アキ・カウリスマキ最新作美しく暖かい奇跡の物語
『ル・アーヴルの靴みがき』

(2012.04.20)

カウリスマキが描く人情の機微

主人公のマルセル・マルクス(アンドレ・ウィルム)は、かつてはパリで作家を目指していたボヘミアン。しかし夢破れ、今は街のしがない靴磨き。街を行く人々の足下を見つめ、靴の汚れを探す毎日だ。稼ぎは少なく、近所のパン屋や八百屋にはいつもツケが溜まっている。家族は外国からきたアルレッティ(カティ・オウティネン)と愛犬のライカ。アルレッティは、厳しい家計でも夫の食前酒に気を遣う良妻だ。そんなある日、仕事の合間にマルセルが港で昼食をとろうとしていると目の前に半身を海に沈めた黒人の少年が現れ彼に尋ねる「ここはロンドン?」。

この出会いと前後するようにアルレッティは重い病に冒され入院してしまう。彼女と入れ替わるようにマルセルと居を共にすることになったアフリカから来た不法移民の少年イドリッサ。イギリスに住む母のもとへ彼を逃がすため、隣人たちの厚い協力を受けたマルセルの奮闘が始まる。

前作の『街のあかり』以来5年ぶりの新作となる『ル・アーヴルの靴みがき』。本作の舞台は文字通り、ル・アーヴル。マルセイユに次いでフランス第二の規模を誇り、クロード・モネの絵画でも有名なこの港町が、“労働者三部作”、“敗者三部作”に続く“港町三部作”の新たな幕開けの地となるらしい。

カウリスマキにとっては今回がフランスでの二度目の映画製作となるが、一作目の『ラヴィ・ド・ボエーム』のときと同様、母国フィンランドを離れてもその作風は揺るがない。相変わらずの淡々とした台詞回しに、無表情な登場人物たち、だが気づくと彼の世界に強く引き込まれている。独特な青や赤の彩色を持った美しい光りが素朴な物語をささやかに彩り、見事な撮影と的確な編集がそれぞれのショットに息を吹き込む。独特のオフビートなユーモアのセンスと、先代の名匠たちに学んだ確かな映画表現によってル・アーヴルに生きる人々の様子が丹念に描き出されていく。

奇跡

不治の病に侵された妻、母を捜しやってきた不法移民の少年、カウリスマキの映画なのだから、おおよその結末は想像できる。そう、きっと奇跡は起こるのだ。私たちはその瞬間を待ち、心躍らせ画面を見つめる。だがそこには、かつてカール・Th・ドライヤーが描いてみせた『奇跡』(1955)ほどの神々しさはなく、あるのは質素な黄色の輝きと、優しさに満ちた微笑だけ。でも、それがあまりに美しい。

「奇跡が起きるかもしれない」と慰める医師に「近所じゃ起きてないわ」と答えるアルレッティは哀しげだ。しかし、映画を観終わったとき、私たちは彼女が間違っていたことに気づくだろう。毎日のあいさつ、食後の一服、友人と酌み交わす仕事終わりの一杯、そして夕食前のアペリティフ、そんな素朴な日常の断片がどれも愛おしい。劇的な奇跡の瞬間が描かれなくとも、そうして紡がれる日々の生活のなかには、すでに「奇跡」が息づいている。見舞いに訪れた夫を心配させまいと、青白い頬に急いで濃いめのチークを施すアルレッティ。その姿を見て涙をこらえる方法を、私は知らない。

最近、フランスでは映画館の全面デジタル化(シネマテークなどのアーカイヴは除く)が決定されたという。押し寄せてくるデジタル化の波…その流れにフィルムの輝きがいつまで抗うことができるのか。

映画の後半、マルセルたちが住む長屋のロングショットで、淡い色彩の小さな住居の向こうに、幾何学的で無機質なマンションが写し出される。暖かみのある家々の風景とそれに迫る近代的な建物のコントラストは、カウリスマキがこれから歩んでいくであろう険しい道のりを、おぼろ気に示唆しているかのようだ。

『ル・アーヴルの靴みがき』が教えてくれるように「奇跡」は、私たちの身近なところですでに起こっているのかもしれない。映画を取り巻く環境の変化の荒波の中で、かくも美しい奇跡の輝き、しかしそれは、デジタルのどぎつい光には押し潰されてしまうような一縷(いちる)の微光。その儚げな燦めきの感動を、いま一度劇場で瞳に焼き付けておきたいと思う。

『ル・アーヴルの靴みがき』

監督・脚本: アキ・カウリスマキ
出演:アンドレ・ウィルム、カティ・オウティネン、ジャン=ピエール・ダルッサン、ブロンダン・ミゲル、エリナ・サロ、イヴリヌ・ディディ、ゴック・ユン・グエンほか
2011/フィンランド・スイス・フランス/フランス語/93分/35m・DCP/カラー 字幕:寺尾次郎 配給:ユーロスペース

4月28日(土)より、ユーロスペースほかにて公開
4月21日(土)〜27日(金)「おかえり! カウリスマキ」特集上映