死を決意したバイオリニストの
最期の8日間『チキンとプラム 』

(2012.11.10)

『ペルセポリス』の
マルジャン・サトラピ監督最新作。

いよいよ2012年11月10日(土)より全国順次公開となる映画『チキンとプラム ~あるバイオリン弾き、最後の夢~』。世界各国でベストセラーとなった自伝的コミックを自らアニメーション映画化したデビュー作『ペルセポリス』で、カンヌ国際映画祭・審査員賞を受賞したマルジャン・サトラピ監督の最新作。原作コミック『鶏のプラム煮』を、マチュー・アマルリックやイザベラ・ロッセリーニ、キアラ・マストロヤンニら豪華キャストで実写化した本作は、ベネチア国際映画祭を皮切りにトロント、東京、サンフランシスコなどの国際映画祭で上映され、またたくまに話題を集めました。

14歳で故国イランを離れ、ヨーロッパで波乱万丈の青春時代を過ごしたサトラピ監督が今回テーマに選んだのが、監督の母親の叔父にあたる実在の芸術家をモデルにした、切なく美しい悲恋物語。

前作同様、フランス人のコミック作家であるヴァンサン・パロノーを共同監督に迎え、実写とアニメーションを織り交ぜた、シニカルでファンタジックな作品が誕生しました。


実写とアニメーションを織り交ぜた、シニカルでファンタジックな作品になっています。

舞台は、1958年のイラン・テヘラン。
天才バイオリニスト、ナセル・アリの最期の8日間。

おとぎ話を想起させるオープニングのアニメーションと異国情緒あふれる街の風景が溶け合う舞台は、1958年のイラン・テヘラン。

サトラピ監督たっての希望で主役に起用されたマチュー・アマルリックが演じるのは、天才バイオリニスト、ナセル・アリ。見開いた目に狂気を宿らせたロマンチストがハマり役です。

物語が始まって早々に明かされる結末と、その最期の8日間に走馬灯のように浮かび上がるナセル・アリの運命の恋。そこには、奇跡の音色を奏でるまでになったバイオリニストの愛と苦悩に満ちた人生が描かれています。

小さいころから絶対的な存在だった母(イザベラ・ロッセリーニ)に、「愛情は後から生まれる」と諭されたナセル・アリは、教師のファランギース(マリア・デ・メディロス)と結婚し、一男一女をもうけるも、根っからの芸術家気質の彼と、平凡な家庭を夢見る妻との間に横たわる深い溝は、埋まる気配もありません。口論の果てに命より大切なバイオリンを壊され、絶望のあまり死を決意したナセル・アリは、痛みを伴わず、バイオリニストとしての名声を汚さない死に様を考え、死が訪れるのをベッドの上でひとり静かに待つ方法を選びます。

全身真っ黒で角付きのフードをかぶった、不気味なのにどこか憎めない死の天使「アズラエル」が登場し、いよいよ死から逃れられなくなったナセル・アリの頭をよぎるのは、若かりし頃、街で一目ぼれした美女イラーヌとの叶わなかった恋の思い出。

故国イランを名に持ち、清楚な笑顔の中に、匂いたつような色香をたたえる「運命の女・イラーヌ」に扮するのは、『彼女が消えた浜辺』(’09)でミステリアスな女性を演じ、世界中に鮮烈な印象を残したゴルシフテ・ファラハニです。


左・「愛情は後から生まれる」と母に諭されたナセル・アリ(マチュー・アマルリック)は、教師のファランギース(マリア・デ・メディロス)と結婚し、一男一女をもうけるが……。
右・死を決意したナセル・アリの頭をよぎるのは、若かりし頃、街でひと目ぼれした美女イラーヌ(ゴルシフテ・ファラハニ)との叶わなかった恋の思い出。


左・ナセル・アリはベッドで静かに死を待つことに。その間、頭に浮かぶ思い出、イメージの数々。サトラピ監督の感性、その自由な発想に驚かされます。写真は大好きなソフィア・ローレンの胸に顔をうずめるシーン。
右・ナセルの娘リリのその後を演じるのはキアラ・マストロヤンニ。前作『ペルセポリス』では主人公マルジの声を担当。

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空からひとひらの雪が舞い降りて、子どもの口に入るまでをスローモーションで描いたシーンの美しさや、憧れのソフィア・ローレン(!)との感動の対面。成長した息子が結婚して子どもが生まれるまでをコンパクトにまとめたアニメーションや唐突に挿入されるナンセンスなアメリカン・ホームドラマ…といった、サトラピ監督の感性がそこかしこに散りばめられ、その自由な発想に驚かされます。

