光隠居とミヤビちゃんのちょっと聞けない日本の雅 -日本の常識 - 〜その7 立春大吉〜

(2010.02.09)

白川 光(しらかわ ひかる)翁(おう)は、この町が出来た20年前に都内台東区から引っ越してきた、今年77の喜寿を迎える品の良いおじいさん。引っ越してきた当初から町づくりに奔走し、近所付き合いの希薄なこの町にあって、唯一『ご隠居(ごいんきょ)』と云われて皆に慕われている。『ご隠居』。この言葉、今はとうに無くなった言葉だが、朝一番に起きて着流しのまま向う三軒両隣の道を竹箒で掃き清め、誰彼構わず「おはよう!」と声を掛ける姿に、何時しか『ご隠居』とこの古めかしい渾名がついたというわけだ。先年妻を看取り、今は独居老人である。どうやら血筋は良いと云う噂だ。そんな『ご隠居』が心配で止まない『雅(ミヤビ)』と云う少女が居た。

まだまだ寒い日が続く如月(二月)の午後、ベットタウンの月桜町は普段にも増して静かだ。しかし、幽かに鼻腔は梅花の香りを感じている。町唯一の和菓子店『福嶋庵』の季節の銘菓『鶯餅』を挟んで、光隠居とミヤビは隠居の家の縁側で、押し黙りつつ庭先に咲いている梅の木を眺めていた。そんな想像するだけでも呆けてしまいそうなシーンを、ミヤビの唐突な質問で現実に戻されるご隠居なのであった。

ミヤビ(以下ミ) 『御隠居』! 先週の月桜町大豆まき大会。あれほど私の方にお菓子投げてって言ったのに、二コリって笑っただけで、何も無かったじゃない!

と、かなりのオカンムリ。

光隠居(以下光) これこれ! 滅多な事を云うものじゃない。一番前に何時間も前から陣取りして、ムササビみたいな恰好をして努力しているオバサンや小学生達に比べて、何の努力もしないで簡単にお菓子を手に入れようなどと考えている不届きな鬼ミヤビに、福は齎(もたら)されんのじゃ!

 何を言っているのか、全くイミフ(意味不明)だけど、この茶色の粉の掛った緑色のお菓子で許してあげるわ!

と言って『鶯餅』を頬張り、噎(む)せ返えりお茶で飲み下す。

 慌てて食べずとも……。それは『鶯餅』と云うんだよ。

呆れ顔で茶を一と喫するご隠居。

 『ウグイスモチ』? 緑大福かと思った……。ところで、なぜ節分に豆撒きなの?

 ほ~……。お菓子にしか興味がないと思って居ったが、『節分』が気になるのか?

 ふん! 私だってお菓子のことだけを考えている訳じゃないの

 成程! これは失敬した。そもそも『節分』は季節の変わり目という意味で、暦では年に4回在るが、今は冬と春の変わり目を『節分』と云う様になったんじゃ。

 『節分』が4回~? 豆撒きも4回出来るってこと?

 やっぱりお菓子の事を考えているんじゃないか!『節分』と豆撒きの関係は……。

 関係は?

隠居の顔を覗き込むミヤビ。

 鬼が豆嫌いなのさ。

 まーたー……。アタシを子供だと思って適当な事を云うのね~……。その話なら、幼稚園の時隠居ママ(隠居の亡妻)から聞いたことがあるわ!

 ほー。懐かしい名前がでるのー。何と話していたのか聞かせてくれぬか。

 聞きたいのね! いいわ。その昔、お福ちゃんと云う娘が居たの。美しくて村中の自慢だったその娘に、鬼が恋をしたのね。村に悪さをする鬼に、悪行を止めさせる為、お福ちゃんは鬼の処に嫁に行く事にするの。お嫁に行く日の朝、お福ちゃんのお母さんが、2つの袋を手渡したの。一つは菜種の入った袋。一つは炒豆の入った袋。お母さんはお福ちゃんにこう耳打ちをするの。『菜種は、鬼に連れて行かれる時、道々に落として行きなさい。炒豆は、里帰りの時に鬼に渡して育てさせなさい。』って。お福ちゃんは鬼の背中に担がれて山深く行く道々に、菜種を落として行ったの。翌年の春、お福ちゃんは鬼に『少し里帰りがしたい。』とお願いするの。鬼は自分で帰られるなら、一度戻る事を許したの。

 
つづく