1本のシネマでも幸せになれるために – 11 - シャネルがいかに芸術にこだわったかを、ハード・ボイルドな美意識で描いた『シャネル&ストラヴィンスキー』

(2010.03.05)

昨年来、注目の的となったココ・シャネルの映画のことは、順に、このコラムでご紹介してきました。『ココ・シャネル』と『ココ・アヴァン・シャネル』です。今ちょうどDVD化されています。

今回ご紹介する、3本目の『シャネル&ストラヴィンスキー』は年明けに公開され、私の著書、『女を磨くココ・シャネルの言葉』が同時期にマガジンハウスから出版となったこともあり、そこで思う存分思いの丈を書き、燃え尽きた…。なんていったら、あまりに自己陶酔的でしょうか。自分勝手な。

この著書のまえがきにも書きましたが、著書をまとめようとしたきっかけのひとつが、昨年のカンヌ映画祭のクロージング作品として注目された、今回の作品『シャネル&ストラヴィンスキー』の存在だったのです。

音楽界の“アナーキスト”、ストラヴィンスキーを演じるのは、『007/カジノ・ロワイヤル』で、冷酷でサディスティックなボンドの敵役で注目されたマッツ・ミケルセン。

ストラヴィンスキーの音楽は、少女の頃の私には、好奇心を満たし、想像力を歓喜してくれる存在でした。『春の祭典』のあの、プリミティヴで一種、魔術的な響きは、初めての時は、恐ろしくて一人では聴くに堪えなかった記憶さえあります。その作曲家が、ココ・シャネルと恋愛関係にあったなんて、ついぞ知らず、ショックでしたし、そのあたりから、あわててココ・シャネル再研究にとりかかったという、この本を書くきっかけは、そんな感じでした。

知ってるつもりでいたココ・シャネルに取り組んでいるうち、自分が知り得た、彼女の生きた証し。それは彼女の口から出る言葉であり、それらが宝石のように散りばめられ、彼女の人生の軌跡を形作っていることに行き当たりました。彼女が饒舌なことは、それまでの映画にも顕著だったと思いますが、彼女が残した名言の数々は、今の時代にこそ、私たちに役立つことを確信し、この本を完成させたわけです。

ココ・シャネル3作品と、衣装提供したフランス映画の名作の写真と解説も満載の『女を磨くココ・シャネルの言葉』(マガジンハウス刊) 

ですから、この本に書いた『シャネル&ストラヴィンスキー』の解説をぜひ一度、お読みください。新作3作品に加え、過去のシャネルが衣装提供したフランスの名だたる監督が作り名作として知られる映画を写真入りで載せた、映画のこともわかる、美しい一冊です。(このウェブマガジンのリブロ・トリニティにも紹介していただいていますが、発売して間もなく、重版していただき、アマゾンでも恋愛論としては、堂々の1位に輝きました。)

もちろん、この作品のことは、シャネル新作第3弾として、ここでも詳しくご紹介しようと思ってはいたのでしたが、本が出来ると同時に、私の母が亡くなり、この母の事もまた、シャネルの本のあとがきに書いていて、あまりに突然のことでしたので、このところのひと月余りは、母のことのあれこれを最優先していたものですから、そんなこんなで、配給会社の方にも、お許しいただき、この作品のご紹介が出来ないままになっていました。
が、今になってやはり書かねばと思ったきっかけは、やはりシャネル様がお許しにはならなかったに違いなく、また、彼女の御引き合わせでしょうか、実は2月にNHK教育の「芸術劇場」で、何とパリ・オペラ座公演で、『バレエ・リュス』を観ることが出来たことからです。

今までの2本の作品では描かれていないココ・シャネルの偉業のひとつ、芸術家たちへの支援のシャネルの力は、意外に知られていませんが、あの伝説的プロデューサーの、ディアギレフが生み出し、天才的バレリーナとして知られるニジンスキーを世に知らしめた革新的バレエ。これを資金面や衣装提供など、陰で支えていたのがココ・シャネルであった事実。このことを讃える意味もあって、映画『シャネル&ストラヴィンスキー』は作られ、そこが観る価値も大きいと思います。