また、前作『ペルセポリス』では主人公マルジの声を担当し、実母カトリーヌ・ドヌーブと声の共演を果たしたキアラ・マストロヤンニが演じる、倦怠感と怪しげな魅力を漂わせたナセルの娘リリの存在感も忘れてはなりません。

本作のタイトルでもある『チキンとプラム』は、ナセル・アリの大好物料理から。妻ファランギースが食事の時だけは優しい言葉をかけてくれた夫に「チキンのプラム煮」を作り、鏡の前で髪をほどきながら、、初恋を見事成就させて結婚に至るまでの記憶に思いを馳せる場面は、日ごろのヒステリックな言動とは裏腹に、実は夫を深く愛していることが痛いほど伝わってくる切ないシーンです。

サトラピ監督の独創的な作品には、自身が直接見聞きして感じたことを手がかりに、自らの内面に深く潜り込んで掴み取ったものを、ファンタジックな映像に変換するという特徴があります。

一旦死ぬ決意を固めた主人公の抗えない宿命をたどらせながら、今生きているこの時間の尊さと、積み重ねてきた過去の重み、そして誰もが持つそれぞれの人生の意義を、作品を通して観客に問いかけているのです。


空から雪が舞い降り、子どもの口に入るまでをスローモーションで描いたシーンの美しさ。

初恋のイラーヌと共に歩むはずだった人生と
引き換えに手にしたものは……。

「失くしたものは全て 君の弾く音の中にある」。

これは、イラーヌと引き裂かれ、失意のどん底にいたナセル・アリに、バイオリンの師匠が贈った言葉です。

それは、かつて「テクニックは完璧だが、お前の音は空虚でからっぽ。」と師匠にダメ出しされていたナセル・アリが、イラーヌと共に歩むはずだった人生と引き換えに手にした「人生のため息」によって、ついに真の偉大なるバイオリニストとして認められた瞬間でもありました。

哀しみこそが人生を際立たせ、世界に光をもたらすのだとすれば、この世は多くの絶望で覆われながらも、孤独で美しい輝きを放っていることでしょう。

バイオリンを探し求めに向かった店で差し出されたアヘンや、娘リリが気だるくふかすタバコ。そして、「煙は魂の養分」との言葉を遺しこの世を去った母の魂…。そんな沢山の煙に包まれたナセル・アリの最期の8日間は、風にたなびく新たな『千夜一夜物語』の一葉として、人々に記憶されるのです。

●『チキンとプラム』のこのひと!
古物商フーシャングと物乞いの男を演じた
ジャメル・ドゥブーズ

Jamel Debbouze 本作でストラディバリウスを扱う怪しげな古物商フーシャングと母親の葬式後に突如現われナセル・アリに忠告する物乞いの男を演じたジャメル・ドゥブーズは、1975年6月18日、フランス・パリ生まれ。モロッコ系移民の6人兄弟の長男です。10代の前半に鉄道事故で右手を失いますが、持ち前の明るさで少年時代からコメディグループを結成し、ラジオ番組の出演をきっかけにテレビにも進出。フランスでは大人気のコメディアンとして冠番組を持つほか、プロデューサーとしても活躍しています。俳優としては、『アメリ』(’01)で演じた八百屋の店員リュシアン役で一躍脚光を浴び、『ミッション・クレオパトラ』(’02)で前衛建築家ニュメロビス役を好演。ラシッド・ブシャール監督作品『デイズ・オブ・グローリー』(’06)でカンヌ国際映画祭の主演俳優の1人として最優秀男優賞を受賞した実力派です。その他の出演作にスパイク・リー監督作『セレブの種』(’04)、リュック・ベッソン監督作『アンジェラ』(’05)など。本作でも、一度見たら忘れられないルックスと存在感で、物語のアクセントになっているジャメル・ドゥブーズ。私生活では2008年に美人キャスターのメリッサ・テュリオを射止め、多くの男性を敵に回した(!?)ともいわれるジャメルの今後の活躍に要注目です!


怪しげな古物商フーシャングを演じるジャメル・ドゥブーズ。

『チキンとプラム ~あるバイオリン弾き、最後の夢~』

出演:マチュー・アマルリック、マリア・デ・メディロス、イザベラ・ロッセリーニ、キアラ・マストロヤンニ
監督・脚本:マルジャン・サトラピ、ヴァンサン・パロノー『ペルセポリス』
原作:マルジャン・サトラピ『鶏のプラム煮』(小学館集英社プロダクション刊)
原題:Poulet aux prunes
字幕翻訳:松岡葉子
配給:ギャガ
2011年 / フランス・ドイツ・ベルギー合作映画 / 92分 / カラー / シネスコ / ドルビーSR、ドルビーデジタル / PG-12 /