土屋孝元のお洒落奇譚。いつもの師匠の茶室にて、
薄茶平点前の稽古。

(2013.02.13)

家でもお茶は作れるのですか?

『朝日新聞』を見て驚きました。 幼稚園のお母さんが「家でもお茶は作れるのですか?」と質問したとの事、中学生や高校生は急須を見た事がないそうです。直接火に掛けるとか、最低限のお茶くらい家庭で入れないと日本の文化は無くなりますね。 コンビニのペットボトルは便利ですが、急須がわからない人達に抹茶の作法もありません、 石田三成の三杯のお茶の気配りも、通じないのかも。まあ、それでも、『お洒落奇譚。』のお茶の話は続けます。

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先日は師匠の茶室にて、薄茶平点前の稽古でした。

炉縁(ろぶち・炉の縁の枠。)は故夏目有彦さん作の塗りの炉縁で、炉側に少し欠けを作り、そこへ朱漆にて漆の仕上げを施した炉縁です。この朱漆-水銀朱も最近は水銀が含有されているので口をつける椀には使いにくいと後輩の漆作家から聞いた事がありました。使い込まれた根来の椀などいい色になり、漆は使ってこそ、その良さが増すのにと思います。もとい 炉縁もどことなく、今日の薄茶器とも共通する感覚があります。

薄茶器も同じく夏目有彦さん作の金銀の雪輪文様。雪輪とは雪の結晶をデザイン化したもので江戸時代末期の古川藩の殿様土井利位(ドイトシツラ)がオランダ渡の顕微鏡で雪の結晶の観察を重ね、1832年に「雪華図説」を著し、86種類の結晶を発見し江戸庶民にまで広く流行ったようです。この薄茶器に赤漆の杵の梨地銀地の塗り、ズン胴型で肩と裾に同じ角度の面取りがあります。

この形はとくにお茶では「雪吹(フブキ)」と呼ぶようです、この由来は上下左右同じ形と言うことで、雪山で吹雪にあうと前も後ろも天地も何も見えないというところからの銘だそうです。

夏目有彦さん作の炉縁。こんな見え方です。

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茶碗は西岡良弘さんの「蛇唐津」ジャガラツまたは「古松唐津」(コショウカラツ)と呼ばれる唐津茶碗です。(よくよく見ると)黒い釉薬の一部に蛇の鱗の様な釉薬の仕上がりになっています、昔の人がそう名付けたとか。現代では蛇が嫌いという人もいるので、今では別名を「古松唐津」とも呼ばれるそうです。

前から何度も西岡さんのお茶碗をお稽古で使っていますが、茶筅でお茶を点てる時に点て易いというか、大きな泡ができにくいのです。黒と言うか濃いチャコールグレーの色合いで抹茶のグリーンがより鮮やかに綺麗に見えます。この泡だてもなかなか難しいもので、キレイに泡立てると飲みやすく、口当たりも良いのです。

水指は景徳鎮竹林文様の染付写し、軸は大徳寺大亀作の書「白牛眠雪山」(ハクギュウセツザンニネムル)。なかなかこの様にはいかないもので、金牛か赤牛か黒牛かはわかりませんが、雪山に暴れる、または汚すなんてことになります。

古松唐津。蛇唐津とも呼ばれます。

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お茶菓子は東寺ゆかりの「どら焼き」、あのどら焼きとはまったく違うものです、この菓子は月に一度しか作られないようでたいへんに貴重なものらしいですね。竹皮に包まれたゆべしの様な皮(これはあくまで個人的な感想ですので、ぜひお試し下さい。)に甘さも程よい漉し餡が包まれてロールケーキの様な仕上がりです。もちもちした独特の食感で大変に美味しく、なかなか他では食べた事のない味でした。

この後 師匠は京都へ、大徳寺の和尚から、なんでも大徳寺所縁のものが手に入って、それを見せたいので、と言う茶事の誘いを受けて、料亭「吉兆」へ向かいました。

来週は初春大吉茶会。同じお稽古仲間のHさん主催です、彼女は智美術館の学芸員ですから、どのようなお茶会でしょうか、いまから、楽しみです。最近まで「三輪休雪展」の準備で大変に忙しかったようです。先日お茶会のおしらせをいただき、さっそくに参加のお手紙を送りました。この後、茶会の後にまた、お礼状を送ります。

京都東寺ゆかりのお菓子、どら焼き。月に一度しか作らないとか。

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さて話題を変えて、先日 テレビを見ていたら、楽吉左伊右衛門さんのドキュメントをやっていて、お茶碗を作る大変さが少し垣間見れたような気がしました。

楽茶碗の焼きの具合や釉薬のかけ具合、いままでの代々の楽茶碗の重圧が個人にのしかかってくるような作業風景でした、自分の表現とは異なる、楽茶碗としての完成度。何もしない、デザインし過ぎても、また、だめになる。難しいものです、自分自身に当てはめても、そのとうりで、「過ぎたるは猶及ばざるが如し。」まさにこの言葉が浮かびます。
やり過ぎる、少し手前でやめておく、これはデッサンにもデザインにも当てはまります。