パトリス・ルコント監督インタビュー 恋愛映画の大家が明かす、 新作『暮れ逢い』映画づくりの悦楽。
(2014.12.18)『暮れ逢い』© 2014 FIDELITE FILMS – WILD BUNCH – SCOPE
監督業40周年を迎えるパトリス・ルコント監督。
パトリス・ルコント監督が、新作『暮れ逢い』の公開前に来日。作品の質の高さには常に定評があり、日本では『髪結いの亭主』、『仕立て屋の恋』の大ヒットから一挙にルコント・ブランドを築き上げたことで知られてきました。3Dにも挑戦した前作のアニメーション『スーサイド・ショップ』で意表を突く手腕を見せましたが、この新作は、打って変わって、と言うよりも、元の恋愛路線に立ち戻ったかのような濃厚な純愛映画です。しかも、これが、禁欲的な恋物語で、19世紀を舞台にした時代劇です。原作は『マリー・アントワネット』などのシュテファン・ツヴァイクの小説ですから、その心境いかに。なぜ、今、ツヴァイクなのか?
恋愛が容易い今こそ、『暮れ逢い』に惹かれる。
お目にかかったルコント監督、まずは私のスーツの襟を正してボン・ソワールというごあいさつをいただき、そのお茶目で素敵なムッシューぶりに圧倒されっ放しでした。
『暮れ逢い』に描かれたのは、いわゆるプラトニックラブです。今の時代は、男女が出会えば簡単にメイク・ラブできてしまってもおかしくない。しかし、第一次世界大戦の頃は、男女の関係も慎ましい。これこそが本物の恋であり、愛であるということを監督はこの作品でメッセージとして伝えたかったのでしょうか?
「耐える想いとか、熱情を溜め込んで偲ぶということ、すぐには想いを遂げられない禁欲的な感情。これを映像にしたくて、多くの恋愛映画を作ってきました。人生において、情熱をたぎらせる感情を表現するのに、一番わかり易いのが恋愛です。そう思う自分に、これぞ、と思わせたのがこの短いツヴァイクの小説でした。脚本家から勧められ読んで見たら、はまりました。この時代の恋愛は時間をかけて、実るか実らないかも分からぬままに身を焦がす。正直、『そういう恋をしてみたくないですか?』という教えを作品に込めたところがありますね。」
ストイックな男女関係は、まったく古くない。
富豪のカール・ホフマイスターと若い妻シャーロット(ロット)。その関係に立ち入ってくる青年フリドリック・ザイツ。フリドリックはカールの持つ工場で働き、子息の家庭教師も頼まれ将来を嘱望されていく。本当の家族のように愛されていく中、フリドリックは若い妻 ロットへの恋慕を感じはじめ、その想いは募るばかり。次第にロットもその想いを意識し始める。カールは持病もあり、年齢的にもフリドリックに会社を任せても良いと思っていたが、若い二人の恋心に気づくと嫉妬心を隠すことが出来ない。
そんな、ありふれた古典的三角関係といったら、それまでの作品だが、それを単なるメロドラマにしていないのが、ルコント監督。耽美的な恋愛世界が繰り広げられる。
また、古めかしい三角関係が、かえって今に新鮮。ストイックさが、むしろエロチックに感じさせることに巧みなのは、今の世代や時代を逆手に取っての「読み」が効を奏したものと、うかがえます。
「欲望を持続させるということは、時代に関わらず大切なこと。決して時代遅れでなことではありません。今の時代にも大いに通じるものでしょう。」 秘めたる恋ほど素晴らしいものはないと、監督。
それにしても、ルコント監督が、恋愛映画を撮るようになったのは、40年間のうち、いつからだったのでしょうか。
「そう言われてみると、最初の作品の数作はすべて喜劇だったんです。そして、撮っていて、すごく楽しかった。人を笑わせるって楽しいことですよ。最初の作品は、もう監督辞めてやろうかと思うほど 大変だったけれど、もう2作目からヒット作になったし、ね。(笑)」
強い感情を映像にするのに、恋愛映画がふさわしい。
そうしているうちにも、喜劇では表現出来ない、ある思いを感じるようになり、違うジャンルで自分の感情を思い切り表現してみたいという欲望にかられたと言う監督。それは、大きな挑戦だったとも言います。不安だらけで、確信もないままの。
「恋をしている男女を撮ること、欲望の高まるのを撮るということは、濃密な世界を作りあげることであり、それがとても映画的だと思うようになっていったんです。暴力的ではない方法で、強い感情を表現すること。それをスクリーンに映し出したい。これこそ、私自身の情熱と欲望だったのです。」
そんな時、ついに、その想いに確信を得ることが出来たのが、あの、『髪結いの亭主』だったということです。
