『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』 ヌーヴェルヴァーグのアイドル、
二人の男の真実の物語。

(2011.07.26)

「ヌーヴェルヴァーグを知らずして、フランス映画を語るなかれ」と教えられ、誕生以来のそれら作品を繰り返し観ては、半世紀近くが経ちます。

フランス映画の「新しい波」と呼ばれ、フレンチ・シネマ革命と評され、それまでになかったテーマ性や、無名の俳優の起用や、ロケなどを多用した撮影方法などで、新しいフランス映画の誕生にチャレンジした作品と監督たち。

その存在は、今や映画史上の伝説です。

なかでも、アイドル的存在となったのが、フランソワ・トリュフォーと、ジャン=リュック・ゴダールでした。

その二人の作品と、作品に関わるインタビュー映像を緻密に編纂し完成した、『ふたりのヌーヴェルヴァーグ』は、まるで二人が蘇って、その頃を語っているかのようなドキュメンタリー映画です。

描かれる彼ら二人の、友情と別れ。映画に愛を捧げた男二人の、青春像を浮き彫りにしたこの作品はまた、彼らの映画づくりの軌跡を明らかにもした貴重なフランス映画史でもあるのです。

知っていたつもりの二人のことに、新たな真実があったことを知るにつけ、衝撃さえ感じるのは、私だけではないと思います。

『大人は判ってくれない』から始まった。

どちらかといったら、ゴダールが好きな私にとっての衝撃その1は、彼のデビューはトリュフォーの口ききがあってのことだったということ。

批評家として、それまでのフランス映画を、「旧態依然のモノである」、「カンヌ映画祭もマンネリである」などなど、歯に衣を着せない発言をしていたトリュフォー。彼の攻撃は現実味を帯び、何と、映画を批評するだけにとどまることなく、自ら映画監督となって、自説を証明して見せるのです。

初監督作品『大人は判ってくれない』が、文化大臣に就任したばかりの作家のアンドレ・マルローを感心させ、これぞ新しい映画であると推薦され、1959年のカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞します。

この作品は、まるで時限爆弾でした。

それまでのフランス映画を、一瞬にして化石同然にしてしまったというわけです。そんなトリュフォーは、余裕で、「ゴダール君を推薦しよう」と、カンヌからプロデユーサーに手紙を書き、大切に温めていたアイデアも彼に提供するという度量の大きさを見せます。そして、完成したのが『勝手にしやがれ』だったとは。

負けました、トリュフォーに。

と、私は、このドキュメンタリー、『ふたりのヌーヴェルヴァーグ』を観て、そう結論づけざるを得なくなりました。

衝撃その2は、トリュフォーが、イタリア映画界の巨匠、ロベルト・ロッセリーニ監督の助監督をしていたということ。そのロッセリーニこそがヌーヴェルヴァーグに多大なる影響を与えていたということ。

トリュフォーは、映画づくりの基礎や、王道を学んでいたからこその、破天荒でニューなチャレンジングができたというわけなのです。目から鱗でした。

お気に入りはゴダールか、トリュフォーか。

しかし、この映画を観るにつけ、知れば知るほど、いわば学級委員的なトリュフォーに敬服しつつも、私はますます、“ちょい悪坊ちゃん”のゴダールが好きになってしまうのです。

自由奔放な映画、『勝手にしやがれ』は、その後の第二弾とされる、『気狂いピエロ』とセットで、邦題も素晴らしく、「不良になるための美学」として、また、ファッショナブルな映画として、いつもこの胸に抱いてきた作品です。

私にとってのヌーヴェルヴァーグの入り口は、両作品に登場の、まだ無名だった、ジャン=ポール・ベルモンドのたばこの吸い方や、横じまのTシャツ、パリの街を突っ走る車だったり、恋のやり方や、情けない死に方だったり。

ジーン・セバーグのボーイッシュなお色気、第二弾のゴダール自らの妻、アンナ・カリーナのいい女ぶりなどを、モダンで粋に活かす才能が、ゴダールのセンス。それまでのフランス映画にないエスプリが爆発していました。

これぞ、フレンチ。そう、思いました。

当時おませな10代だった私たちの憧れ、生き方のお手本。

ベルモンドが、その後、フランス映画界をアラン・ドロンと二分する大スターとなったことも、ゴダールの眼のつけどころの良さ。

「ドロンを好くような女は野暮ったい女。ベルモンドを贔屓(ひいき)になさい」とは、うちの祖母の教えでした。


ヌーヴェルヴァーグのメタファーは、レオ―。

知性や教養を大事にはしたが、恵まれた家庭ではなかったといわれるトリュフォーの少年時代。それを救ったのが映画で、映画に幸せを求めた彼に対して、銀行創設者を母方の祖父に持つ、医者の家に生まれ育ったゴダール。学生時代はオシャレや車に夢中だった、そんな育ち方が映画に生きているのです。

トリュフォーが起用した俳優といえば、最後まで、トリュフォーの“息子“として存在し、時にはゴダールの助監督までして、さらに彼の作品にも主演してくれた、“ヌーヴェルヴァーグ王子”に徹した、ジャン=ピエール・レオー。
商業的な作品に身を落とすことなく全うした彼の俳優人生は、高潔さが眩しいばかり。

