籾山由美の東京-島根 小さな暮らし実家の昭和 パート3
何が目出たいのかグッズ特集。

(2013.01.10)

昭和に建てた家ならば
ひとつは見つかるグッズの数々。

またまたやってきました<実家の昭和>特集。今回は大掃除で出て来たとか、意図して家の中を探して集めたとか無しに家の中を一周して目に入るもを集めてみた。はぁ~とため息が出るほど簡単にアチコチにある。今まで当たり前の景色であるが故に気がつきもしなかった物が数知れず。逆に撮影するのにセレクトしてしまった。笑えない、嗚呼。それでもなお絞りきれず7点と言う大盤振る舞いとなりました。曾婆、曾爺様は下手すると幕末生まれ。七福神などは縁起物として明治大正時代はまだわかる。でもその後よね、問題は。昭和はいきなり縁起物系と旅行地での妙なデザインのお土産物が現れる。今回は恥ずかし過ぎるのでまっとうなものだけにしました。婆様時代は金比羅さまに行くならお土産は真田紐!とずっと言ってましたっけね。コレまっとうでしょ?あ、この時代ならではのおもしろグッズだったのか?生きてる間に聞いときゃよかった!嗚呼。

ところでこの手のグッズ、昭和なら友達の家に行くと新築でも玄関や客間で似たような物を見かけた。どういう理由で大人たちはこのグッズを集めたのか?実際に私の両親に聞いてみた。答え<出張、旅行先で名産品として売っていたので記念に買った>といたく平凡。しかしこの言葉の真意を読み解いてみた。つまり私の両親はこう言いたいのだ、おそらく。出張=仕事を任された実力のある若手。旅行=家族旅行ができる小金持ち。それを近所に見せるために購入しているのだ。なんってこった。だが待て、本気のお金持ちのお家には剥製があった!代々我が家に剥製はない。やっぱり嗚呼嗚呼。

七福神の御利益有りや無しや。
布袋様

この壁掛けは父が描き、爺様が彫りました。固い樫の木なので思いのほか力仕事だったらしい。地道に時間をかけて彫っています。爺様は布袋様がお気に入りだったのか、艶がけまでまでして仕上げている。裏の福助さんはうっすら彫りましたって感じで終了。ぜんぜん気持ちが入っていない。だから裏に福助さんがあることも家族全員見るまで思い出せなかった。本当はどちらが表か判断出来ないけれど。きっと彫るのに飽きたんでしょうねぇ。最初は熱心なのに飽きるのが早いのは代々の血筋と判明。嗚呼。

七福神の布袋様を父が描き、爺様が彫りました。裏は福助さん。
七福神の中でも有名な二神なり。

大黒様と恵比寿様の壁掛け。小さいのは母方の実家から、大きいのは父方の物。父母ともに生まれたときからあるそうな。もちろん私も生まれたときから見ているグッズのひとつ。母方の物は最初は曾婆様の家の台所にあった。竃(かまど)の脇の柱に掛けてあり、柱が煤(すす)で黒くなっても艶があったのを今でも覚えている。くだらないこともうんうんと聞いてくれる聞き上手な曾婆様だった。ま、私がつたなくしゃべる幼い歳の頃でしたが。

大黒様と恵比寿様は一度は聞いたことがあるはず。私は大黒様の歌が唄える。。
金杯で乾杯!なんちゃって。

父がの仕事の関係上もらったらしい金杯。記念品として記してある。よほど大きな事業だったのか桐の箱入り。そういえばメロンも桐の箱入りだったし、高級な焼き物もなんぞも桐の箱だった。箱入りになると格段に他の物と感覚的な差がついていた。しかも金。しかし無駄な格上げ。なんちゃって金より本物の塗り物が欲しい。嗚呼。

使いもしない金杯が重ね式も入れて5つもある。本物の金でもないのになぜこの数必要なのか?理解不能なり。
貰っても嬉しくない物を作る母って。

<飛翔>などとタイトルがつきそうな折り紙の鶴。母の制作。母曰く<原田サンが講師で婦人会で集まってそれぞれ作ったの>。まさに都築響一さんも提唱の<おかんアート>!あまりにもあまりな代表格な出来具合。それが一番に目につく玄関にあったとは。知らぬが仏。否、見えぬが仏。気がついたときは腰砕けな感じ。これ以上のコメント無し。嗚呼

おかんアート
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煙草の箱でないだけましか?煙草や爪楊枝で城を作ったりするのは大抵男性。探せば<おとんアート>も実在するねぇ。。
吹いても飛ばない将棋の駒。

左馬(ひだりうま)と呼ぶ縁起物。父が出張先でお土産として購入。出張先でのネタ話をおもしろおかしく話すための道具のひとつにしたようだ。確かに帰って来てこの駒をみせながらの話は家族中が盛り上がった覚えがある。しかし今はなんに盛り上がったかはまったく覚えちゃいない。今はひっそり飾り棚の奥に立っている。嗚呼。高さ約12.5㎝x横10.5㎝、厚さ4.5㎝


渋谷区千駄ヶ谷に将棋会館がある。興味のある方はぜひここへ。

達磨さんは転ばず、じっと座る。

我が家にはやたらある達磨群の一部。中には父の手作り達磨がある。しかしこれはあまりに顔が恐くて家族の嫌われ者に。思わず撮影からはずした。にもかかわらずそれが普通の日常にある事がおそろしい。嗚呼。大きい達磨は木彫り。ちいさい達磨さんは焼き物の貯金箱。婆様ご使用のもの。五銭、十銭と貯金していたらしい。達磨さんの愛嬌のある顔が可愛いらしい。

父は達磨大師の大ファン。捨てられたくないためこっそり数多所有。
けっこう大きいのが特徴。木彫り熊。

出ましたオオトリ!紅白歌合戦な気分。アチャ。鮭をくわえた木彫りの熊。デカイ、重い。どーやって持って帰ったのか?宅急便はない時代だ。紙に包むか箱に入れ、紐で括って住所を書いたタグを2枚つけなければいけない。もちろんシールではなく針金を穴に通した例の奴、そう荷札。これを購入するのも万屋さんを探さなければならず土地勘のない場所では大変だっただろうに。と、思いきやしっかり抱えて帰ったそうな。嗚呼。


“跳ねる鮭が勇ましい木彫り。やっぱりな感じがにじみ出る、いいけど……。