ナタリー・ポートマンが格闘する
『ブラック・スワン』。

(2011.05.09)

母、ライバル、憧れ——三人の女性と一人の男性。

クラシックバレエの定番『白鳥の湖』で、主役のダンサーは、純真無垢な「白鳥」と、王子を誘惑する悪魔の手先「黒鳥」の両方を演じることになる。ニナに『白鳥の湖』の主役のチャンスが巡って来た。バレリーナだった母のサポートを受け、プリマ・バレリーナを我が夢と信じてきた彼女は、真っ先にそのニュースを伝えた相手はやはり母だった。喜びも束の間、演出家ルロイに「主役を演ずるには足りないものがある」と言われ混乱に陥る。優等生なだけのニナに「黒鳥」が踊れるのかと彼は挑発する。

ニナ役のナタリー・ポートマンは、『ここよりどこかで』(‘99)で、自分の夢と見栄ばかりに目がいき身勝手な行動をとる母に辟易する娘に扮した。母の気持ちは外の世界へ向かい子供のことなど省みない。再びナタリーが娘を演じたこの『ブラック・スワン』では、母親は省みるどころか、娘の生活をどこまでも管理しようとする。主役の重圧を感じるニナに、母親の期待が、重くのしかかり徐々に縛り苦しめる。

さらに彼女を揺さぶるのは、バレエ団の新人リリー(ミラ・クニス。彼女の鮮烈な存在感!)の登場。真面目に練習して来たニナにとっては衝撃的な人物だ。バレエに献身する彼女とは正反対、リリーは夜遊びもし酒も飲み男と遊ぶ、彼岸の存在。全く反対の個性でニナを脅かす。同時に、反対ゆえにニナは強い力で彼女とその世界に惹かれて行く。

もう一人は先輩プリマ・バレリーナのベス(ウィノナ・ライダーの、もはや怪演と言うしかない。よくぞと膝を打ちたくなるキャスティング)。ベスの楽屋からそっと口紅を盗むほどの、ニナにとっては憧れの存在で心の拠り所だった。だが、奇しくもニナが主役に選ばれることで、ベスの出番はなくなり、やさぐれてしまった。

庇護者としての母、切磋琢磨をするライバル、目標とする憧れの存在、そして一人の男性、どれもが一人前の女性へと成長するときに出会う面々かもしれないが、繊細なだけの「ホワイト・スワン」だったニナは次第に混迷を深めてゆく。

これをバレエ映画と呼ぶ? むしろ格闘技。

三人の女性の存在からくるストレスを、彼女はその相手にではなく、常軌を逸した形で自分自身に表し始める。幻覚と自傷行為。……それがとにかく痛い。身体的に痛いのだ(こういうシーンに弱い人は要注意)。見ているこちらまで(見ているだけなのに)「痛い!」と身体がすくむ。「おいおいなにもそこまで」と思わず監督に突っ込みたくなるほど、その行動は痛ましいものだ。

そんな行動をさらにエスカレートさせ、彼女を追いつめて行く「装置」は、闇と鏡である。闇は、彼女にとっては「足りない」とされた主役の要素だった。未知のものに対する彼女の怯えは、目に見える闇——普段ならば気にしなかったような深夜のスタジオの闇、アパートの夜の闇、周囲にある闇——に投影され増幅していく。もうひとつは鏡。バレエスタジオなのだから鏡があるのは当然なのだが、なんでもないトイレにある鏡も楽屋にある鏡でさえも、終始その存在が不気味だ。合わせ鏡でできる無限反射のように、鏡を見るたびに、ニナの恐怖は拭い難いものへと強度を増していく。

『ブラック・スワン』は、バレリーナというよりは、むしろ、強い思いに取り憑かれてしまった女性の格闘の記録と言える。一部で16ミリカメラを使われており、その粗いトーンは、隠し撮りでそんな女性の秘密を覗いているようだ。監督のアロノフスキーは、ミッキー・ロークが老体を晒したプロレスラーの映画『レスラー』を’08年に撮っている。この作品の主演のために数ヶ月特訓をしたローク同様に、撮影前に10ヶ月にわたってバレエのためのトレーニングをしたという(肋骨のケガに苦しんだそうだ)、格闘技級に「身体を張った」ポートマンは、このニナ役で第68回アカデミー賞(R)主演女優賞を受賞した。『ブラック・スワン』がなぜ作品賞ではなく、主演女優賞を獲得したのかは、このナタリーのコミットによるところが大きいだろう。

『ブラック・スワン』
監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ナタリー・ポートマン、ヴァンサン・カッセル、ミラ・クニス、バーバラ・ハーシー、ウィノナ・ライダー
2010年/アメリカ/1時間48分/シネマスコープ
配給/20世紀フォックス
5月11日(水)TOHOシネマズ 日劇ほか、全国ロードショー