ベルリン銀熊受賞から2年。
若松孝二監督、最新作の公開相次ぐ。

(2012.03.22)

映像から立ちのぼる
60年代アヴァンギャルドな薫り

 真っ黒な溶岩の砂漠がどこまでも続いていく。
 走っていく全裸の女。追いかけていく全裸の男。
 奇妙なスローモーション。
 真っ赤なプールで泳ぐ女。
 覗き見をする警官と青年。

目の前の光景は、己が見ている現実なのか、他人が見ている幻なのか。夢とも現実とも判然としない映像に流れ込んでくるのは、知る人ぞ知る元ソニック・ユースのジム・オルークが奏でる音楽だ。

60年代アヴァンギャルドな薫りが濃厚なこの映画の正体は、今年76歳になる映画監督・若松孝二の最新作『海燕ホテル・ブルー』(2012年3月24日、テアトル新宿ほか全国公開)である。2年前に、四肢を失った帰還兵と妻との密室劇を描いた『キャタピラー』で、主演の寺島しのぶさんに日本人35年ぶりのベルリン国際映画祭銀熊賞をもたらした鬼才だ。60年代にはエロスとバイオレンスを描いた作品を次々世の中に送り出し、当時の学生たちに熱烈に支持された独立プロの草分け的存在。これまでにメガホンを取った作品は100本以上というこのベテラン監督が、何故今また、これほど前衛的な作品を作り出したのか。

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原作は、若松監督の盟友で、ハードボイルド小説の旗手・船戸与一さん。辺境の地の個的な闘いを描いた小説の多い船戸さんにしては異色の、男が女を巡って裏切り裏切られ、破滅していくという情念の物語だ。

ハードボイルドの大傑作『郵便配達は二度ベルを鳴らす』のオマージュとして書いたというこの小説は、もともと、若松監督に映画化して欲しいという船戸さんのラブコールがあったのだという。

「煮るなり焼くなり、若松さんが好きに料理して構わないって、船っちゃんが言ってくれたんだよね」と監督は言う。そして、その言葉通り、出来上がった映像には、男が女によって仲間を裏切り破滅していくという、小説の骨格部分は辛うじて残っているものの、原作に存在しない不思議な警官やらゲバラのTシャツを着た青年やらが登場し、原作とはおよそかけはなれた世界が広がっていた。

『海燕ホテル・ブルー』より。
現場主義の若松演出に
五感をフル回転させる役者たち

映画のトップシーンは、北国の刑務所前。出所したばかりの男(幸男)が歩いている。彼の目に復讐の炎が燃えている。彼が向かったのは、7年前に企てた現金強奪の現場から逃げ出したかつての仲間が暮らす町。裏切ったもう一人の仲間に落とし前を付けさせるために……。

と、極めてハードボイルドにスリリングに映画は始まる。しかし、幸男が落とし前を付けさせるべく、島へと向かう船に乗り込んだところから、次第に映像は不思議な歪みの中に落ち込んでいくのだ。

「例えば、目の前の風景を、みんな当たり前に共有しているつもりになっているけれど本当にそうだろうかって僕はよく考えるんですよね」と若松監督。

今、自分の前には美しく豊かな光景が広がっている。でも、実はこれは、荒んで乾いた砂漠なのではないか。目の前に美しい女性がいる。しかし、実は本当は彼女は死んでいる人間なのではないか。そんな不思議な事を、しょっちゅう考えるのだという。そのイマジネーションの世界が、縦横無尽にスクリーンに広がる。

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目の前に、しわだらけの老婆が立っている。
「海燕ってホテル、ありますか?」と、道を尋ねる幸男。老婆の後ろ姿は、白いドレスの若い女に変わっている。ホテルを探して岸壁を歩いて行く幸男の視界の端で、白いドレスの女の姿が揺れている。

1年後、出所してきた幸男の仲間が、同じ景色の中で同じ会話を繰り返す。こうして男たちが共有した幻想は、加速し、ノイズを増しながら、黒い砂漠の裂け目の奥底へと男たちをいざなっていくのだ。

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「フィルムのつなぎ間違いじゃないですからね(笑)。僕のイメージを膨らませていったら、ヘンな作品になっちゃった。とにかく、原作とも違うし、脚本家に書いて貰った台本ともかけ離れちゃったんですよ。現場でも本はどんどん変わったし」

もともと、現場主義で、細かいカット割りなどせず、役者に現場で自由に演じさせる事で知られる若松監督。口癖は「台本を信じるな」。映画監督としてはあまりに非常識な物言いに、最初は戸惑いや腹立ちすら覚える役者も少なくない。が、ひとたび若松組を味わうと、ヤミツキになるのだという。

「なんかね、4年前に『レンセキ(実録・連合赤軍 あさま山荘への道程)』に出た若い役者さんたちが『若松塾だ』、なんて言って、僕が撮るっていうと集まってきてくれるんですよ」。

実際、『海燕』の出演者は、地曵豪さん、井浦新さんを始め、『レンセキ』組が大多数を占める。
「『レンセキ』で培った役者同士の濃厚な一体感。これがなくして、『海燕』の現場はあり得なかった」と井浦さんが語っている。ものを言わない謎の女を演じた片山瞳さんは、初の若松組参加だったが、「周りの共演者たちに支えられて、怒涛の現場をなんとか完走できました。クランクアップ後は抜け殻みたいになってしばらく引きこもって本ばかり読んでました」と、激しかった現場を振り返る。

