イタリアの「今」を感じさせる2作品
『第25回 東京国際映画祭』より。

(2012.12.13)

老練のマルコ・ベロッキオ監督と
新鋭エリザ・フクサス監督。

前年に比べ、より多くの観客動員を果した『第25回 東京国際映画祭』。印象深かった作品2本、日本でも公開が待たれるイタリア映画をご紹介しましょう。

映画祭の最優秀作品賞「東京サクラグランプリ」を争う、コンペティション部門の『ニーナ』と、世界中の映画祭で評判となった作品をいながらにして観ることのできるWORLD CINEMA部門の『眠れる美女』です。会期中に観た方の評判も高く、来日していた、それぞれの作品の監督や俳優たちは満席状態の上映会に感激。喜びを隠せなかったそうです。そして、上映終了後の観客からの質問の熱気に驚かされ、その反応は期待以上のことで、この映画祭が世界一感動的であるという手ごたえを受け止め、受賞は取り逃がしたものの、大変幸せな気持ちで帰国することが出来たと言います。

ふたつの作品のうち、一つは現在72歳となったマルコ・ベロッキオ監督の『眠れる美女』。映画監督としての長いキャリアの中で、ベルルスコーニ政権中に起きた尊厳死の是非に揺れるイタリアを描いた、重厚でみごとな作品を生み出し、その老練な才能を見せつけました。今年のベネチア映画祭では、植物人間となった姉の死の延命に疑問を持つ弟役を演じたファブリツィオ・ファルコが、最優秀新人男優賞を獲得。

『ピアニスト』(’01)や『8人の女たち』(’02)などでも、只者ではない女性を演じたら右に出る女優はいないと言っても過言ではないほどの個性を持つイザベル・ユペールが、フランス女優でありながら、イタリア社会の問題を浮き彫りにして迫力の演技で引き立てます。これも、監督の手腕のうちだと納得させられました。

事実を元に作られた
ベロッキオ監督最新作『眠れる美女』

美しいタイトルが意味するものは、眠ったままで回復不可能な人間のことであり、医療が進んだ現代社会の中で、大事な肉親や友人、あるいは自分自身の尊厳死について、新たな思いを喚起させられる作品です。

イタリアでは日本より以上に、尊厳死はセンセーショナルな問題なのだということを、この作品によって知り、衝撃とともに新たな感動を覚えました。

ローマ法王のお膝元国家であり、敬虔なるキリスト教社会の中での死生観や倫理観を持っているイタリア社会では、尊厳死の是非に最終的な判断を下せるのが誰なのか、とても難しい問題であることを投げかけるのです。

映画では、愛する妻や娘が不運にも、生命維持装置によって命を繋がれ奇跡が起きるのを待っているような毎日を送る人々の、苦悩や勇気がきめ細かく描かれます。格調高い映像は、油絵のような重厚なタッチで観る者を圧倒していきます。

社会的地位を捨てようとも、妻の生命維持装置を勇気を持って取り外し、愛を確認しようとする男。父の行動を理解しようとする娘。父の行動が、新たな父娘の絆を作ります。

まだうら若い娘に維持装置をつけ、母としての愛情を注ぐイザベル・ユペール演じる富裕層の女性。その息子は何度も姉を開放しようと、維持装置を外すことを試みる。この母と息子の葛藤。

愛しているからこそ、生かしておく。愛しているからこそ、医療に頼らず、本来の命のままに。

どちらがいいのかの判断と決断。手を下すことは勇気なのか、罪なのか。

あなたならどうしますか? と迫る監督からの問いは、まるでサスペンス・ドラマのように、観る者をグイグイと引き込みます。


『眠れる美女』© Cattleya

安楽死の是非にイタリアが揺れた事件がヒント。

監督の代りに来日した、この作品に出演している俳優で息子であるピエール・ジョルジョ・ベロッキオさんは言います。

「エルアナ・エングラロの話は世界的に知られていたと思います。17年間も植物状態で、回復不可能だということが分かっていても、彼女の父親が安楽死を望むと、それは殺人であると糾弾される。それを罪としないよう、裁判所に申し出た。元々娘も、そういう状態になったら死なせて欲しいということを言っていたというので、その気持ちを尊重したいというのです。司法は、それを認めた。あくまで反対する、ローマ法王庁や民衆。エルアナを殺してはいけないという運動が起き、大騒ぎになった。これを政治に巻き込んでいったのがベルルスコーニ首相です。延命措置停止阻止法案を可決しようと動いたんですが、その直前に、皮肉なことにはエルアナ・エングラロ自身が死んでしまう。2009年に起きたこの事件を、父、ベロッキオは、現代の問題として映画にしたいと強く思ったのです。」

