道田宣和のさすてーなモビリティ vol. 14サブウェイ、オンザウェイ 首都高・中央環状品川線を初公開

(2014.08.01)
トーキョーモビリティ14。国道246号線・通称“玉川通り”の頭上に展開される首都高3号線と大橋JCN。まるで懸垂式モノレールだ。渋谷に向かって右側に中央環状との分岐・合流用の壮大な4層ループがある。
トーキョーモビリティ14。国道246号線・通称“玉川通り”の頭上に展開される首都高3号線と大橋JCN。まるで懸垂式モノレールだ。渋谷に向かって右側に中央環状との分岐・合流用の壮大な4層ループがある。
 

スロー・バット・ステディ

今にして思えばちょうどバブルの時代だった。当時編集部所属の雑誌記者だったボクは都内のサラリーマンとしては異例のクルマ通勤を許されていたのだが、さすがに月曜日の朝ともなるといささか憂鬱だった。なにしろ片道僅か17kmの距離に対して2時間前後掛かるのはざらで、ワースト記録は3時間+にも及んだ。その間クルマはまるで風が凪いだようにべったりと止まったまま。動くとしても時折思い出したように数台分進むだけだから、業を煮やしたドライバーが車外で背伸びをする姿も散見されるほどだった。だが、今はまずそんな光景は見掛けない。同じ渋滞でもいわゆる「連続進行」と言って、大抵は少し待つ間にチョロチョロと動き出すのである。

パワー・オブ・オーソリティーズ

幸か不幸か「世界最悪」のレッテルが剥がされ、今や代わりに中国やASEAN諸国がその地位を襲ったのは日本にとっての「失われた20年」に於ける勢いの違いがそのまま反映された結果とも言えるが、実はもうひとつ、渋滞が緩和された背景には遅蒔きながら道路環境が少なからず改善されたことも見逃せない。

「遅蒔きながら」の意味は、ボク自身、取材で1970年代からドイツのアウトバーンやイギリスのモーターウェイ、フランスのオートルート、イタリアのアウトストラーダ、アメリカのフリーウェイなどを走り始めて彼我の圧倒的な差を痛感させられていたからだ。国中に張り巡らされた高速道路網、しかもレーンの数やバイパス路線の存在など、「容量」そのものも桁違い。

おまけに、最近でこそやや事情が変わってきたらしいが、基本的にアングロサクソン系は通行料が「タダ」だし、ラテン系はたとえ課金したとしても日本とは比較にならない安さ。一般道にしても、イギリスのようにどんな田舎の「B級道路」でも路面が鏡のように良好に保たれていて、だからあの国のクルマはロードクリアランスが小さく、そのためMGミジェットやトライアンフ・スピットファイアなどに至ってはウェストラインの低い窓から手を伸ばしてアスファルトでマッチが擦れたという、まことしやかな伝説が得意気に語られたほどだ。そこには道路行政に対する「国」の姿勢が如実に表われていた。

 

***

それでも日本の道は着実に延びている。東京の話ばかりで恐縮だが、ボクの身近なところでもここ数年で新規路線の開通が相次いだ。約60年振りに陽の目を見た、例の虎ノ門界隈を貫く通称“マッカーサー道路”を始めとして、青山の“骨董通り”とクロスする形で“駒沢通り”が世田谷の上野毛から赤坂まで直結されたし、“恵比寿ガーデンプレイス”周辺と“山手通り”の間を連絡する“茶屋坂”が整備され、ストレートに行けるようになった、などというように。

いずれもすでにビルトアップされた市街地だっただけに用地買収が難航していたもので、それぞれ距離自体は僅か1.4km〜数百mとごくごく短くても長年壁のように立ち塞がっていたものが一気に開けたため、その効果たるや目を瞠るものがある。

 

ステイト・オブ・ジ・アート

そんな折、道路設置者側の「持続する意志」を建設工事の現場視察という具体的な形で確認できたのはよりストレスフリーなモビリティ社会の実現を願うひとりとしてそれなりに納得の行くものだった。現在整備中でこの平成26年度中、つまり来年3月末までに開通する予定の“首都高速・中央環状品川線”に我がRJCが許可を得て足を踏み入れ、つぶさに見届ける機会を得たのである。

(前回の)東京オリンピック開催に備えて1962年に1号羽田線・京橋-芝浦間4.5kmが最初にオープンしてから今年で52年になる首都高は現在総延長301.3kmに及ぶが、さらに今なお28.3kmが新設中で、そのひとつが3号渋谷線・大橋ジャンクションから湾岸線・大井JCNまでの約9.4kmを結ぶ品川線というわけである。

