Brooks Brothers × magazineworld.jp ブルックス ブラザーズ クロニクル ~時を超え、愛すべき本物~

(2010.12.27)

ブルックス ブラザーズ定番アイテム
その歴史、着こなしアイディア総覧!!はこちら。

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1776年に建国したアメリカは意外にも230余年しか歴史がない若い国です。その浅いヒストリーにあって、200年近い『Brooks Brothers(ブルックス ブラザーズ)』の歩みはほとんどアメリカ史そのものとすら言えます。

 

1818年、ヘンリー・サンズ・ブルックス がニューヨーク チェリー・ストリートと
キャサリン・ストリートが交わる交差点で創業。元々医師であった父が開業していた場所であった。図版は1845年当時のもの。

メンズファションの骨格を組み上げたと言っても過言ではない『ブルックス ブラザーズ』の成り立ちと、気になる今後の展開を、ブルックス ブラザーズ ジャパン社で商品部で企画MDメンズの大平洋一さんから詳しくうかがっていきましょう。

 

大平洋一 (おおひら・よういち)

ブルックス ブラザーズ ジャパン 商品本部 企画MDメンズ担当

桑沢デザイン研究所でデザインを学び、『原宿キャシディ』でのアルバイトを経て1990年に『ブルックス ブラザーズ ジャパン』に入社。ファッションポリシーはトラディショナルな中に奇をてらわない斬新さ。休日はもっぱら3人の息子と釣りをして過ごす。釣りのほかゴルフも大好き。

 

1925年に制作されたブルックス ブラザーズ ストアーズの年代地図。
ニューヨークの人口増加にともない、店舗は荷物の積み下ろしに最適だった
港湾地域からセントラル・パークへと北上していった様子がわかる。

 

歴代大統領に愛されるブランドの伝統。

 
まずは『ブルックス ブラザーズ』の数々の伝説をおさらいしておきましょう。「40歳を過ぎたら、男は自分の顔に責任を持て」という名言を残したリンカーン米大統領はおしゃれにも独自の哲学を持っていたようで、『ブルックス ブラザーズ』の顧客リストに名を残しています。劇場で撃たれた瞬間も『ブルックス ブラザーズ』のコートに身を包んでいたそうです。

リンカーンはじめケネディ、ニクソン、フォード、クリントン、
オバマなど歴代大統領に愛された『ブルックス ブラザーズ』。
独立宣言を起草したトマス・ジェファソンにも衣類を提供していたという。

時代のアイコンだったジョン・F・ケネディ米大統領も『ブルックス ブラザーズ』のファンとして有名でした。現職のバラク・オバマ米大統領を含め、いずれも演説の名手だった点も不思議と共通しています。メッセージを持つリーダーに『ブルックス ブラザーズ』はふさわしい威厳と誠実さを寄り添わせてくれるのでしょう。

ボタンダウン・シャツはもはや当たり前の定番ウエアですが、実はこれを初めて商品化したのは、創業者の孫のジョン・E・ブルックス氏でした。『ブルックス ブラザーズ』が生んだ、米国服飾史に残る発明ですが、現在ではあまりに定着しすぎて、これがオリジナルアイテムだとは信じてもらいにくいほどです。英国で見たポロ選手のシャツから着想したボタンダウン・シャツを、『ブルックス ブラザーズ』ではそのインスピレーションにちなんで今も「ポロカラーシャツ」の名前で取り扱っています。ボタンダウンが普遍的なデザインとなった今でも、優美にロールする襟の風格は他社の追随を許しません。

 
映画『華麗なるギャツビー』の原作小説を書いた作家のスコット・フィッツジェラルドや、小説『路上』でビート世代のシンボル的存在となった作家ジャック・ケルアック、ポップアート革命を起こしたアンディ・ウォーホルなどからもポロカラーシャツは愛されました。世代、スタイルの異なる表現の先駆者たちから選ばれたという出来事は、『ブルックス ブラザーズ』のポロカラーシャツがあまたのボタンダウンとは別格の特別なウエアであり続けている事実を物語ってもいます。

 

アメリカンスーツのスタンダード「ナンバーワン サックスーツ」

 
身体を締め付けないナチュラルショルダー、誰にでも優しくフィットするボックスシルエット、スーツのお約束とも言える3つボタン段返り、動きやすいセンターベント……。これらのアメリカンスーツの典型的な特徴を兼ね備え、アメリカンスーツの原点となったのが「ナンバーワン サックスーツ」。数々の傑作を世に送り出してきた『ブルックス ブラザーズ』の誇る歴史的スタンダードです。ゆったりしたシルエットを麻袋(サック)に見立て、「サックスーツ」と呼ばれるようになったところからも、この発明がどれほど着る人から愛されたかがうかがえます。