ゆえにストラヴィンスキーとの恋のエピソードも生まれ、彼だけでなく、今や時代を超えて伝説的芸術家として知られるピカソやコクトーなどの面々も、この芸術的バレエ創作のバを通じ、彼女のメセナによって成長したこと、そのことを彼女は世に知られないようにしていたことなどなど、知れば知るほど、彼女のカッコよさには本当に頭が下がるばかりです。

不況になるや否や、文化的な支援は凍結、打ち切り、どこかの国の偉い男性たちや立派な企業がギブアップしてしまうことを、匿名で実現させていた、ひとりの女性がシャネルであったなんて。
不覚にも、やはり知らなかった私です。

匿名だったからこそ私だって、大好きなストラヴィンスキーとの関係もまったく知らなかったわけで。凄すぎませんか? その生き方。
テレビで観た、そのバレエの斬新で特徴的なことといったら。誰もがそれまでは、考えたことのない踊りなのです。バレエと言えるかどうか、それまでのスタンダードを破壊することも目的で、それを世に問うニジンスキーの振り付け、シャネルの衣装、ストラヴィンスキーの音楽、ピカソの舞台装置。それを世に出したのは実は、誰あろうシャネルだったということを知ったら、誰もがウキウキと、幸せ気分になることでしょう。ますます、シャネルが好きになるはず。

私もそのお裾分けをいただき、昨年の晩秋にパリ・オペラ座で再現された「バレエ・リュス」の収録を観ることが出来たのでしょう。この幸せを感じられるのも、ココ・シャネルのことに関わったお陰で、このことはご褒美に違いない。また、ヤン・クーネン監督が監督したこの作品を観ていればこそ、私の感動はこのうえないものとなりました。そして、さらに確信したことは、思うに『ドーベルマン』の大成功で名を上げたこの監督が、なぜシャネルを?という疑問は未だにあったのですが、「バレエ・リュス」の内容を知ったお陰で、よーくわかりました。この作品の冒頭にも描かれていた『春の祭典』もそうですが、前衛的芸術は暴力にも等しいくらい、アナーキーでテロルで、衝撃的なんですから。

監督が描いたように、劇場内が騒然として大混乱となるのも当然です。ですから、この映画には、芸術家同士の恋もあり、香水誕生のエピソードもあり、また、シャネルの美意識があらゆるところに生かされたインテリアが再現されていたりと、実に美しい作品ではあるのですが、監督の狙いは、冒頭の“アクションシーン”にこそあり、と私は信じます。それを描きたいからこそ、シャネルにこだわったのだと。
どんな時代にも、人は未だ知りえないことに嫌悪を感じ、阻害しようとする。これは人間の本能ともいうべきこと。それを承知で、シャネル自身も、いつも、人がやらないことを、半ば発明のように実現してきました。実現するための勇気と決断には犠牲も払ったことでしょうし、成功させるための力は、アナーキーで、リスキーで、また危険を孕むものだったことでしょう。

このことを、当時、ストラヴィンスキーはもちろん、その他の芸術家たちに実現させ、ついには、今の時代になっても、ヤン・クーネンをも動かしたと言えるでしょう.。やられたなーと思う嬉しさを感じたい方は、この作品がDVDになる前に、迫力ある劇場でご覧下さい。まだまだ間に合います。

芸術とは何かを、終生シャネルは求め続けたのです。「服を作る自分は、芸術家ではない」とも言い続けました。

そのことをシャネル自身に代わって今一度私たちに問うた、映画の芸術家、ヤン・クーネンの代表的作品が、またひとつ増えました。



 

シャネルのモデルとしても活躍していたアナ・ムグラリス演じるシャネル。

『シャネル&ストラヴィンスキー』

監督 ヤン・クーネン

出演 アナ・ムグラリス、マッツ・ミケルセン

2009年/フランス/119分/カラー

配給 ヘキサゴン・ピクチャーズ

東京は、シネスイッチ銀座、Bunkamuraル・シネマ 2010年3月5日(金)まで
吉祥寺バウスシアター 2010年3月12日(金)まで
飯田橋ギンレイホール 2010年4月3日(土)から4月16日(金)まで 
ほか、大阪など全国順次公開予定あり