中央環状はすでに湾岸線・葛西JCNから大橋JCNまでの区間が開通済みで、品川線が完成すると全線が文字通り「環状」に結ばれ、これまで東京を「通過」するだけだった車両も不可避的に集中して混雑が目立った、インナーループたる都心環状の渋滞緩和が期待されるのだ。

9.4kmのうち8.4kmはその大半が既存の山手通りの下を通り、一部並行する目黒川の下も潜るほぼ全線トンネル構造で、既設の中央環状・西池袋ランプ-西新宿JCT-大橋JCN間のそれと合わせると約18kmとなり、これは道路トンネルとして日本一の長さを誇るのだそうだ。

玉川通りに面したところに仮設の入り口が。壁の向こうはすでに供用中の連絡路で、その切れ間から除くとクルマがワルツを踊っているのが見える。左に折れれば品川線に続く工事中の連絡路が。
玉川通りに面したところに仮設の入り口が。壁の向こうはすでに供用中の連絡路で、その切れ間から除くとクルマがワルツを踊っているのが見える。左に折れれば品川線に続く工事中の連絡路が。
 

それだけに、現在トンネルの「穴」が貫通し、引き続き付帯設備の工事が行なわれている現場は巨大サイエンスのショールームさながら。なかでも片側2車線の本線とJCN用の1車線が分岐/合流する大橋工区は予め隣り合った大小ふたつの“シールドマシーン”で別々に刳り貫かれたそれぞれのトンネルを最新工法で合体させ、計3車線の、断面が楕円形の巨大な空間に仕上げる世紀の大工事。いざ通行できるようになってからでは垣間見ることのできない貴重な体験だった。

運用中でクルマがビュンビュン走る、そのすぐ隣りで品川線との接合が進む。前方の円形はトンネルの常だが、同時にシールドマシーンの掘った形跡をも示す。
運用中でクルマがビュンビュン走る、そのすぐ隣りで品川線との接合が進む。前方の円形はトンネルの常だが、同時にシールドマシーンの掘った形跡をも示す。
それを、未通の品川側から見たところ。前方の明るい部分が開通済みのループ。左の段差がシールドマシーン1基分の端部。
それを、未通の品川側から見たところ。前方の明るい部分が開通済みのループ。左の段差がシールドマシーン1基分の端部。
 
ロード・トゥ・ザ・フューチャー

ただし、圧倒されてばかりでは意味がない。かつて道路交通のインフラストラクチュアと言えば物理的なファンダメンタルズ、すなわち構造物としての道路だけで話は終わっていたが、今やモビリティにもITが欠かせない時代。せっかく造った新しい道路が果たして現在進行形のITSこと高度道路交通システムやEVこと電気自動車、はたまた近未来のFCVこと燃料電池車やオートノマスこと自動運転車などにどう対応し、どう対応できるのかといった問題については別の話。かつて我々は欧米のように「交通省」を設置すべきだと主張したものだが、運輸省と建設省が統合されて「国土交通省」となった今こそ、そのシナジー効果をフルに発揮すべき時ではないのか? さらに望むらくは自動車産業を管掌する経産省とも連携して、だ。

本線の構造。地表を掘ることなく、地中をモグラのように切り進むシールドマシーンによって粛々たる工事が可能となった“非開削工法”を基に、円形ないし楕円形の側壁で山手通りを始めとする頭上の重量を支える。クルマや飛行機の“モノコックボディ”と同じ原理だ。阪神淡路大震災級に充分耐えられるという。水平部分はクルマが実際に踏みしめて通る路床となる。その下はサービスブロックで、電気や水が走るほか、通風の役割も担う。
本線の構造。地表を掘ることなく、地中をモグラのように切り進むシールドマシーンによって粛々たる工事が可能となった“非開削工法”を基に、円形ないし楕円形の側壁で山手通りを始めとする頭上の重量を支える。クルマや飛行機の“モノコックボディ”と同じ原理だ。阪神淡路大震災級に充分耐えられるという。水平部分はクルマが実際に踏みしめて通る路床となる。その下はサービスブロックで、電気や水が走るほか、通風の役割も担う。
地上に出ると陽が傾きかけていた。大橋から山手通りのこの辺り、すなわち青葉台1丁目くらいまで地中を歩いたわけだ。
地上に出ると陽が傾きかけていた。大橋から山手通りのこの辺り、すなわち青葉台1丁目くらいまで地中を歩いたわけだ。