緊張感の張りつめる会話劇で
近くて遠い距離を描く『別離』

(2012.04.07)

会話劇に徹した上質なサスペンス

前作『彼女の消えた浜辺』(09)がベルリン国際映画祭にて銀熊賞(監督賞)を受賞し、イラン国内外ともに多くの支持を集めたアスガー・ファルハディ監督の新作『別離』。本作は、同映画祭の主要三部門を独占するという史上初の快挙を成し遂げ、ついには米国アカデミー賞外国映画賞の受賞も果たした。保守的といわれるアカデミー協会会員がイラン映画にオスカーを授与したことは大きな話題となった。

映画は、裁判所における夫婦の離婚協議の場面からはじまる。娘の将来を考え外国(おそらくアメリカ)への移住を希望する妻、シミン。 一年以上の月日を費やし、やっと手に入れた移住許可書。しかし、夫のナデルは、重度のアルツハイマーを患った父親をひとり残して国を出ることはできない。娘の為ならば離婚もやむを得ないという妻。やむなき事情が家族を引き裂くーー。

別居状態に陥りながらも、未だ離婚という決定的な局面には至らないナデルとシミンの微妙な均衡。映画は、ふたりの間にもう一組の夫婦を巻き込みながら、ある事件をきっかけに交錯しはじめる彼らの繋がりをつぶさに描き出す。事件が映像として直にフレームのなかに切り取られることはなく、全ては登場人物たちの会話を通して語られる。

一見ただの諍いにも見える口論の場面が繰り返されるが、実はそれすらも巧妙に計算されていて、真相は、交わされる会話のなかから徐々に浮き彫りにされていく。安易な映像表現に頼らない徹底された会話劇には鋭い緊張感が張りつめ、その引力は見る者を強く惹きつける。それでいて、作品は単なる「謎解き」に納まらない。スリリングなサスペンスの根底に、私たちを衝つ何かが脈打っているのだ。

近くて遠い距離

離婚、介護、宗教、果てはイランの司法制度まで、様々な問題が織り込まれ、人間関係は複雑に絡み合っていく。自分を相手に伝えようと投げかけられる言葉の応酬。しかし、言葉を積み重ねるほどに人々はすれ違い、嘘や秘密が彼らを隔てる。繋がり合おうとすればするほど、広がってしまう自分と相手との距離。いくら言葉を費やしてもその隔たりが埋まることはない。

人は、言葉を持つことで、自分の意思を他者へと伝えることができる。だが、私たちのコミュニケーションがいつも完全に透明であるとは限らない。夫婦や親子、どんなに親密な絆で結ばれていても、そこに生きるのは個人と個人、お互いを完璧に理解することは難しい。「私」と「あなた」の間に横たわる目には見えない〈距離〉、誰もが皆、その葛藤を生きている。

コミュニケーションの多様化は、この〈距離〉が解消されるかのような錯覚を引き起こす。インターネットやSNSの登場によって人々の繋がりは、よりシームレスになったというが、果たしてそうなのか。この作品を見ていて思い出されたのが、昨年日本で公開された『ソーシャル・ネットワーク』(10)だ。ガールフレンドにフラれた青年が一念発起し、フェイスブックを創設するという物語で、こちらもスピード感のある会話劇が印象的な作品だったが、そこに漂っていたのは、互いに顔をみつめ合い言葉を交わすことへの深い諦念。失恋によって〈距離〉を突きつけられた主人公は、正面から相手と向かい合い言葉を交わすことを諦め、ソーシャルネットワークという〈距離〉の希薄な世界に逃避する。デヴィッド・フィンチャーの演出が、次第に曖昧になっていく登場人物たちの〈距離〉を、奇しくも見事に体現していたことは事実だが、それは彼自身の距離感がそもそも曖昧であったからにすぎない。『別離』は、それとは反対に、この〈距離〉を的確に描くことで、登場人物たちの葛藤をあぶり出す。

ほぼ全編が屋内で展開される本作で、演出は、ガラスや鏡、扉など、室内空間に点在する様々なモチーフを使い分けながら、登場人物たちが抱えるそれぞれの〈距離〉を巧みに表現している。和解なのか、破局なのか。彼らが抱えた〈距離〉がどちらに転ぶのかはまだわからない。しかし、豊かな広がりをもった、奥行きのある〈距離〉の描写は、肉体的な実感として私たちに強く響く。

映画において人と人が向かい合うとき、観客としての私たちは、どこに位置するのか。終盤、美しい瞳の少女がふたり、見つめ合う。その“狭間”で私たちは何を感じるのだろう。劇場を出た後、帰りの電車で、自宅で、喫茶店で、場所はどこでも構わない、この作品を共有した家族や友人、恋人と向かい合い、しっかりと彼らを見つめ、語り合って頂きたい。携帯電話やコンピュータの小な液晶に“つぶやく”その前に。

『別離』

製作・監督・脚本:アスガー・ファルハディ
出演:レイラ・ハタミ、ペイマン・モアディ、シャハブ・ホセイニ、サレー・バヤト、サリナ・ファルハディ、ババク・カリミ
撮影:マームード・カラリ
編集:ハイェデェ・サフィヤリ
2011年/イラン/123分/カラー/デジタル/1:1.85/ステレオ/ペルシア語
配給:マジックアワー、ドマ
4月7日(土)より、Bunkamura ル・シネマほか全国ロードショー