1900年頃『ブルックス ブラザーズ』が発売したポロ・ボタン・ダウン・カラー・シャツはアメリカにおける襟付きシャツのさきがけとなった。写真のイエール大学の合唱隊 “THE WHIFFENPOOF” のメンバーも着用。このシャツとナンバーワン・スーツが東部のカレッジの制服として定着した。1935〜1946年まで社長を務めたウィンスロップ H・ブルックス ブラザーズは写真の右から2番目に写っている。

『ブルックス ブラザーズ』が世界で初めてレディメイドを導入した1845年当時はまだオーダーメイドがスーツの主流でした。そもそも19世紀半ばまで衣類はほとんどが手縫いだったのです。裕福な人は上質な衣類をこしらえる仕立て職人を雇っていましたが、そうでない大半の人々は地元のお針子に頼っていました。しかし、既製服が登場したおかげで、新品の服が身近な存在に変わりました。『ブルックス ブラザーズ』は良質な既製服を提供することによって、装いを民主化したわけです。

 
多くの移民が仕立ての良い服を身に着けることを成功への近道として選び、『ブルックス ブラザーズ』の既製服を競うようにして買い求めました。裕福な人だけではなく、新たに成功した人たちに支持されて、『ブルックス ブラザーズ』はアメリカンドリームを象徴するブランドとなっていきます。そして、「ナンバーワン」モデルが発表された1895年、スーツは民主化され、現在に至るビジネスアイコンとしての道が開かれました。これも知る人ぞ知る『ブルックス ブラザーズ』の功績と呼べるでしょう。

1920年代の店頭の様子。『ブルックス ブラザーズ』のネクタイは、最高の品質、
豊富な色とデザインですでに有名であった。

スーツスタイルに欠かせないネクタイも今では当たり前のアイテムですが、その普及にも『ブルックス ブラザーズ』は一役買っています。ちょっと信じがたいかも知れませんが、今のような結んで提げるタイプのタイが一般的になったのは、ここ100年余りの事。それまでは蝶ネクタイが主流でした。後に社長となったフランシス・G.ロイド氏は1890年に英国で触れた新しいタイをアメリカに持ち帰り、「シルクフーラードネクタイ」と銘打って発売。大ヒットさせました。

ハリウッドを代表するミュージカルスターで、小粋なファッションで
一世を風靡したフレッド・アステアも『ブルックス ブラザーズ』のアイテムを愛用した。

エレガントなダンスでハリウッドのミュージカル映画全盛期を支えた名優フレッド・アステアは『ブルックス ブラザーズ』のタイをたくさん買い集め、首に巻くのはもちろん、ベルト代わりに腰にも巻いていたというエピソードを残しています。斜めにストライプが走る、英国のレジメンタルタイをアレンジして、右下がりのストライプをアメリカで流行させたのも、『ブルックス ブラザーズ』の手柄でした。

 

洋服だけではなく、靴や帽子まで。

 
スーツやネクタイだけが『ブルックス ブラザーズ』の商品ではありません。靴も大事な装いのパーツ。例えば、馬の臀部の革「コードバン」を素材とする紳士靴は『ブルックス ブラザーズ』のシグネチャー的品のひとつ。1910〜20年代に無敵を誇ったヘビー級プロボクサーのジャック・デンプシーは引退後に『ブルックス ブラザーズ』のコードバン製シューズを愛用していたことでも知られています。履き込むほどに馴染みがよくなり、つややかに足を守るコードバン製シューズは、上質な品に愛着を持っていつくしむ紳士のたしなみにぴったりです。

1930年代。リラックス・タイムからスポーツまで、あらゆる状況に対応できる『ブルックス ブラザーズ』のフットウェア。なめし革の芸術といわれるコードバン・レザー・シューズのほか、カウボーイシューズも。

商品を超えた「商品」とも言えるほど、『ブルックス ブラザーズ』の評価を支えてきたのが、ショップ販売員の存在です。丁寧な物腰や、顧客本位のもてなし、豊富な商品知識などにはショップに足を運ぶたびに驚かされます。数々のベストセラーアイテムや著名人のエピソードに彩られてきた『ブルックス ブラザーズ』ですが、最も伝説的と言えるのが、実は販売員と顧客との関係なのです。お客様のサイズや好みをしっかり把握している販売員が顧客との間に築き上げた信頼感こそが『ブルックス ブラザーズ』の財産となっています。
 

