この夏は目にも耳にも香しいパキスタン映画を異なる「作法」も「文法」も軽々超えて
パキスタン発の音楽が世界をスウィング

(2016.08.03)

音楽には不思議な力がある。蛇口をひねるようにほとばしり始めた音のバイブレーションが、頭のてっぺんからつま先までを駆け抜ける瞬間。そんな音楽を体感できる映画が、今夏、日本に上陸する。イスラム原理主義の台頭とともに音楽を奏でる場を失ったパキスタンの伝統音楽家たちが、再起をかけて海を超え、ジャズの聖地ニューヨークへと乗り込んでゆく、爽快なドキュメンタリー映画『ソング・オブ・ラホール』だ。 今夏、美味しいパキスタン料理とともに、ぜひ味わって欲しい逸品である。
新たな「テイク・ファイブ」が世界をざわつかせた

多くの日本人がパキスタンについて抱いているイメージは、さほど多彩ではない。紛争の多い国、原理主義的なイスラーム化によって宗教的な対立が続く国。ニュースを通じて私たちが知る情報のほとんどは、それらのネガティブな色調に塗りこめられているようにも思う。かつて、パキスタンの街中では音楽が溢れ、豊かな文化が育まれていたというが、そうしたイメージを見つけ出すのが容易ではない。

音楽は理屈を超える。音楽は感情を揺り動かし、言葉にならない感覚の海へと私たちを誘い出す。そんな魅惑の世界を奏でる音楽家は、原理主義的な厳格さを基礎とする軍政の下で、心を惑わす忌避すべき存在とされて活動の場を奪われてきたのだ。

このままでは、パキスタンの伝統音楽が消えていってしまう!?

そう危機感を募らせた人物が立ち上がった。実業家のイッザト・マジードである。何百年もの間、芸術の都として栄えて来たパキスタンの中心都市ラホールで、伝統音楽を受け継いできた音楽家たちを集め、音楽スタジオ「サッチャル・スタジオ」を作り〝サッチャル・アンサンブル〟を結成したのだ。

「俺たちが生き残るには、世界のリスナーたちに向けて音楽を奏でるしかない」

こうして、パキスタンの伝統楽器を自在に操る音楽の職人たちは、新たな世界に向けてスウィングを始めた。独特の節回しやグルーヴ感でカヴァーしたジャズのスタンダードナンバー「テイク・ファイブ」はYou Tube上で話題になり、その強烈なエネルギーから生まれたバイブレーションはまたたくまに世界中に広がっていった。その音は、遠くジャズの聖地にいる天才トランぺッターの耳にも届いた。

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ラホールから世界に放たれたバイブレーション

彼らは海を越え、ニューヨークへ向かう。世界に知られるジャズ・トランペット奏者であるウィントン・マルサリスに招かれ、彼が音楽監督を務めるジャズ・アット・リンカーン・センターにてオーケストラとのセッションに挑むために。

ジャズのホームグランドで、その「文法」にとまどうアウェイのサッチャルメンバーたち。互いの「文法」を、どう生かし、あるいは崩し、そして新しいグルーヴが生み出されていくのか。私たちはスクリーンの前で、サッチャル・アンサンブルの指揮者としての重責を父から受け継いだニジャート・アリーの曖昧な微笑みとともに、彼の背中に流れ落ちているはずの冷たい汗を感じる。

しかし、その瞬間は来る。背中を伝っていた冷や汗が、絶え間なく生み出されるセッションのバイブレーションの中で流す興奮の汗へと変わってゆく時が。この濃縮されたわずか数十分の映像の背後には、何百年も積み重ねられて来た時間があり、それぞれの文化の文脈の中で音を紡いで来た者の呼吸のリズムがあり、さらにそれを奪われて来た者の痛みがある。この音楽の奇跡を私たちは追体験する。至福の映画体験であり、新たなパキスタンとの邂逅である。

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目から耳から、映画の香しいスパイスを十分に味わったら、映画の半券を持って、ラホール出身のシェフが腕を振るう西荻窪のパキスタン家庭料理の店「ラヒ パンジャービー・キッチン」へ。映画とのコラボ企画で、上映期間中に半券を持参すると飲食費が10%オフになるという(夏期休業などについては同店にお問い合わせを)。あるいは、同店のレシート(2016年7月〜)持参で映画鑑賞が300円引き(ユーロスペース渋谷及び角川シネマ有楽町のみ)に。

さらに、上映期間中、ユーロスペースのロビーにて、9人のイラストレーターが描く「『ソング・オブ・ラホール』の世界」展も開催中。その上、9月上旬にはサッチャル・ジャズ・アンサンブルのメンバーたちの来日公演も予定されている。メンバー9名の招聘費用不足につき、支援者限定プライベートコンサートなどのリターンを用意したクラウドファンディングが展開されている。全身でたっぷりと、ラホールから世界に放たれたバイブレーションを感じ取って欲しい。

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「ソング・オブ・ラホール」

2016年8月13日より渋谷・ユーロスペースほかにて全国順次公開
監督・製作:シャルミーン・ウベード=チナーイ、アンディ・ショーケン
出演・音楽:サッチャル・ジャズ・アンサンブル、ジャズ・アット・リンカーン・センター・オーケストラwithウィントン・マルサリス
2015年/アメリカ/ウルドゥー語、パンジャービー語、英語/82分/カラー/原題「Song of Lahore」