今年の『東京国際映画祭』をふり返って 老若 from NY、de la France。
(2014.11.26)世界中の映画の才能に光を当て、彼らのメッセージを映画祭から発信する。それが、東京国際映画祭です。27回を迎えた今年も、今まで以上に多くの映画と出会え、映画に関わる人々たちの映画への熱い想いをあらためて知ることが出来ました。
グランプリと監督賞受賞『神様なんかくそくらえ』
才能を競うコンペティション部門、その結果は私の予想的中。若い力が思いっきり評価されて、グランプリに輝いた『神様なんかくそくらえ』、見事、監督賞までかっさらいました。
観終わるやいなや、その出来栄えに舌を巻き、衝撃を受けた作品です。結果発表を待つまでもなく、グランプリはこれに決まり!の確信を持ち、圧倒されたまま時間が止まってしまったような感覚に包まれたほどでした。
この作品に描かれた、驚愕すべきNY流生き方を実際にしていたのが、原作・主演のアリエル・ホームズという美少女。この事実に圧倒されない者が、どこにいるのでしょう。称賛は、その一言につきます。麻薬漬けでホームレス、野良猫のように生きてきた彼女が今ここに、『東京国際映画祭』に元気に登場、ありがとう。今、そのことが報われて、おめでとう。そういう思いで胸がいっぱいになってしまうのです。
ベンとジョシュのふたり、サフディー兄弟監督は、「彼女との出会いは幸運だったと言うしかない」と言います。彼女の過酷な、誰も真似出来ない超人的な生き方を知って心を奪われ、
「他の仕事を投げ打ってでも彼女に関わって、迷うことなくこの作品を完成させました。でも、完成までは、言葉では言い表せない多くの苦労があったことも事実です」と、受賞の喜びにむせんでいました。
「映画で彼女の麻薬漬けでホームレスな生き方を描いていく時も、不思議と一度も悲壮感だとか、惨めだとか思ったことがないんです。」と繰り返し言い、同情からとか、救済から彼女に興味を持ったのではないことも表明していました。
驚くべきNYのホームレスな生き方
むしろ、ヒロインのような描き方に賞賛。
これは、大いに賛同するところであり、むしろ我々の豊かだと思う毎日が疎ましくなるほどに、彼女の誰にも頼らない自由な生き方に眼を見張らせられるばかり。ストリート・ヒロインとしてのプライドや、勇気を見せつけられながら、テンポ良く、彼女の人生のひとコマ、ひとコマに引きづり込まれる快感を味わっていくのです。
麻薬を手に入れるスゴ技や、恋焦がれる自分の「プリンス」へ寄せる超人的献身、犠牲的愛などなど、“泥だらけのミューズ”たる美しさを目の当たりにし、ただ、ただ、あっけにとられ、脱帽するしかない映画。
お見事でした。
そして、すでに目の前のアリエル・ホームズは次回作を控えた、新人女優になっている。これこそ、映画の力です。若さの勝利というのは、このことだと、素直に評価できた『神様なんてくそくらえ』。朗報に接して、受賞者と同じくらいに幸せな気持ちになれた私でした。映画万歳!
『フレンチ・コネクション』の世界の最新版フランス映画
『マルセイユ・コネクション』
若さと言えば、『マルセイユ・コネクション』も、優れていました。70年代のマルセイユの麻薬組織に牛耳られたフランス社会を告発した作品で、この完成度が監督第2作目と聞くと、隙のない脚本力と監督の才能に驚かされた大作でした。セドリック・ジメネス監督恐るべし!