創業当初からオーダー・メードと既製服の双方において卓越した技量を発揮することで知られていた『ブルックス ブラザーズ』。「Maker(メーカー)」と「Marchants(商人)」を兼任していたため、製品を完全に把握し、顧客に対して最高品質の衣類を提供することができた。
「私たちが販売している衣類は、私たちの店舗でデザインされ、手作業で裁断されてすべて自身で縫製しています。それも私たちが選んで輸入したウール地を使い、大部分を手縫いで仕上げています。」1939年、ウィンスロップ・H ブルックス社長は語っている。

『ブルックス ブラザーズ』ではいわゆるヒーローがいません。販売員は全員が常にお客様の最も身近な存在であり、ブランドの価値を体現する役回りです。すべての販売員は何世代にもわたって、『ブルックス ブラザーズ』というブランドの確立に貢献してきました。その一例と呼べるのが、「巡回販売員」という制度です。ショップから離れた街に住むお客様のために、アメリカ各地に出掛けてお客様に最新の商品を提案して、ご要望にお応えするこの取り組みは1人の販売員が1軒のショップと同じような能力を発揮したことを示しています。彼らはブランドを代表する「大使」の役目を果たし、各ショップへ足を運んだのと同じような接客でアメリカじゅうのお客様に『ブルックス ブラザーズ』の魅力を伝えたのです。今ではこの制度はなくなっていますが、上級役員の多くは早い時期にこの巡回販売員の経験を積んでいて、お客様のニーズを性格につかむ訓練はその後の仕事に役立っているそうです。

『ブルックス ブラザーズ』は当初から、ユニフォームやスポーツウェア、乗馬服など専門服部門でも知られていた。生涯を通じて『ブルックス ブラザーズ』を愛用する顧客は、ボーイズ部門からの愛用者が多い。

ロングセラーのひとつひとつ、そして顧客と販売員の結び付きにも伝説や物語を持つ『ブルックス ブラザーズ』。その栄光と価値を深く知る大平さんにお手伝い願って、さらに深く社会背景やブランド哲学にも目を向けていきましょう。

 

−−メンズファションの歴史を写す鏡とすら言えそうな『ブルックス ブラザーズ』ですが、アメリカでの『ブルックス ブラザーズ』の位置づけを教えてください。

 
『ブルックス ブラザーズ』はアメリカでは紳士ブランドの中で一番歴史の長いブランドです。およそ200年もの歴史があるわけですから、おじいさんから、お父さん、子供、孫へという具合に、世代を超えて自然と受け継がれていく存在になっています。

アメリカ社会にも生活の質で一種のクラスがあり、『ブルックス ブラザーズ』はいわゆる良家と言われるような人たちが認めるブランドとして位置づけられています。単純に所得が高いというのではなく、本質を知る知性、マナー、生活レベルを備えた階級のお客様が長年の顧客になってくださっています。流行のパワーブランドに興味を持つ人たちとは違う、時を超えて愛着を持てる本物を求め、それを見極める目を持った方々というイメージです。

 

−−生まれた時から我が家に『ブルックス ブラザーズ』がたくさんあるという環境で育っているお客様が多いわけですね。お父さんのワードローブを幼い頃から見て育っているから、自然に取り入れることができるわけですね。

 
そうですね。お父さんのクローゼットの中にある『ブルックス ブラザーズ』を、自己流にアレンジすることで、自分らしい着こなしを覚えていく息子さんは多いようです。お父さんが着ていたスタイルを着崩す、もしくは親に買ってもらった物をそのままではなくて、自分流に工夫して着こなす。そういう経験は、アイビーリーグやプレッピーになる予行演習のようなものでしょうね。

でも、こういったクラスの若者はきちんとしたレストランでの食事やパーティの場では、ちゃんとした正装ができるんです。プレッピーで着崩すこともでき、さらに正装もそつがない。そういう家庭、ライフスタイルで育った人たちがそのままアイビーリーガーになり、やがてはアメリカを動かすような立場になっていくようです。

 

−−大変興味深い話です。では、日本ではどのような位置づけなのでしょう? 日本の団塊世代の人たちには『ブルックス ブラザーズ』の熱烈なファンが多いと聞きます。日米では違いがあるのでしょうか。

