土屋孝元のお洒落奇譚。映画『利休にたずねよ』に観る
美意識の高さ、おもてなしの心。

(2013.12.07)

お茶仲間の間でも話題の映画
『利休にたずねよ』

映画『利休にたずねよ』を見てきました。

原作が出版された時には、お茶仲間でも話題になり、すぐ小説を読み終えていました。利休切腹の日の描写から始まり、時間や時代を遡るように利休の美意識の秘密が描かれ、サスペンスドラマタッチで楽しみました。お茶のかなり細かい描写なども、僕もお茶の稽古を長くしているので よく理解できたと思います。

この作品は お茶に興味がなくとも、映画としても良く描かれていて楽しめます、利休役の市川海老蔵さんは利休の若い頃の与四郎、宗易、利休の人物像とも重なり原作者が熱望しての参加だったとか。10代から70代までの演技の幅はさすがでした。

冒頭の信長による堺におけるお茶道具の名物狩シーンで、信長役の伊勢谷友介さんの信長役はさも そうだっただろうと思わせる信長像の演技です。そこへ利休が少し遅れてやって来るのです、これは月が昇る時間を計算してのことで、信長の目の前で蒔絵の盆に酒を張り、月を映すと蒔絵の絵の山並みと一体になり、なんともよい月見の風情になるのです、これを見て信長は利休を茶頭へ取り立てます。

信長のみならず、秀吉、三成、細川忠興、ガラシャ、ねね(北政所)、武野紹鴎、長次郎、古田織部の人物描写も興味深く、細かな時代背景など、勉強するともっともっと楽しめそうです。


釜与次郎作。利休の頃の釜で炉のためのもの。

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登場する道具類はみな本物
それは美しいの一語。

茶室の照明やカメラワークには見るべきものがありました。二畳ほどの茶室ですからカメラは苦労されただろうと想像します、登場する道具類はみな本物でそれは美しいの一語です、当代の楽吉左衛門氏や三千家が協力して、湯を通したことすらもないという利休所持の「黒楽茶碗」や「赤楽茶碗」、「井戸茶碗」、「熊川茶碗」みな当時から現存するお道具です。

お花は池坊家元御用達の『花市』より、香木は『山田松香木店』から、信長へフロイスら宣教師が献上する献上品にはベネチア・ムラーノ島の工房でこのためだけに制作されたものだとか、箸は宮内庁御用達の『箸膳本店』より、料理はミシュラン2つ星の『祇園丸山』より戦国時代の料理を再現したそうです。

利休の美意識の鍵を握る高麗の女役の女優さん、クララさんは個人的な意見になりますが原作のイメージの通りでした。

原作にもある香合はもう少し見たかったと思いましたが、炭手前の香合拝見ではないのですから、あまり見せずに謎めいていてあれくらいで良いのかもしれません、残念に思ったのは利休が茶室にて水屋から出るシーンが少なく、はじめから風炉や炉の前に座っているので水屋からの一連の動きや所作が見えなかったことくらいですか、当時の利休の手前所作は興味がありました。にじる動きや炉を前にして正客へ向かう座ったまま移動する動きはさすが歌舞伎俳優だなと……。


井戸茶碗銘柴田。信長が柴田勝家へ進呈し所持したとも伝わる。
茶杓、朝顔の逸話に観る
利休の美意識。

利休が武野紹鴎(たけのじょうおう)に弟子入りを頼むシーンでは、紹鴎が新しい茶室を作ったのだが、床がきまらないと利休に伝えるシーンで、利休が床の耳付き花入を見て、(これはこれで美しいのでしょうが )何も言わず 床へ近づき小石を持って耳付き花入の片方の耳を割ります。欠けを作り左右非対称の不完全な美で床に緊張感を演出する美学を見ました。

また別のシーンでも利休の作った茶杓を紹鴎が見て一言。「竹節とは醜いものだが、その竹節を生かして作ったこの茶杓は新しい美意識を見るようでこれからが楽しみだ」と言っています。

それまでの茶杓では竹の場合、竹のきれいな部分を使い端正な美しさを追求していたようです。これも作る人により微妙な違いがありますが先ほどの利休の茶杓は、中節といい節を真ん中に使う意匠で棗や茶入れの上に置いた時に置きやすいのです。僕が稽古で使う茶杓でも、茶杓によって違いが出てきますから利休の茶杓はさぞかし置きやすくバランスも良かったのだろうと思います。

ここで茶杓について簡単に。

唐物、お茶の世界でいう 真 の取り合わせや茶籠では、茶杓は象牙や漆、金属、竹のものが使われます。竹以外のものは茶杓の元になった薬匙からの名残かもしれません、茶籠では骨董の薬匙を見たてたりもします、古来お茶は高価な薬でしたから。

草の設えでは竹以外、桜など他の木材を使うこともありますが、気をつけないと折れたりするので茶会や茶事では難しいものです。お茶の先輩が茶事でドウダンツツジの茶杓を使い茶事の拝見で折れたそうです。茶杓とは亭主の見たてですから何でもありという事でしょうか、他の道具とのバランスや何を主題に茶事・茶会を開くのか、どのような茶籠を作るのかによると思います。

