1本のシネマでも幸せになれるために – 9 - 『ココ・シャネル』は、シャネルの生き方から教わる、「気づき」の映画。気づく数だけ、シャネルを好きになっていくことでしょう。

(2009.08.19)

ココ・シャネルの生き方を知らずして、シャネラーとなるなかれ。

『ココ・シャネル』を観終わった人の多くが、シャネルと言う女性に改めて感動して、そう肝に銘じることでしょう。
シャネルのブランドのことを知りつくしているつもりが、その創設者である一人の天才女性デザイナーのことは、知っているようで、「知ってるつもり」だったことにまず、気づかされるのです。

ブルジョワのための、ブルジョワな世界的デザイナー、の一言で、印象づけられていると思われる、シャネルの存在。そして、不動の地位を築いているシャネル・ブランド。だからこそ、この映画は、観る人それぞれに、感慨もそれぞれでしょう。

ブラックが女を一番引き立てる色であると気づいたのもシャネルだから。アクセサリーひとつにも、すべて理由がある、毅然としたスタイルがシャネルモード。演ずるマクレーンにもシャネルが乗り移ってます。

ファッション関係者にとって、シャネルの自伝はバイブルのような存在でしょうし、その伝説でさえも、半ばミステリーさながら興味深いものとして知られています100年に一人と言っても過言ではないであろう、めくるめくスペクタクルな彼女の88年間の生き様は、オペラや、歌舞伎に匹敵するほど、今の時代にこそセンセーショナルに輝くのです。

現にアメリカではミュージカル化され、日本では今年に入って舞台がふたつ、そしてこの『ココ・シャネル』を皮切りに、彼女の真実に迫る映画が3本も公開されるのです。どのようにシャネルを描こうか、そこにも監督たちのシャネルに対するリスペクトの程がうかがえ、これらをすべて観て楽しめることのでことは、なんて幸せなことでしょう。ワクワクしますね。シャネル自身が生きて味わった幸せな、いや、半ば冒険譚とも言える人生模様を垣間見ることができる、そんな幸せ時間が当分の間続きます。
 
彼女の冒険とは、男の目を意識しただけのゴテゴテのファッション全盛時代に、ばっさりとコルセットから何からとっぱらった着こなしを、シャネルモードと銘打って世に提唱したこと。現在の女性のためのシンプルな装いを生みだしてくれたのは、誰あろうシャネルです。男の服には、実に使い勝手がよく着やすく動きやすい素材が活かされているのに、なぜ女はそれを着てはいけないのかと、それまでの既成概念をさっさと打ち破り、現実のものにしてしまったのもシャネルです。シンプルこそが美しいというコンセプトは何十年も前に、世界で初めて女性であるシャネルが打ち出したものなんです。機能優先主義をエレガントに生かしたのがシャネルスーツだったり、リトル・ブラックドレスだったり。それって意外!という人も少なくないはず。

「完璧にドレスアップしたと思ったら、お出かけ前にはアクセサリーをひとつ外すこと。それであなたは完璧よ」
に代表される、皮肉たっぷりな辛口ファッション哲学を、生きてる間、毎日のように生みだしてくれたのが、シャネルなのです。当時にあって、引き算でエレガントを表現したのはシャネルだけと言っても過言ではない。

シャネルのモードには、すべて裏づけ、理屈、ロジックがある。そうとは知らず、お金持ちのステイタス・シンボルのファッションと決めつけていた人は、だからこそ、きっとこの映画を観て、シャネルが好きになっていく自分に気づくはず。

「何で君は、いつもそんなに怒っているんだろう」
と、つきあう男友達から、いつも言われては、
「戦ってるからよ」
と言い放っていたというシャネル。

戦うための武器はハサミや針や布や糸。自らの腕前、“女前”だけを信じてのリアル・チャレンジャー。生まれつきの、小悪魔的美貌の持ち主で、たぐい稀なる装いのセンス、発想を生きながら身に着け、まっすぐに進んでいった。この“エレガントなる巨人”、シャネルの前に立ちはだかることなど、誰も出来なかったことでしょう。

「運命を変えることが出来ないかしら?」
「特別な存在にならなくては」
と心に誓った気丈な少女は、生きるうえでの目標をしっかりと持ち、一見シンデレラストーリー的な白馬の王子が迎えに来てくれることを夢見ながらも、それをゴールとするような、一般的な女性の道のりとは一線を画した、ゴールなきゴールを見据えていたのでしょう。実際、この映画の軸としても描かれる、貴族世界の二人の魅力的な男友達との交流。この部分は、観る者をめくるめくブルジョワの世界に招いてもくれ、シンデレラそのものの幸運を手に入れたシャネルに嫉妬さえしてしまう場面ですが、同時に、シャネルにとっては、それがサクセスのゴールでも何でもなかったことを気づかせもします。