 
アメリカでは歴史が長い事情もあって、ごく自然にワードローブに取り入れられている感じです。でも、日本では30年前ぐらい前に、本格的な登場を果たし、これが正にトラッドブームの時だったわけですよ。VANあたりが火付け役になったと思うのですが、それがやがて「メイド・イン・USA」ブームになり、そこに『ブルックス ブラザーズ』が入ってきて、「トラッドの総本山」という風なポジションで扱われたので、その時は極めて旬なブランドだったわけです。

本当に一番旬なブランドで、今で言えば、ちょうどトム・ブラウンが「ブラックフリース」を引っ提げて日本に乗り込んできて大きな話題になったのと同じように、憧れの本物ブランドが入ってきたという感じで、大変なブームになりました。

一方、アメリカ人の人たちは『ブルックス ブラザーズ』に関して「旬なブランド」という考えはなく、むしろ生活に根付いているブランドと受け止めていると思います。ごく自然に着ているベーシックな存在という感じでしょうか。もっとトレンドを意識して着たければ、もうちょっと今っぽいブランドを選ぶとか、同じトラッドがベースでも、さらにトレンド寄りのものをチョイスする人もいるでしょう。そういったところでは日本人とアメリカ人の温度差があるかも知れません。

2011 s/s ニューカジュアルライン。

−−ところで、最近の若い人の間ではファッションのカジュアル化がますます進んでいます。『ブルックス ブラザーズ』では「ニューカジュアルライン」がデビューしたという事ですが、詳しく教えていただけますか。今まではきれいめアイテムのイメージがあると思うのですが。

 
確かに以前は、シャツも洗いをかけているものはあまりなく、カジュアルシャツでもパリッとした風合いが主流でした。ノーアイロン加工が施されていて、クリーニングに出さなくても済む、見た目のパリッとした商品のイメージが強かったと思います。もちろん今もそういった商品を求める顧客ニーズを大切にしつつ、若い層にも『ブルックス ブラザーズ』に触れてもらうために、この秋デビューした「ニューカジュアルライン」には様々な新しいアイテムが登場しています。

パンツはヴィンテージ加工を施し、ワークシャツにはガーメントウォッシュ。デニムもあります。この秋冬はメンズ中心に展開していますが、次シーズンからはウィメンズにもこういったカジュアルラインが出てきますので、楽しみにしていてください。

 

−−春夏の「ニューカジュアルライン」はどんな感じでショップに並ぶのでしょうか?

 
ショップではテーマ別にディレクションしていきます。2011年は最初に「モアカジュアル」をテーマに据えて、ショップ内のディスプレイも変えていきます。その後は、「1950年代を意識したクラシック」、そして「ディスカバリー(冒険)」といったテーマが控えています。ニット、ポロ、Tシャツ、ラガーシャツなど、今まで以上にカジュアルやアウトドア系のアイテムがプラスされるので、ぜひショップに足を運んで、「ニューカジュアルライン」を感じ取ってみてください。

 

−−それはとても楽しみです。大平さん、前・後編にわたって貴重なお話をありがとうございました。

19世紀半ば以降、リボンで吊るされた子羊、「ゴールデン・フリース」のシンボルが『ブルックス ブラザーズ』のロゴとなった。「ゴールデン・フリース」とはオランダ及びバーガンディ公爵フィリップが、愛する妻イザベラのために創設したナイト爵位。騎士の各々の心に刻まれる「神の子羊」でしばしば毛織物業界のシンボルとして使用されてきたもの。ゴールデン・フリース騎士団はヨーロッパで最もスタイリッシュな騎士団として精彩を放っていた。品質と完全性、ヨーロッパ仕立て服の伝統を象徴するため『ブルックス ブラザーズ』はこのロゴを使用しているのであろう。

 
 

インタビューを終えて

 オーセンティック(正統派)なアメリカンクラシックが薫る『ブルックス ブラザーズ』は、目先の流行に左右されないタイムレスなブランドであり続けている点で、比類なき孤高のブランドと言えます。その一方で、「200年ブランド」の座に安住せず、絶えず新たな挑戦を怠っていません。マドラスチェックやシェトランドセーターを初めてアメリカに紹介したのも『ブルックス ブラザーズ』でした。「ブラックフリース」誕生の衝撃は記憶に新しいところです。時の試練にたえきれず、消えていくブランドが珍しくない中、200年という稀有なロングライフを経てもさびないどころか、かえって信頼と輝きを増しているのは、本質、本格、本物を追い求めるたぐいまれな誠実さの証でしょう。すべてが早く、軽くなりつつある今、『ブルックス ブラザーズ』のブレない頼もしさはさらに重みを増していると感じられるでしょう。

 

 

 

 

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