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話を戻し、利休は 魚釣りの魚籠(びく)を花入に見たてたり、青竹を削り花入にしたりもしました。何事にもとらわれない自由な発想をお手前に取り入れたのです。自分の美意識には絶対の自信があったのでしょう。

有名な逸話に ある時秀吉が利休宅の朝顔が綺麗に咲いたと聞きつけ、利休に朝茶を所望したようです。
※朝茶とは朝行われる茶事の事、利休の頃までは朝茶が一般的でした。

秀吉が利休宅へ来ると、どこにも朝顔の花がなく、庭の朝顔が全て花だけ切られているのです。茶室へ入ると花入に一輪の朝顔があったとか。利休の美意識はこの例をみてもわかるとおり、茶室というお茶を点て飲む世界の中での美しさを一番に考えるのです。自然に見えるが全てに手を加えてあり、客がお茶を飲む時間や温度、茶室の湿度、その時の光の見え方まで計算し尽くしているのです。朝顔の花を生けてもすぐに萎れて枯れてしまいますから、そのことも含め茶室へ朝顔を生けたのでしょう。利休の美意識は全ての道具や庭の設えにもこの考えが活かされていたといいます。現代美術にも通じるインスタレーションの考え方の究極ではないでしょうか、まさに一期一会です。

利休までは東山文化から続く唐物の道具(中国伝来)を使う 真 のお茶が主流でしたが、 利休以降は 草 のお茶、侘び茶が主流となりました。侘び茶の精神で草の設え(しつらえ)にて茶室を作り、利休考案の楽茶碗などを使います。


本阿弥光悦作白楽茶碗銘不二山、国宝の茶碗のひとつ、利休の楽茶碗を発展させた茶碗の最高峰。

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この楽茶碗とはお茶のために作られた造形で、手に持ち茶を飲んだ時に良さが実感できるのです。お茶でよく使う言葉に真・行・草があります。茶室での礼にも真・行・草があり、お道具にもあります。お茶室にも真・行・草があり、利休が作った待庵は草の設えになります。真とは唐物のお道具を使う手前、草とは国焼き国内で焼かれたお道具を使う手前、その中間が行の手前です。書道の楷書・行書・草書と同じかもしれません。

もう少し詳しくいいますと、茶室には小間と広間があり、四畳半以下の茶室を小間と呼び、これは草になります。亭主がお茶を出すとそれを取りに行くにもにじって行きます。

四畳半以上の広間は真または行で、その場合は茶碗を取りに行くには右足から立ち、摺り足で歩き両足を揃えて座り お茶碗を手に載せてから、帰りは左足から立ち上がり 摺り足で歩き 両足を揃えて自分の席に戻り座ります。この時に次客にお尻を向けないようにとお作法では言います。

また、裏千家では楽茶碗には古袱紗は使わずとも良いとされています。ほかの井戸茶碗などでは濃茶の場合、この古袱紗を亭主がお茶を出す時に添えるのが一般的です。裏千家の作法では客が古袱紗を持参した場合は、亭主に断りを入れてから使います。亭主の古袱紗は後で客同士で拝見します。亭主は古袱紗にも気を使いその日の設えに合わせているので、その意味を探るのです。

映画では「黒楽茶碗」「 赤楽茶碗」など利休の時代の楽茶碗が実際に使われているのです。

まあ お作法はさて置き、禅の心からはじまる日本の美意識の高さ、おもてなしの心、今に至る、侘び茶の基本は利休から始まったと言えるでしょう、それを実感できる映画でした。

『利休にたずねよ』
2013年12月7日(土)全国公開

出演:市川海老蔵 中谷美紀 / 市川團十郎(特別出演) / 伊勢谷友介 大森南朋
成海璃子 福士誠治 クララ 川野直輝 袴田吉彦 黒谷友香 檀 れい 大谷直子 柄本 明 伊武雅刀 中村嘉葎雄
監督:田中光敏 
脚本:小松江里子 
音楽:岩代太郎
原作:山本兼一「利休にたずねよ」(PHP文芸文庫) 
撮影:浜田 毅(J.S.C.)
照明:安藤清人  
録音:松陰信彦  
美術:吉田 孝  
音響効果:柴崎憲治  
編集:藤田和延(J.S.E.)  
衣裳デザイン:宮本まさ江  
衣裳:石倉元一 

「利休にたずねよ」製作委員会/東映 木下グループ 
キングレコード 東映ビデオ テレビ東京 東急エージェンシー 
ギルド テレビ大阪 クリエイターズユニオン 
日本出版販売 PHP研究所 読売新聞社 東映チャンネル  
協力:表千家 裏千家 武者小路千家  
後援:伊藤園 
助成:★文化芸術振興費補助金 
製作プロダクション:東映京都撮影所  
配給:東映 
協賛:堺市 
特別協賛:EH    

第37回モントリオール世界映画祭
最優秀芸術貢献賞受賞

上映時間:2時間3分、シネマスコープ・サイズ


『利休にたずねよ』