土屋孝元のお洒落奇譚。 『白磁の人』
浅川巧さんを知っていますか?

(2012.06.29)

「目で見る音楽」
白磁の魅力。

映画、浅川巧『道~白磁の人』を見る。

昨年、千葉市美術館まで足を伸ばして見た展覧会『浅川巧生誕120年記念浅川伯教・巧兄弟の心と眼ー朝鮮時代の美』展。茶の湯の師匠、阿曽さんよりのカタログレゾネを見せていただき、その完成度と白磁の素晴らしさに一目惚れして見に行きました。その展覧会が映画になったと聞いて ぜひにと、見に行ってきました。浅川巧さんは、戦前に朝鮮で白磁を収集し「白磁の人」と呼ばれた人です。

展覧会のレゾネの表紙になった白磁の何ともいえない色と形に魅了されました。浅川巧曰く「目で見る音楽」。これが白磁の魅力なんだなと、一人、納得。

映画では、荒廃した朝鮮の山々に植林する姿が描かれ、兄の影響により白磁に魅了されていく浅川巧のことが表現されていました。

柳宗悦が朝鮮民族の文化としての白磁を残したいと、当時の朝鮮総督府へ掛け合い、朝鮮民族博物館を作ることに兄と共に助力して白磁を収集していきます。

浅川兄弟が、この朝鮮の美を紹介したことにより、柳宗悦や当時の数寄者達(川喜田半泥子等)河井寛次郎、楠本憲吉、浜田庄司ら陶芸家が加わり「民藝運動」へと発展していったようです。

おそらく昨年見た千葉市美術館での白磁作品はこの時期に収集されたものでしょう。この白磁とは李氏朝鮮時代に焼かれた磁器の事で14世紀から19世紀まで制作された器です。当時の朱子学(儒教)の影響を受け、白の持つ潔癖さ、純粋さ、高潔さ、などから李朝と共に隆盛を極めます。日常の食器としても使われた道具達です。

白磁湯のみは、コーヒーを淹れても、果物を乗せても絵になります。

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千葉市美術館の展覧会で見たものは、大きな壺でも皿でも、花入でもフォルムがゆったりとしていて、美しく表現しようという気負いが無く、職人が作った手仕事の結果、こうなったのだなと思わせるモノでした。

白磁に描かれた植物など呉須の色味といい、惚れ惚れするような絵付けで、日本にはない  おおらかな表現が多く見られました。

僕も以前より、個人的に白磁には興味を持っていて、現代作家ものを普段使いの番茶の器などとして使っています。その器にはコーヒーを入れても、果物を盛っても見栄えが良く、食卓でも高台が安定して重宝しています。

もう一つお茶用に購入した骨董があるのですが、茶の湯の茶碗としては、少し大ぶりで、使いにくく、未だに箱に入ったままですね。見る角度により、少し青味を帯びて見える、乳白色の白磁の肌は何とも言えない色で美しいと思います。

もう一点、これも現代作家ものですが、白磁の硯は仕事机の飾りとして置いて、文鎮がわりとして使い、墨を摺ることはありません。

何だか墨を摺ると汚してしまうような気がするからです。

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映画に戻り、浅川巧は朝鮮の人達に溶け込もうと朝鮮語を流暢に話し、生活も朝鮮式にして努力するのですが、最初はわかってもらえず苦悩します。当時の日本人からは差別されたりします。若くして亡くなり、その時には、沢山の朝鮮の人達が棺桶を担がせて欲しいとやってきて、家族や親族は巧の心が理解されたのだなと納得します。

朝鮮の土に帰して欲しいとの遺言で埋葬され、その後、終戦になり日本が無条件降伏して朝鮮が独立すると、今まで差別していた日本人の家には暴徒が乱入して襲われるのです、暴徒は浅川宅にもやって来ますが、浅川巧の家だと言うと、暴徒達は何もしないで引き上げて行くのです。

今もソウル郊外の共同墓地に眠っていて、その墓碑にはハングルで「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」と刻まれているといいます。

この映画を見て、戦前の差別が厳しかった時代にもこういう人がいて、朝鮮と日本の文化交流を広めてお互いに理解し合えるように尽力したということを知りました。展覧会で見た浅川巧の集めた白磁や白磁の人と呼ばれた人物像がまた、よりいっそう深く理解できた気がします。

展覧会だけでも、映画だけでも、何か足りないような気がしました。

白磁硯は綺麗すぎていまだに使えません。

『道~白磁の人』
2012年6月9日(土)から新宿バルト 9、有楽町スバル座、他全国ロードショー
キャスト:吉沢悠、ぺ・スビン、酒井若菜、石垣佑磨、塩谷瞬、黒川智花、近野成美、チョン・ダヌ、チョン・スジ
市川亀治郎、堀部圭亮、田中要次、大杉漣、手塚理美
監督:高橋伴明
原作:江宮隆之「白磁の人」河出文庫刊
配給:ティ・ジョイ 製作:小説「白磁の人」映画製作委員会 /「道~白磁の人~」フィルムパートナーズ