土屋孝元のお洒落奇譚。『華麗なるギャッツビー』原作を読んでから見るか、
見てから読むか。

(2013.07.25)

映画『華麗なるギャッツビー』を見る。
原作の最初の書き出しがすべてを物語る気がします。

以下原作より : 僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ。」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」父はそれ以上の細かい説明をしてくれなかったけれど……。 (スコット・フィッツジェラルド作、中央公論新社・村上春樹翻訳ライブラリー『グレート・ギャツビー』より)

昔、見たロバート・レッドフォードのギャッツビーも良かったと思うのですが、はるか昔なので記憶があまり鮮明ではありません。デカプリオのギャッツビー、バズ・ラーマン監督の映像はなかなか良かったと思うのですが。自分の年齢がギャッツビーをはるかに超えているからかもしれません、昔見た若い頃とは、感じ方が違って見えるのかもしれません。

予告編でも登場する真俯瞰からの室内プールサイドのシーン。ここだけ見ても楽しめます。

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ギャッツビーの丁寧過ぎるほどに、注意した言葉使いや、あまりに会話の話題が少なく 手持ち無沙汰な仕草、あるシーンでは激昂して自分の本当の姿を見せてしまい、憧れだった人を混乱させてしまう。あまり語るといけないのですが……。

憧れる彼女のため 自分の理想の世界を作り上げた(原作では)ギャッツビー邸のまるでノルマンディーあたりの庁舎かお城の様なインテリア。作り付けのパイプオルガン、書斎の本の数々 原作の中で張りぼての見せかけかと思ったら、中身も本物だったと記述が出てきます、クローゼットの毎月イギリスのスタイリストから送られてくるというシャツ類など、楽しませてもらいました。劇中に流れるサウンドトラックや音楽はもちろん、ギャッツビーが乗る、あとで結末にも関係するエンジンをチューンナップしたクルマのアール・デコなデザイン。


ギャツビーと、その最愛の人、デイジー。

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夜な夜な繰り広げられるパーティーシーンでの喧騒の人々の衣装やドレス、もちろんギャッツビーのスーツは見るべき価値はありました。

シングルピーク襟、3つ釦一つ留のスーツ。ひとつ残念に思えたのは、タキシードのジャケットの襟足が抜けていること。フルオーダーで何回も仮縫いを繰り返したものでは、この襟足の隙間はできないのですが、映画の衣装ですから何着かを着まわして使っているのでしょう、仕方ないのですね。

この時代の前後に今に続く男のファッションは完成されたと何かの本で読んだことがあります。僕もこの時代の世界観が好きで、ある時期、この劇中のスーツようなデザインで発注をしていました。

映画を注意深く見ていると、ギャッツビーの友人で謎のフローシャイム氏のピーク襟のダブルのターンナップ仕上げの明るい色のスーツも捨てがたい。これを見て、自分がオーダーした20年前のスーツを思い出しました。ピーク襟、6つ釦2つ掛け、ターンナップ仕上げ、ゆったりしたツータックのサスペンダー仕様のシルエットのパンツ、靴はコンビだったり、ギリーシューズ、を合わせて、気分はギャッツビーでした。
 


1920年代のフラッパーテイストそのまま、デイジーの衣装にも注目。その多くはプラダとのコラボです。
夏のスーツ、キッド・モヘアはいかが?

ここで夏のスーツの素材について。以前作っていた(当時は)夏のスーツといえば、キッド・モヘアでした、アンゴラ山羊の生後3ヶ月の仔山羊から取られた糸を横糸に編み込み最大でも55%の混合率です、モヘア100%とある表示は本物かどうか疑わしいですね。シア・サッカーや麻のスーツもこの時期には良いのですが、夏にウールは暑そうとか、思われそうですが、これが、意外にも涼しいのです。

質感もスーツ生地自体にシャリ感があり通気性も高く、日本の夏には向いています、麻やシアサッカーに比べて皺になりにくく着崩れしにくいので、お勧めですね。まあ、麻やシア・サッカーの自然につく皺も捨てがたいのですが。もしも、これからスーツを選ぶことがあるのでしたら、一度はキッド・モヘアのスーツをお試しください。
 


ギャツビーは念願かなってデイジーとデートすることに。

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話を戻し、舞台になったロングアイランドはニューヨーク郊外の高級住宅地。劇中では車に分乗し、プラザホテルへ向かい、ホテルの最上階のペントハウスで暑気払いをするというシーンが出てきますが、たぶん、まだエンパイアステートビルが工事中でホテルとしてはマンハッタンで一番高いビルだったのかもしれませんね。

以前、撮影でロングアイランドからマンハッタンまでハイウェイを飛ばしても、2時間はたっぷりかかったと記憶しています。劇中ではかなり近い印象でしたが、映画ということで許されるでしょう。

映画を見てから村上春樹訳のスコット・フィッツジェラルド作『グレート・ギャッツビー』を読み返して細部の描写や人物像、ギャッツビーをまた、深く理解しました。


かわいらしく、ふわふわフェアリーな魅力がいっぱいのデイジー。


『華麗なるギャツビー』ホームページ