「映画は自分を映し出す鏡である」と言うブリュノ・デュモン監督が、新作『ハデウェイヒ』とフランス映画について語りました。

(2010.04.23)

ジェーン・バーキンに続き、去る3月18日から22日まで開催された第18回フランス映画祭に来日した鬼才ブリュノ・デュモン監督に、新作とフランス映画のことを伺うチャンスをいただきました。ここにご紹介したいと思います。

この監督のものすごいところは、初監督作品『ジーザスの日々』で97年カンヌ映画祭デビューし、初ノミネート作品で競うカメラ・ドール賞を獲得。その後、『ユマニテ』で、1999年カンヌ映画祭グランプリ、『Twentynine Palms』(日本未公開)は03年のベネチア映画祭ノミネートを果たし、『フランドル』で06年のカンヌ映画祭に再ノミネートして審査員特別グランプリを獲得と、作るものがとにかく評価が高いことで、現在のフランス映画界きっての精鋭となっている存在なのです。

カンヌ映画祭をはじめ、各国の映画祭で高い評価を得る本物の映画監督たる厳しい表情が印象的。photo / peter brune

今年のフランス映画祭には、09年トロント映画祭とロッテルダム映画祭ノミネート作品の、『ハデウェイヒ』という、名前からして日本人にはすぐにはピンとこない作品を引っさげての登場でした。実在の敬虔なる修道女の名前だそうですが、彼女を信奉し、キリストに人生を捧げたいと願う若い女性が主人公で、その生き方を描いた作品です。
と言うと宗教もの?と思うのは早計でもあったのでしたが……。

それ以前に、何かにつけフランス映画というと、難しい、わかりにくい、などという、どこからそういう話になってしまったかわからないイメージがあるようですが、逆に考えられるのが、知的であるとか、シュールだとか、ゆえに芸術的であるとか、アカデミックであるとかの褒め言葉ともとれそうな高いポイントの印象、評価といっていいのかもしれません。
それゆえ、今回監督のインタビューをするにつけ、監督自身からいただいた言葉の中で、心に留めた幸せなる名言を、あえて、私は冒頭で紹介してしまいます。

「映画は鏡なのです。自分を映し出すもの」
素晴らしい。わかっていたはずでも、私も改めて感心した次第。

「まずは、既成概念抜きで観てみれば、何らか感じるものがあるはず」、と監督は言います。さらに「観たがっていない人をも、無理やりスクリーンの前に連れてくれば、フランス映画は自分を映し出す鏡なのだから、とても面白く(自分と)向きあうことが出来る」というわけなのです。
「引っ張ってくる役はあなたですよ」、とも言われて、私は厳しく命じられた気がしました。考えるヒントになるのが映画であることは、フランス映画に限ったことでもないし。

主演女優ジュリー・ソコロウブスキは、素人に近く純粋なことが第一条件で選ばれたという。

で、今回作品は今までのものとは違い、やはり問題作ではあっても、性描写などは皆無で逆に、彼女が信奉するアイコン的かつ、宗教的カリスマにあこがれる聖少女的な女性が主人公で、全編透明感溢れる美しい映像で描かれています。
と言うのも、せっかくカンヌでの評判が高かった『ユマニテ』は、その頃、横浜で行われていたフランス映画祭での上映が決定され、日本でも観ることが叶ったわけでしたが、性的なシーンが何箇所かあり、「黒塗り」が肝心の場所で邪魔をするという状況でした。

その頃からは、映像表現に対する取り締まりの基準も大きく変化しましたが、やはり監督の表現のすべてが観られないのでは、観客も正しい評価どころか、それこそ、自分を映し出すことすら出来ないことになります。
この点においては、そんな日本にいて、一切の規制を排除することに、もどかしさを覚えながらも、未だ微力で、どうすることも出来ない私としては、今回は、この監督の最新作をノーカットで誰もが観ることが出来たことに、まずはホッとしていました。

その辺りから、監督とお話をしていきました。

―何か心境の変化でも?宗教がテーマですし。
「とんでもない。映画作りというのは、アレもコレも作りたいものなんですよ。テーマは、どれも自分の興味の対象であって、特に自分が大きく変わって、今回の作品を作ったということはないですね。テーマは宗教そのものでもないし」

うかがうところによると、『ハデウェイヒ』という名の女性は聖女ではなく、熱心なキリスト教の修道女。その敬虔なる女性の生き方に興味を持ち、そういう神話化された伝説などに狂信的にのめり込み、自分の人生を委ねて自分の存在理由を確かめようとする若い女性の姿に興味を持ったということなのです。