「若松塾」に、自然とスタッフが集まる。

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台本すら、ほぼその役割を果たせなくなっていた現場で、最も機能していたのは、日々、変幻自在に膨らんでいく監督の頭の中のイメージを掴み取ろうと、神経を集中し続けたキャストたちの嗅覚だ。
「うん、役者もスタッフも大変だったでしょうね。僕の頭の中にしかないイメージなのに、『バカ!違うだろ、そうじゃないだろ!』なんて怒鳴られ続けてましたからね」

でも、だからこそ、各自が五感をフル回転させて監督の熱やリズムを読み取り、ジャズのセッションのような現場が実現したのだ。

そこに、60年代若松作品をこよなく愛するジム・オルークの音楽がさらにノイズを加える。
「これは、二度と同じものは作れない、贅沢な作品ですよ。カット割りして絵コンテ書いて、あらかじめ決められた映像を撮るんじゃないんだから。僕だって、撮りながら、一体、この作品、どうなっちゃうんだろうって思ってた。決められたものは何もない。みんなが現場で自由に動き回って、気付いたらひとつの世界を表現しちゃった。そんな感覚なんだよ。映画って、すごいオモチャだろ?」とベテラン監督は笑った。

出演者は地曵豪、井浦新ら『レンセキ』組が大多数を占める『『海燕ホテル・ブルー』
みんなが現場で自由に動き回って、気付いたら1つの世界を表現するのが若松組の映画作り。
三島由紀夫に中上健次
骨太な人間ドラマが続く

実は、昨年、若松監督は『海燕ホテル・ブルー』を含め、合計3本の映画を自分で撮っている。若手監督でもなかなか成し遂げられない快挙、というか暴挙に近い。

1本は『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』。70年11月25日に、市ヶ谷の防衛庁内で割腹した文豪・三島由紀夫と、彼と行動を共にした楯の会の若者たちを描いた、骨太な作品だ。今年6月2日に全国公開する。

「作家として頂点を極めた三島さんが、何故、腹を切ったのか。命を賭けて、何を表現したかったのか。浅沼社会党委員長刺殺事件や全共闘運動、よど号、金嬉老といった60年代の社会状況の中で、三島さんがどのように生き、そして最期の日を迎えたのかを描きたかった」という。

三島由紀夫を演じたのは、井浦新さん。若松組の演出を知り抜いた井浦さんの、「三島のモノマネでなく、新君の三島をやってくれ」という若松監督の言葉に応えた演技は圧巻、人間ミシマの息づかいがスクリーンから伝わってくる。

そして昨年秋に撮ったのが、中上健次原作『千年の愉楽』。路地に生き、路地に死んで行った男たちと、彼らを生まれた時から見つめ続けたオリュウノオバという産婆の物語だ。

「中上さんとは、差別の問題でとっくみあいの喧嘩をしたことがある。それがきっかけでとても親しくなったんだ」という監督だからこそ描けた、中上ワールドだといえよう。路地で生きようともがく男たちを、高良健吾さん、高岡蒼佑さん、染谷将太さんら、今注目の若手俳優らが熱演。彼らを見守るオリュウを演じる寺島しのぶさんが、存在感を発揮した。今年の秋以降に公開予定だという。

自分でお金を作り自分で映画を撮り自分で配給まで行う、76歳になってもインディーズな男、若松孝二。今、最も注目度の高い監督の一人である。

『海燕ホテル・ブルー』

2012年3月24日(土)テアトル新宿ほか全国公開

出演:片山瞳、地曵豪、井浦新(ARATA)、大西信満、廣末哲万、ウダタカキ、岡部尚
企画・監督:若松孝二
プロデューサー:尾崎宗子
原作:船戸与一
音楽:ジム・オルーク
脚本:黒沢久子、若松孝二
ラインプロデューサー:大日方教史、大友麻子
撮影:辻智彦、満若勇咲
照明:大久保礼治
録音:宋晋瑞
編集:坂本久美子
ガンエフェクト:浅生マサヒロ
美術:野沢博実
整音:吉田憲義
助監督:大友太郎、冨永拓輝
スチール:岡田喜秀
メイキング:木全哲
題字:船戸与一


『海燕ホテル・ブルー』より。

『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』

2012年6月2日(土)テアトル新宿ほか全国公開

出演:井浦新(ARATA)、満島真之介、岩間天嗣、小倉一郎、長谷川公彦、タモト清嵐、寺島しのぶ
監督・製作・企画:若松孝二
企画協力:鈴木邦男
プロデューサー:尾崎宗子
ラインプロデューサー:大友麻子、大日方教史
脚本:若松孝二、掛川正幸
撮影:辻智彦、満若勇咲
助監督:河合由美子、冨永拓輝、山城達郎、山本剛
衣裳:宮本まさ江
音楽プロデューサー:高護
音楽:板橋文夫
照明:大久保礼司
録音:宋晋瑞
編集:坂本久美子
メイキング:木全哲
キャスティング:小林良二
スティール:岡田喜秀


『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』より。