処女作からしてフランスの批評家たちを唸らせたというから、フランス映画界に頼もしい才能が登場したものです。
ニューヨークとマルセイユを結ぶ麻薬取引ルート追う刑事の姿を描き今も映画史上で高く評価される『フレンチ・コネクション』(’71)をフランス側から描いたところが興味深い。事実に基づく重さを小気味良いタッチで抑え、フィルム・ノワールへオマージュするセンスが光る出来ばえ。
主演の麻薬取り締まり判事を演じるのが、アカデミー賞最優秀男優賞のジャン・デュジャルダン。敵役のマフィアのボスにジル・ルルーシュ、他にもフランスを代表する男優の一人、ブノワ・マジメルなど大物が競演。70年代をシンボライズするシトロエンDCや、ヒット曲が流れ煌めく大型ディスコテーク、女性たちのファッションや、何より男たちのスーツの着こなしや顔つきが、観る者を惹きつけて離しません。
が、本作は、アクション作品として終わることのない、社会的メッセージが巧みに埋め込まれ、映画祭出品にふさわしいフランス映画でもありました。その源は、ジメネス監督がマルセイユの出身だったということに他なりません。
エンタテインメントの中にも作家性を。
「繰り返し多くの映画や小説に描かれ、フランス史上に残る事件ですが、その最新版として、今の時代に伝えたいという想いの中にも作家性を感じさせる作品にしたかったですね」
と、監督は言います。
どのような犠牲を払っても、また、一人の英雄がいたとしても、必要悪が根絶やしになることがないという予感を孕んだ終わり方が衝撃的で、そのあたりが、映画祭コンペティションノミネートの面目躍如を果たしていました。監督賞を獲っても不思議はない秀逸さが心に残ります。
大物相俳優たち、時代背景も過去のものであることなどで、さぞかし、若手監督、撮影に困難を極めたのではとの質問には、
「大先輩たちだからこそ、新人の私を助けてくれ、大変なことは何もなく、終始スムースに運びましたね」
と応え、苦労を滲ませることなく、アクション映画の監督というごっつい印象とも真逆で、さっぱりとした好男子でありました。
彼らが、これから、ますますの才能を発揮してくれるのかが楽しみです。また、新作を持って、この映画祭に戻ってきてくれる事を楽しみに。
映画発表の場である映画祭、何回戻ってきても良いのは、カンヌ映画祭などにも顕著ですが、今年極めてふさわしいテーマを引っさげ、東京に戻ってきてくれたのが、ロマン・グーピル監督。
映画は何歳まで作れるのか。
前作『ハンズ・アップ』(’10)をこの映画祭に出品し注目を浴び、4年後にあたる今年のこの映画祭に、『来るべき日々』(’14)で、再びノミネート。確かに戻ってきてくれました。極めて日本、東京がお気に入りなのです。
映画祭会期前の試写会での評判も高く、映画愛が滲む、映画作りとは何か、映画に賭けた人生とは何かを自他に問いかける、作家性の香りも高い作品でした。
60歳という人生の節目を迎えた監督は、自分自身を主人公にして、「来るべき日々」、つまりは、自分の「終の時」をいかに映画監督として形に残すべきかを真剣に考えるようになった。その心境を見事な映画にしました。
100歳までも映画は作れるはずという、60歳になってこそ新たに挑む新企画への気骨と苦悩。家庭においては世代ギャップを大きく感じる子供たちとの関係などに翻弄され、混沌とする日々を、ユーモラスに描きます。
今まで自分が撮ってきたドキュメンタリー映像の断片もメモリアル的に入れ混んだ映像手法をドキュメンタリー・ドラマと銘打って挑戦。その心境を、直接監督に確かめることが出来ました。
「 60歳という年齢に達した時、自分はあと何本の映画を作ることが出来るだろうと、真剣に考えるようになりました。残された時間は60歳より短いことを意識したら、絶望はしなかったが、ものすごいプレッシャーと衝撃に襲われました。前半の映画の場面に幾度となく、グランドピアノが私のすぐ横に上から落っこちて来るシーンがあるでしょう? あのくらいの衝撃だということを感じていただきたいですよ(笑)」
映画監督の自信と悲哀と喜び。
なるほど。シュールな表現にもとれるピアノ落下のシーン、たびたび。そのわけが、わかりました。その都度ピアノは違う種類でしたが。
「映画を作るには、資金集めがあり、小説のように、一人での作業では映画は出来上がらない。出演する人を集めたり、時間がかかります。家に帰っても、ゆっくり休めるということもない。子供たちは知らない間に成長して、父親の思い通りにならないし(笑)」
さらに不運とも言えそうな、60歳になって、それまで支給されていた手当も打ち切られるという憂き目に会うシーンも登場。眼から鱗!フランスと言えども、芸術を続けるには、いずこも苦労があることがリアルに伝わってくるのです。