物語としては、その少女は政府高官の子女であり、物質的には恵まれ何不自由のない生まれ育ちをしています。が、そんな環境に違和感を持ち、厳しい修道院で修業をし、そのうち早くにキリストの元に行き殉教しようとさえする様子。シスターたちもそんな彼女を心配し、俗世に戻るよう命じ、家に帰すのです。そんな時、彼女はイスラム教に熱心な男性を兄に持つ青年と知り合います。彼は彼女を好きになって行く様子ですが、彼女は心も体も許しません。「私が愛するのはジーザスだけなのだから」と。そんな彼女の日常が描かれ、ある日パリで爆弾テロが起きます。その後の彼女はキリストの元に行くかのように入水自殺をしますが、彼女を思う青年に救われるのでした。ここで映画はエンディングとなりますが、心に残り、ワンシーンごとに脳裏に焼きつくのは、美しいシーンの数々。彼女の家の貴族的なインテリアであったり、修道院の庭の木々や裏山の自然、テロが起きるパリの街並み、彼女が身を沈める泉などなど。

美しい情景が続くことで、対照的な破壊的行為の緊迫感も高まるように、私には感じられました。

―難しいどころか、何ひとつわかりにくいところのないのが、今回の作品ですね。日本でも無差別殺人が行われ世界的にも知られましたが、これに関与した若い男女のほとんどが、裕福な家庭の生まれ育ちで、高学歴であったことが、世界中を驚かせました。そういう若者の時代性が感じられる、日本でも共感を呼ぶ内容だと思いました。

「そうだといいです。とにかく、彼らは現実を受け止めることや、現実に生きているものを認めたり、愛することを出来なくなっているのです。宗教的に伝えられているものは、過去のものであり神格化され、現実のものではありません。しかし、だからこそ夢中になれる。その世界に逃げ込んでしまい、言わばバーチャルな世界で疑似的に生きていく。私はそんな彼らの世界としての宗教という“エリア”を映画作りの舞台にしたかったのです、この作品で」

監督は言います。現実を現実と認められないで、神話的なものを信じること、その場合においては宗教とかスピリチュアルなものほど、彼らにはわかりやすいのですと。つまり、彼らにとっては、世間の荒波に揉まれる前の若い女性、純粋なら純粋なほど、その宗教世界は魅力的で、わかりやすいのでしょう。この辺のことは、今回初めて知ることでもなく、前々からわかっていたはずでしたが、そのへんの心理構造について、この作品を観て、そして監督ともお話して、リアルに納得がいった思いがします。

何しろ、映画祭後の配給・公開がないとなると、ご覧になれない方々には残念極まりないのですが、映画の中での彼女の行く末もまた、観客それぞれの世界観に委ねられ、彼女は再生するのか、さらに殉教しようとするのか、あるいはテロ行為に手を染めているなら……。と結末は確かに観た私たちが決めてよいのです。結末を観客に委ねるということも映画づくりの目的です。難しいと言わず、わからないと言わず、共犯者になってみてください。

フランス映画はわかりやすくなくていい。
そんな風にも再確認してしまいました。

今年のカンヌ映画祭には、“世界の北野”も、ノミネイト決定で、どんなフランス好みの映画を披露してくださることか、楽しみです。

筆者とのツーショットになると優しいお顔。サービス精神ありますね。
photo / peter brune

というわけで、たっぷり1時間近く、スピリチュアル問答にニコリともせず、厳しいお顔で答えてくださった監督は、名言連発でものすごく刺激的。もともとインテリに弱い髙野をうっとりさせてくださったのでした。
しかも実はこの監督は、ジャン=ルイ・トランティニャン的なパリジャンっぽい風貌で、なかなか男前なのですが、めったに笑わないという印象が強く、私は何とか今回インタビューにおいては、この“むっつりハンサム”を笑わせてみたいとの構えでも臨んだのでした。

「監督というよりも、哲学者のような固い男性にも見えるので……」、などと言ってから、過去の歴史的な哲学者に限って、女嫌いであった人など皆無に近いことを思い出しながらも、最高にミーハーな質問をしたのでした。

「監督ご自身のお好きな女性というのはどのような感じですか?」と。

ちなみに、今回作品の主演の女優選びなどは、「演ずる本人自身が“世間知らずな女”であることが絶対条件だった」ということを伺うにつけ、キャスティングにも長け、「女性を観る目は養われているでしょうから」、などと言い訳がましく付け足しながら……。

と、ちょっぴりですが相好を崩しながら、答えてくれたのです。

「女性は個性ですね。個性を愛したい。だから、ブロンドがどうのということでは好きになりません」

と、またしても名言。
しかも笑ったぞー、やったー!と、幸せ気分の私。

知的で、ゴージャスな監督のお話と、素敵なフランス映画を充分味わうことが出来たフランス映画祭に乾杯なのです。

前回も書きましたが、とにかく映画祭では、その時しか観ることが出来ない作品にもご注目を!大きな発見があるはずです。
それにしても、写真を撮られるときの監督のほほ笑みは、本物ですね。ジェントルマンですね。

「この作品はが日本で公開され、もっと多くの若い女性に観て欲しい。それを願っていますよ」
と、日本にいる間中語っていたという、デュモン監督でした。

 

『ハデウェイヒ』


監督 ブリュノ・デュモン

出演 ジュリー・ソコロウブスキ、カール・サラフィディス、ヤシーヌ・サリム

2009年/フランス/カラー/105分