長いものに巻かれず、体制なんてどこ吹く風、恋人との死別にさえ、ウジウジ悩んでる時間なんて、ありません。が、もちろん人一倍悩み、苦しんだことでしょう。でも、それを人には見せない潔さ、高潔、ゆえに孤独という2本柱が背骨にしっかり入っている人が、シャネルという女。女の中の女。

そしてこんな女だからこそ、男の中の男が引き寄せられていくのです。数々のブルジョワジー、天才芸術家とも浮名を流すが、シャネルは、彼らに帰属しなかった。支援をされても依存しない、生涯独身を通したのも、その高潔さがそうさせたのでしょう。

しかも、そのたび、彼女は自分のファッションでのヒントを手にするのです。、幸か不幸かは関係ない。経験したことから前向きに何かを学び取る。学ぶだけではなく、気づいていく。それが彼女の原動力となって行く。うーん、そうか、彼女は、「気づきの天才」でもあったのだと、私は、またまた、気づかされてしまいました。

そのへんのシャネルの見あげた女っぷり、また伝説として伝えられている数々のエピソードをこの作品は、わかりやすくも、実にクレバーに描いていきます。それはひとえにシャーリー・マクレーンの演技力の賜物であり、また、若かりし頃を演じるバーボラ・ボブローヴァの情熱のお陰でしょう。


いえ、女性だったら誰もがシャネルの、逆境にめげない強さ、男におもねない潔さ、思い切りの良さ、頭の使い方の素晴らしさ、無駄のない、今なら言わばエコ的な発想、これらをどんな障害があっても切り抜ける、いわば本来はすべての女に備わっているはずの能力をフル回転して生きた、そのエネルギーに敬服し、自らも精一杯の力で演じることは、お約束でしょう。

ですからこのたびのシャネルの作品はどれもこれも、素晴らしいのですが、特にこの作品は、15年の空白を経て、70歳で再スタート、しかし、大失敗して引退を迫られるも、最後の最後まで強運引き寄せに自分を賭け、不死鳥のごとく、何と今度は世界的成功をおさめてしまう晩年の見事なシャネルの生き様を、シャーリー・マクレーンが演じていることに大拍手なのです。

顔かたちさえ全く異質、自身はいつもシャネルしか着なかったというマクレーン大姉。映画のシーンでは、みるみる、シャネルが乗りうつったかの如くシャネルそのものに変身。この迫力はやはり演技力のなせるわざ。そして、シャネルへの絶大なるリスペクトの気持ちが、そのままシャネルの語り部となり、観る者を圧倒するのです。ワンシーン、ワンシーンが、女のための格言、言霊の嵐!舌鋒の気持ちいいことよ。観終わったら胸のつかえがすっきりします。

その当時のビジネス・パートナーを、何とあのキューブリック監督作品『時計じかけのオレンジ』で一世を風靡した、マルコム・マクダウエルが演じているのも、ミスマッチングそうで、マッチング。彼の初老ぶりが、マクレーンの晩年のシャネルぶりと、いい意味での「エレガントなる夫婦漫才」的な面白みで、このへんも、最高。

さてさて、もっと、もつと感動的で胸のすくシーンの話は尽きねど、今や神格化さえされた偉大なるシャネルについての生涯現役たる人生は長く、これ以上書くと、さらに長くなってしまいますので、それは観る方々に委ね、今回はこのへんで。

そうそう、一言で言うとこの映画は偉大な天才女性デザイナーの自伝的映画で片づけられるものではなく、ものすごく今的な「気づき」の映画であること、観た人全員が女である以上、きっとココ・シャネルとその服が大好きになってしまう映画であることを、お約束します。

 

うやうやしく、不滅のシャネルの手をとり口づけするパートナー役のマクダウェル。胸のすくシーンの中でも圧巻のシーンです。

『ココ・シャネル』

監督:クリスチャン・デュゲイ
キャスト:シャーリー・マクレーン、バーボラ・ボブローヴァ、マルコム・マクダウェル、オリヴァー・シトリュック他

2008年/イタリア・フランス・アメリカ合作/138分/カラー
配給:ピックス
8/8(土)より、Bunkamuraル・シネマ、TOHOシネマズシャンテ、新宿武蔵野館他にて全国公開中。

http://coco-chanel-movie.jp/