しかし、作品からも、実際の目の前の監督からも、監督であることの喜びと自信が感じられ、60歳になったグーピル監督には男の円熟した色気もたぎっているかのよう。この作品で、主人公の妻役として登場した、実際の監督の妻で女優のサンダ・グーピルさんも、彼の傍らでうっとりとしていらっしゃる。
映画の中でも、登場する女性たちが監督に魅了されていく様子が描かれていましたし、映画監督が女性にモテモテであることも描かれていましたっけね。
最後のシーンは、友人であるフランスを代表する俳優で監督の、マチュー・アマルリックもカメオ出演。監督の指示に従わない困ったキャラを演じていました。(日本でも公開予定の)「『毛皮のヴィーナス』を忘れるなよ」、と野次とも宣伝ともとれる言葉で、罵声を浴びせかける場面で笑いをとります。彼演じる人物を筆頭に、人生の終のシーンとして、監督の棺が運ばれ、葬儀の場面なのにもかかわらず、多くの出演者が監督の指示に従わず帰ってしまうという場面が展開し、騒然としたところで映画は終わります。
75歳で新作『シーズ・ファニー・ザット・ウェイ』を披露した
ピーター・ボグダノビッチ監督。
監督絶対、父権絶対の時代の終焉を皮肉に描き、これも監督にもたらされる受難として、未来の映画監督たちに示唆する、フランス映画の真骨頂を観ることが出来ました。
それに応えるかのように、映画監督に定年なんかないんだということを、みごとに身を持って見せつけてくれたのが、『シーズ・ファニー・ザット・ウェイ』。本作をを引っさげ、75歳になったピーター・ボグダノビッチ監督の登場です。
『ワールド・フォーカス』部門の作品です。この監督は長いブランクが心配されましたが、この映画祭で、堂々のカムバックを果たしました。しかも、日本初来日がこの映画祭だというのも、うれしいことです。
若手をやり過ごすかのように、大御所たる熟練の才を際立たせた今回の新作。見逃してなるものかという映画ファンたちで熱狂的に迎えられました。
相変わらずのコメディではありますが、ドタバタとは違う知的な笑い。男と女がいるから起きる、から騒ぎ。ウディ・アレンとも違うNYの大人のラブ・コメディは、おしゃれで監督自身の体験が滲む、人生論のような仕上がりです。
「『ブロンドと棺の謎』(’01)の後の13年間は、書籍『私のハリウッド交友録 映画スター25人の肖像』などの執筆、テレビドラマや、あのトム・ペティとハート・ブレイカーズのドキュメンタリー作品『Runnin’ Down A Dream』 も作ったし、大忙しで歳をとる間もなかったね」
と、余裕で語る監督。老いてますます、お盛んとはこのことです。
リスペクトが映画愛を繋いでいく。
プロデューサーにはウェス・アンダーソンも名を連ねるも、脚本も手がけたボグダノビッチ監督。伝説的名監督のエルンスト・ルビッチへのリスペクトを込めて、彼の名作『小間使い』よろしく、往年のスクリューボール・コメディ仕立てにしているところが、新鮮かつ粋なはからいを感じさせました。
主人公の舞台演出家役がオーウェン・ウィルソン 。絶世の美男子ではなく、もてそうで、もてなさそうで、という彼の持ち味がまた効果を醸しています。監督のために、遅ればせながらもこの映画祭に駆けつけ応援するところも、監督へのリスペクトを感じられました。
それで言ったら、最後のシーンには、クエンティン・タランティーノ監督までカメオ出演していますから、リスペクトの連鎖。これこそが映画が繋ぐ愛と言えましょう。
「彼とは友達でね。家に遊びに行ったりもしてるんだよな」という感じで、売れっ子となった後進の監督との交流にも労を辞さないところが、余裕も余裕でカッコいい。
主人公の男の、女を口説き落とす時に使う魔法の言葉を頻発させる演出に惹きつけられますが、これもまた映画ファンへのサービスと、試すかのような謎々。
「リスに胡桃をやるように、胡桃にリスをやったっていいじゃないか。」 この言葉は、エルンスト・ルビッチ監督の『小間使い』(’46)のワンシーンで、シャルル・ボワイエが小間使い役のジェニファー・ジョーンズに言った名台詞です
新たな『SAMURAI賞』は北野・バートン両監督に。
映画から気の効いた言葉を選び出しては、女性の前でひけらかしている輩が、監督とか演出家とか、プロデユーサーでもある、という自戒の念も込められているように感じられ、実に楽しめる作品でした。
映画祭にふさわしい作品が選りすぐられた感の大きかった、今年の『東京国際映画祭』。常に時代を切り拓き続けている映画人の実績を称える賞『SAMURAI(サムライ)賞』が新たに創られ、北野武監督、ティム・バートン監督が受賞しました。
「グリーンカーペットがなくなったから、自分がバッタにならないで済んだことと、一人じゃ躊躇したけれど,バートン監督となら、恐くはないなと思ったので、この映画祭に出かけてきました。」
と言う、歯に衣を着せない北野監督の映画祭に贈った言葉、ウイットがあって、映画祭の締めくくりに、最高でした。