「試写会で、友人の一人が、会場の片隅で涙を流しているではないですか。そんなにも、感動したのか聞いてみたら、『この映画に気づかされた。僕は十分に妻を愛していなかったということを』。そういう風に思ってくれる人がいるならば、僕がその映画を撮ったことは無駄じゃない、ひょっとして成功したのではと、自信を持ちました。」
自らカメラワークに挑み、出演者たちを圧倒。
『暮れ逢い』の恋は、最初から両想い、すぐ結ばれるというわかり易い平和な恋とは違います。第一次世界大戦を経て8年間にも及ぶ秘めたる恋路は、40周年を迎える恋愛映画の大家にとって描き甲斐のあるものだったわけで、それは、作品からも醸し出されています。
当時の時代背景を再現した建物や内装や調度品、衣装はもちろん、各所に見られる色使いが美しいだけではなく、緊張感をも感じさせ、男女のストイックな関係を象徴しているかのようです。 エロチックさを越えて、息を呑むようなフェティシズムにも近い表現も随所に施され、人妻の襟足から首筋を舐めるような視線を這わせる若い男。その視線を感じているかのように微妙にうごめく肌合い……のようなカメラ・ワークが繊細で巧みです。
「私は、カメラを自分で回せなくなったら監督なんてやってませんね。自らカメラを回して演じる役者に迫っていくので、それはもう出演者は皆、いい加減な演技は出来ないんですよ(笑)。ストレートに監督と真剣勝負、といったやり方です。ロット役、『アイアンマン3』などでも知られるレベッカ・ホールにしても、然り。女優をその気にできなくては優れた恋愛映画は出来ないですからね。
監督自らカメラを回すという手法は、言わば手作りの感覚で、監督必須のこだわりのひとつ。もっと言うなら、これぞ、フェティシズム!の極み。全作品を通して、カメラ・フェチの賜物と見ましたが……。
映画の世界へ連れて行ってくれる監督たちに憧れ。
そのようなルコント監督に、監督となるための背中を押した人物は、誰なのでしょう?
「40年代、50年代のフランス映画に、もともと思い入れがあったんです。俳優ならジャン・ギャバン、監督ならジュリアン・デュヴィヴィエに代表されるような言わば、最高のロマネスクを映像化していた映画人たち。観客の手を取って映画の世界へ連れてってくれる監督たちに憧れました。でも、決定的なのが、ゴダール。そしてヌーヴェルヴァーグの担い手たちです。映画が遠い存在だったのを、自分たちに近づけてくれた感覚でした。」
そううかがうと、今回の作品は その両者が融合したかのような味わいにも思えてきました。
「どうでしょうね。自分で自分の作品を分析したことなんてないですからね。まあ、『望郷』と『勝手にしやがれ』が合わさっているということなら、うれしいですがね」
と、喜ぶ監督。
こだわりがフェティシズムに昇華してこそ、名恋愛映画。
監督のこだわりの一つが、美しい色使い。光の方向や、ヒロインの動き方など細部への工夫によるのだとか。そのうえで、色にしても光にしても、時代劇の再現には近づけないよう、現代に通じるものを意識したそうです。そういう意図と同じく、全編に流れる音楽にも、細かに神経を使いました。ベートーベンの『ピアノソナタ第8番ハ短調「悲愴」』を効果的に使いつつ、フランス映画音楽でその才能を知られる、ガブリエル・ヤレドの起用が注目すべきでしょう。
しかし、このような、眼に、耳に訴える静かで美しいルコント監督の最新映画は、実は激しい恋愛映画であり、時代物でありながらも新しいものに通じている。
その魅力を五感で感じとれたら最高です。
五感というなら、さらには、ヒロインが愛用していた100年の歴史を誇り、今に至る香水、『ルール・ブルー』までもが、いかに濃厚な香りであるか、匂い立って来る気さえする映画。感じとって下さい。
「つかの間の夕暮れ」という意味を持つ、この香水の存在を作品の中で印象づけたのも、ルコント監督ならではのこだわりに違いないのです。
恋愛映画の大家と言われるだけの、繊細なこだわりが痛いほど伝わって来る作品です。
『暮れ逢い』
2014年12月20日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー
出演:レベッカ・ホール、アラン・リックマン、リチャード・マッデン
監督:パトリス・ルコント
原作:シュテファン・ツヴァイク「Journey into the Past」
音楽:ガブリエル・ヤレド
劇中曲:ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第8番ハ短調『悲愴』作品13第2楽章『アダージョ・カンタービレ』
2014年 / フランス・ベルギー / 英語 / 98分 /
原題:A Promise
配給:コムストック・グループ
配給協力:クロックワークス