読書のすすめ 2014 」に選出されている。1,470円(税込・マガジンハウス刊)