土屋孝元のお洒落奇譚。お茶事とは現代美術なり。

(2010.08.10)

最近、濃茶(こいちゃ)を飲む事が多くなりました。
お茶など詳しくない方などは、濃茶(こいちゃ)と言うと構えてしまい、
少し緊張するかもしれませんね。

濃茶とは、簡単に解説すると戦国時代までさかのぼり、利休が始めた草の手前を手本に改良されたお茶の様式です。

まず、簡単な食事(茶会席)の後に、お菓子をいただき、濃茶を客で回し飲みます。この濃茶での歴史的古事から、人柄がわかることなどもあります。

©Takayoshi Tsuchiya

一般的には石田三成は計算高い(官僚的)などとイメージがありますが。三成が末客で、前に大谷刑部がいて刑部の顔から膿が落ち茶碗に入ったのを気にもせずに飲み干した。と言うのです。三成の本当の気持ちはわかりませんが、気配りは出きた人だなあとは思います。秀吉が三成を家来にしたときの逸話も、お茶にまつわり、
暑い夏にある寺へ立ち寄った秀吉にお茶を三杯振舞ったそうです、
最初は大きな茶碗にぬるめの茶を出し、次に少し小さな茶碗にやや熱めの茶を、最後に小振りの茶碗に熱い茶を出した小姓を連れて帰り、その小姓が後の三成だそうです。

この濃茶を美味しくいただくために料理もお酒も用意されるのです。
夏の暑い時期に飲む濃茶の一杯は身体全体に抹茶の清涼感が広がり、
茶事に招かれ、茶室にての喫茶は意識を別の次元にまで高めてくれます。

茶事では この後、席を出て待ち合いにて暫し休憩です。
合図 にうながされて席に入り直します。

そうすると、床(とこ)飾りが軸装から花に変わっています。
これも亭主の好みですが、この時、花入れには竹を細工したものが多いですね、
席入りの時には高僧の書の軸とか、南画の軸とかが多いようですが、
それは亭主の趣味や趣向により変化するものです。

最後にお菓子と薄茶をいただき茶事は終わりになります。
亭主側は茶事を開くにあたり、手紙を送り 席入りの人の組み合わせを考え
料理を用意し、お菓子を選びまたは、自ら作り 。濃茶、薄茶のお道具を組み合わせ、この組み合わせこそ亭主の趣味がわかるものなのです。夏ならば風炉の灰がたを作り炭をおこし、茶事にのぞみます。

招かれた客は手紙にて早めに返事を送り その日のために準備を整えます。
話は前後するのですが、亭主が茶事を開くというのは自分の道具を見せたい、
または、珍しい道具を手に入れたとか。季節の風雅を客と愉しみたい、花見などはその典型的なものでしょうか。

僕は最近思うのですが、茶事とは現代美術にも通じるものがあると思うのです。
書や軸装(じくそう)の絵や香炉(こうろ)、香(こう)、窯(かま)茶碗、料理、料理を盛る食器、菓子器、菓子、お茶(抹茶にもいろいろと種類があります。)客、亭主によるその時の一瞬のハプニングアートかパフォーマンスアートではないのかな、と。一期一会とはそのことを一番表していると思います。

茶室という空間を共用し、その場の空気や緊張感、その時の話題なども含め
その時その場でしか表現出来ないものなのです。
以前、出かけたある茶事のお道具の取り合わせを案内します。

軸装は「必死三昧」井上有一の書。香炉は東南アジアの種をくり抜き、
なかに拭き漆を塗り香炉に見立てたもの、
茶碗は小川待子さんの金釉薬の平茶碗(ひらちゃわん)名(めい)は浅井(あざい)
これは戦国時代信長が北陸攻めの時、浅井、朝倉を平定した後、その髑髏にて酒を飲んだという古事よりの名(めい)浅井(あざい)です。

これは一例ですが、このように亭主の趣味や趣向により可能性は広がります。
僕は以前、イワタルリさんのガラス器を水差しに見立て葉蓋手前にて茶会を開きました。道具を見立てることによりお茶の可能性は広がります。

©Takayoshi Tsuchiya

先日は稽古をしている師匠の茶室にて李朝の蕎茶碗を使わせていただきました。
茶碗ひとつがベンツ一台分と言う、
本物にはそれだけが持つ良さがあり、美術館で見ていても触感や口あたりは、使ってみないとわかりませんね。