現在も68歳で活躍中の彼が、2001年のカンヌ映画祭の批評家週間に出品された『The Pornographer』で主演したときのこと。上映後にトークするとのことで、とりもなおさず会場に駆けつけた私でした。

予想以上の大入り満員で、やっと席を見つけたものの、大汗かいて洗面所に行けば、パリで買ったばかりの指輪をはずし、置き忘れるというあわてぶり。レオ―様といえば個人的には、そんな思い出が頭をよぎります。

今回のこの作品は、エンド・クレジット画面で、『大人は判ってくれない』の彼のオーディションの映像が流れ、実に自信たっぷりの少年であったことをも、明らかにします。

別れは、ヌーヴェルヴァーグの終わりなのか。

彼はトリュフォーの分身であり、ヌーヴェルヴァーグのメタファーなのです。ヌーヴェルヴァーグと共に生みだされ、時代とともに成長して、ヌーヴェルヴァーグの生き証人としての人生を全うしました。

証人としての最も重要な場面といったら、想定外の、もはや映画史上最悪というべき出来事、トリュフォーとゴダールの決裂です。

撮影の早いトリュフォー、編集の上手なゴダールと言い合っては、共同で仕上げた作品『水の話』をはじめ、互いの作品の手助けを惜しまなかった二人でしたが、時代とともに、映画に求める主義主張の食い違いが深まり、それぞれが歩み寄ることも不可能だったようです。

五月革命が起きた時に、そのことが明らかになったとされています。

政治的なことや、映画界での理不尽なことにも、一致団結して、率先して取り組んだふたりは、5月革命が起きたその年のカンヌ映画祭も中止に追い込むという力を発揮します。

が、進むべき道が、そのころから、すでに違っていたようです。より政治色を強くしたいと思うゴダール。彼からすると、その時代のトリュフォーを、フランスのハリウッド映画をつくる監督だとか、商業主義に向かっていると激しく批判したのです。反論したトリュフォーは、ゴダールこそ、政治的な問題に映画を利用している監督であると批判します。

友情は、伝説的作品を残し永遠となった。

このやり取りの後、52歳でトリュフォーが他界する間、二人が和解することはなかったといわれています。このことは、フランス映画界全体の痛手となり、事実上のヌーヴェルヴァーグの終わりを意味してもいました。

時代が、生まれも育ちも違った二人を結びつけ、また、時代の変化とともに、使命を遂げた二人が、それ以上一緒には、「新しい波」の中で活躍する必要も無くなったのでしょうか。

いろいろと考えさせるこの作品では、金字塔となった、それぞれの作品、『大人は判ってくれない』と、『勝手にしやがれ』のエンディングのシーンが、双子の様に酷似していることを明らかにします。レオー演じるドワネル少年と、セバーグ演じる女が未来を探し求めるかのように彼方を見つめ、映画は終わるともなく、終わるのです。

いかに二人が映画を愛する者同士の友情で結ばれていたかが、こんな場面からも、痛いほど伝わります。

しかし、最終的には、別れ別れになろうとも、二人が残した作品の数々は友情から生み出されたもので、今や永遠となりました。

「映画は若さを表現する芸術である」とゴダールは言い、「ヌーヴェルヴァーグの映画に嘘はない」とトリュフォーが言う。

このような心に響くふたりの言葉を沢山散りばめ、この映画を構成しているふたりの作品の数々を、もう一度観たいと思わせてもくれるのも、このドキュメンタリー。

『ふたりのヌーヴェルヴァーグ』は、そんな風に映画を愛する者たちの胸を熱くしてくれる作品に仕上がっています。

『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』

脚本/アントワーヌ・ド・ベック 監督/エマニュエル・ローラン
出演/フランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、ジャン=ピエール・レオー、イジルド・ル・ベスコ

7月30日(土)〜9月2日(金)新宿K’s cinema にて夏休みロードショー。以降、全国順次公開
配給:セテラ・インターナショナル

それぞれのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー監督特集

7月30日(土)~9月2日(金) 
『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』公開を記念して、ゴダール、トリュフォー監督作品を特集上映。
 

〈上映スケジュール〉

『女と男のいる舗道』
7月30日(土)~8月12日(金)15:45〜/8月13日(土)~9月2日(金)10:15〜
以下、連日15:30~
『大人は判ってくれない』8月13(土)・14(15日)・(月)    
『突然炎のごとく』8月16(火)・17(水)        
『あこがれ、ピアニストを撃て』8月18(木)・19(金)         
『女は女である』8月20(土)・21(日)        
『柔らかい肌』8月22(月)・23(火)        
『男性・女性』8月24(水)・25(木)        
『彼女について私が知っている二、三の事柄』8月26(金)・27(土) 
『アントワーヌとコレット、夜霧の恋人たち』8月28(日)・29(月)
『家庭』8月30(火)・31(水)        
『恋のエチュード』9月1(木)・2(金)  
上映館:新宿K’s cinema        
料金:1,300円均一(『ふたりのヌーヴェルヴァーグ』前売券及び整理券半券提示で1,000円) 
協力:角川映画株式会社、ザジフィルムズ