現代は、実際に起こった事件の衝撃度がオリジナルのものより勝ってしまうほど、事実は小説より奇なりと思うほどに、いろいろなことが起きています。そのこともあって、ベロッキオ監督は、どのようにこの事件を映画化するか考え、2年の歳月をも惜しまず、じっくりと練りあげたと言います。

ピエール・ジョルジョ・ベロッキオさんの役どころは、薬剤中毒で自殺願望の女性患者に生きる希望を与える医師。彼と患者の女性とのやり取りが激しく暴力的なのですが、前述の二つの家族のドラマの繋ぎ役も果たしています。

これほど患者に熱い医師が実際にいてくれたなら、死のうなんて思う患者も減るでしょうし、また、一人の患者にかまっている医師も問題ですから、きっとこの医師は、患者に恋をしてしまったに違いない。こんな場面でも恋や愛が生まれてもおかしくないのだから、映画って素敵ですね、と聞いてみました。

どう自由に生き、死ぬかがテーマ。

「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。しかし、患者に恋する以前に彼は医師なんですよ。もしも、誰かが窓から飛び降りようとしていたら止めますよね。腕を切ろうとしている人間がいたら止めますよね。恋愛感情を持ったとしてもそれは、結果であって、恋愛感情があるからやったのではないということは、わかってあげてくださいね。(笑)。仕事です、使命です、医師の。」

と、二枚目の彼は、役柄の医師になりきったかのように、はにかみながら答えてくれました。

そして、この映画は尊厳死をテーマにしたのではなく、生きる自由、生きる権利についてのメッセージを描いたものだとも言います。

「まさに、あの医師と女性の患者が登場する映画の最後のシーンが、そのことを象徴しています。窓が開け放たれ、彼女は死を選ぶことも出来ました。」

その結果は、観る者に希望を与えてくれるものでしたが……。

ジョルジョさんがくれた意見にも納得です。

尊厳死の是非は、最終的には、医療が必要以上に発達した現代において、私たち個々が問われる問題であることは確実です。しかし、答えはなかなか難しい。ならば、この作品は、神に問うためにも作られた映画だと言うのが正しいのでは、と感じたのは私だけでしょうか。

今までに40本以上も作品を作り続けてきた、ベッキオ監督ですが、最近の日本公開作品としては、歴史的人物の一人、ムッソリーニ首相に尽くした女性の生涯を描いた、『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』(09)が話題となったことは、記憶に新しいです。

今回作品の素晴らしさはもちろんですが、時代の中の、母国の問題をテーマに描かせたら、最高峰の作品を作るこの監督の次回作に期待してやみません。


『眠れる美女』で自殺願望のある女性を助ける医師役を演じたピエール・ジョルジョ・ベロッキオ。1974年、監督マルコ・ベロッキオと女優Gisella Burinatoの間に生まれる。幼少より映画に出演、俳優に。父の監督作品のほとんどに参加している。俳優だけでなくプロデューサーとしても活躍している。

『眠れる美女』 
出演:イザベル・ユペール、トニ・セルヴィッロ、アルバ・ロルヴァケル、ミケーレ・リオンディーノ、マヤ・サンサ、ピエール・ジョルジョ・ベロッキオ
監督、脚本:マルコ・ベロッキオ
プロデューサー:リッカルド・トッツィ

脚本:ヴェロニカ・ライモ

脚本:ステファノ・ルッリ

撮影監督:ダニエーレ・チプリ

編集:フランチェスカ・カルヴェ
リ
作曲:カルロ・クリヴェッリ
原題:『Bella Addormentata』
英題:『Dormant Beauty』
2012/カラー/110分/イタリア=フランス

*マルコ・ベロッキオ Marco Bellocchio イタリア、ピアチェンツァ生まれ。長編映画デビュー作『ポケットの中の握り拳』(65)はロカルノ国際映画 祭に出品され国際的な注目を集めた。他の作品に、ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞の“The Conviction”(91)『夜よ、こんにちは』(03)『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』(09)“Sorelle Mai”(10)など。2011年、ヴェネチア国際映画祭から名誉金獅子賞を授与された。
 
 

時代の倦怠感がスタイリッシュに描かれた『ニーナ』

一方で、映画初監督を果たしたという魅力溢れる女性、エリザ・フクサス監督の『ニーナ』は、ベロッキオ監督とは対照的存在です。

新人の良さを大いに発揮、実に自由に、スタイリッシュに、彼女自身のアーティスティックな美意識溢れる世界観が展開します。
主人公は間違いなく、フクサス監督自身であるような錯覚も与える、私的かつ、詩的な仕上がり。

今のイタリアの若い世代の気分と、心象風景を描き斬新な作品でした。

筆者の知り合いの言い得て妙な感想、
「カフェでコーヒーを飲みながら、一冊の文庫本を読んだ感覚が心地よい。」
まさしく、そんな気分にしてくれる作品であります。

しかし、それだけではなく、実は、‟癒され系“とも言えない、シリアスなテーマを孕んでいると、私は見ました。

一見美しく、ファッショナブルでスタイリッシュな表現ではありますが、実は、若い世代が抱える袋小路の不安感を描き、そこは、ベロッキオ監督とは方法論は違っていても、今のイタリアの側面のひとつをえぐり出していて、みごとです。

ヴァカンス好きのローマっ子は有名ですが、大学の博士号を獲るためヴァカンスに出かけられず、無人となったローマに残り、まるで地球最期の生き残りのような孤独感を味わう主人公ニーナ。彼女の気持ちや、取り巻く時間空間をシュールで、ファンタジックに描く映像は、多くの過去の映像をも彷彿とさせます。

例えば、イタリア映画界の代表的存在のフェデリコ・フェリーニ監督の『アマルコルド』(74)や、フランスのアラン・レネ監督の『去年マリエンバードで』(64)など。

フクサス監督に、これらのことを直接聞くチャンスをいただきました。


エリザ・フクサス監督『ニーナ』より。© 2012 Magda Film, Paco Cinematografica

美しいものを見せることが映画という仕事。

「もちろん、多くの名画を見ています。ものを作る時にはそれらからの蓄積がカタチになって表現されることは当然だと思いますし、むしろ暗号化されていくこともあるでしょうし、あえていいと思うものは真似しようとさえ思います。ニュージックビデオ制作も手掛けているので、音楽世界でのカバー作品も大好きですし、映画作家ではデビッド・リンチが好きですね」

そう答えるフクサス監督です。

やはり、『去年マリエンバードで』を主演したデルフィーヌ・セイリグを彷彿とさせる、イタリアの人気女優、ディアーヌ・フレーリの存在で、全編を引っ張り魅了。

日本の習字や折り紙などモチーフにし、『ローマの休日』を思い出させるスクーターを登場させたりと、ディテールへのこだわりに目が離せませんでした。

有名な建築家を父に持ち、自らも大学では建築を学ぶも、絶対建築家にはなりたくないと、卒業後は迷わず映像制作の道をまっしぐら…。が、建築学的効果も要所に垣間見られます。

誰もいないローマの不思議な空間のパースペクティヴや、支柱が連なる建築物に突如、巨大な折り紙の動物たちがからみつき、デコレーションとなるシーンなどが印象的でした。

「この映画は、プロットがあるような作品ではなくて、自分では、‟映画を書く“という意識でした。また、美しいと思うことをドンドン人に見せることが出来るのが映画だと思って作っています。それが映画の仕事だと。その仕事をしている自分は、とても幸せだとも思います。美しいと言えば、イタリアという国は、世界中から最も美しい国だと思われて、美の象徴でもあるはずですが、実は今、この国は様々な問題を抱えてもいるんですよね。」


エリザ・フクサス監督。1981年ローマ生まれ。大学で建築を学び2005年に卒業。07年に短編“Please Leave a Message”を監督し、イタリアのナストロ・ダルジェント賞でシルバー・リボン賞を受賞。それ以後、短編、ミュージック・ビデオ、ドキュメンタリーの 脚本、監督を手掛けている。

今、イタリアが抱えている問題を、言語を越えて映画で伝える。

そのことこそが、監督がこの作品を通して送りたかったメッセージに違いない。

美しいものを表現する時のヒントが、日本の伝統的な習字や折り紙であることは、大変光栄なことだけれど、その文化も実際の日本の日常からは遠くなっています。
文明が進み過ぎて忘れかけているもののことや、一人になる時間さえないほど追い立てられている、ネット社会に生きる世代の倦怠感を考えさせる作品でした。

今、イタリアが抱えるものが、何なのか、ワールドニュース等から知り得る世界とは全く別のやり方で、言語を越えて観るものを圧倒したり、納得させたり、発見をもたらすのが映画であることを痛感させられたのが、これら二つの作品でした。

その貴重な存在を選りすぐりで見せてくれる東京国際映画祭からは、これからも目が離せません。

そして、今年は、イタリア映画から、このように多くのメッセージをいただけたことを忘れません。

『ニーナ』  
出演:ディアーヌ・フレーリ、ルカ・マリネッリ、アンドレア・ボスカ、エルネスト・マイエ、ルイジ・カターニ
監督、脚本:エリザ・フクサス

製作:シルヴィア・パトリツィア・イノセンツィ、ジョヴァンニ・サウリーニ

脚本:ヴァリア・サンテッラ

撮影監督:ミケーレ・ダッタナスィオ

編集:エレオノーラ・カオ、ナタリー・クリストィアーニ

プロダクション・デザイナー:カーマイン・グァリーノ

衣装:グラツィア・コロンビーニ

作曲:アンドレア・マリアーノ
原題『Nina』
2012年/カラー/78分/イタリア |