道田宣和のさすてーなモビリティ vol. 2クルマはまだ愉しめるか?
移動に自由を、機械に情と温もりを!

(2011.09.17)

サステイナブルモビリティ、日本語にすれば持続可能な移動手段もしくはそれが実現された社会といったところ。地球環境の問題が取り沙汰されて以来、CO2の排出にことのほか口うるさいドイツあたりを地盤とする自動車メーカーが唱え始めたこの言葉、ついでに企業そのものの存続も担保できそうとあって瞬く間に世界中に広まった。誤解を恐れずに言えば、なにやら昨今の「がんばろう日本!」とも似た雰囲気があり、有無を言わせない。けれどもご安心を。ボクの言うそれはもう少し幅が広いし、第一、その意味合いもかなり緩い。だからこのコラムもガチガチのクルマ談義にはならないはずで、まあ気楽に読んでいただければと思うのです。

人生物見遊山

ここでちょっと自己紹介を。根っからのクルマ好きで、それが高じて自動車専門誌づくりに携ったりしたわけだけど、より正確には「見たい・乗りたい・触りたい」というのがボクの本質。そんな幼児性を残したまま、あざとい業界の中でユルユルと過ごして来られたのは僥倖以外の何物でもない。「乗りたい」は今顧みるとそのすべてではなく、一部だったはずだが、意志としては一番強かったから幼い時には人並みにF1パイロットを夢見たこともある。でも出たレースはあえなく予選落ちだったりで、結局その目はなかったようだ。どんなに頑張ってもあのジム・クラークの域には達しまいと諦めた。

代わりに得意なのが一般公道での走り。なかでも大好きなのが長距離で、かつてL.A.からワシントンD.C.まで5000kmを3日で走破したのが密かな自慢である。その話をするとさぞ退屈だったろうと労るように言われる。しかし事実は逆で、窓外を流れる景色ひとつとってもカリフォルニアの砂漠からニューメキシコの土漠、そして小麦畑が撓わに実るアーカンソーから緑滴るジョージアへと変容する様を飽きず眺めているだけでも旅の醍醐味は充分だった。海外旅行でいつも点から点のフライトではなく、たまには自らステアリングを握ってサーフィス移動してみたらと勧める所以でもある。

たとえ最高速度が401km/h(!)のブガッティ・ヴェイロンでもクルマが道やそれに繋がる地理風土と分ち難い存在である以上、どこまで行っても人間臭い代物であり続けるはずなのだ。ボクの中でのモビリティは単なる移動手段ではなく、移動の自由、それも個人的な移動の自由を意味している。

EVで日本一周?

知り合いの紹介で中島春樹さんに会った。ボクと同じ団塊世代のひとりである。初対面だったのにお互い妙に話が盛り上がった。彼曰く、手許にリーフがあります。よかったら一緒に旅をしませんか、それもできるだけ遠くまで。なんなら日本を一周するくらいの勢いでと誘いを受けた。リーフといってもパイではない。日産が昨年暮に送り出した目下最新・最良とされるEV(電気自動車)だ。正直言って気持ちが揺れた。なんだかんだ言っても基本的には旧来型のガソリン派を以て任じるボクだが、「教養」としてのEVにはそれなりの関心がある。それに長旅の言葉には抗し難い魅力があった。EVそのものは仕事柄、すでに三菱のi-MiEV(アイミーブ)もリーフもメディア向け試乗会程度は経験済みだが、1充電当たりの走行距離が問題となるEVの場合は特に長距離使ってどうかというところにも興味がある。いざ実行となるとスケジュール調整も相当厄介に違いないが、きっと思わぬハプニングがあったりして話題には事欠かないだろう。さて、どうなりますか……。

気持ちが動いたもうひとつの理由はオーナーその人にもあった。聞けば中島さんはその昔ランボルギーニ・ミウラやメルセデスのスーパーサルーンとして知る人ぞ知る、300SEL6.3にも乗っていたというほどの剛の者。ミウラのことは「人に譬えればあんなにいい女はいなかった。でもあんなに手の掛かる女もいなかった」と、それを手放した今でも愛憎相半ばする様子。ほかに市街地走行もできるフォーミュラマシーンとして有名な“ロケット”(固有名詞。かのゴードン・マーレイが設計したイギリス製スポーツカー)まで所有していたという。クルマに関しては相当に熱かったはずなのだ。そんな人物が今やリーフを日常の足に使い、「スタイル以外は大いに満足している」とのこと。これは信じるに足ると直感した。

これまでジャーナリストとしての立場から新技術に対しては常にニュートラルたらんとしながらも心の奥底ではどこか懐疑的な自分がいた。一番の理由がほかでもない、すべからくクルマという乗り物にあらまほしきドライビングファン、いわゆる操る歓びが欠落しているのではないかという懸念からだった。かつて出始めの電動パワーステアリングがそう、ロボタイズドギアボックス(ATの一種)がそうと、funとは程遠く、砂を噛むような思いの生煮え技術が数限りなくあったからだ。そのことは最近インタビューした、今やEVや燃料電池車の開発どころかASIMO(ロボット)や脳の解析にまでテリトリーを広げている(株)ホンダ技術研究所の社長にも一個のクルマ好きとして情や趣味性の確保を要請しておいた。

モビリティは基本的人権のひとつです

日本人、特に若者のクルマ離れが叫ばれて久しい。しかし、これもまたガラパゴス化のひとつではないかと思う。なぜなら海外のクラシックイベントを見てみるとよく分かる。そこではペブルビーチにしろグッドウッドにしろ老若男女が古今東西の新旧クルマたちに依然熱い歓声を上げているのである。責任の一端は毒にも薬にもならないワンボックスカーばかりに血道を上げて来た日本のメーカーにもあろう。とにかくもっとクルマが好きになってほしいとボクは思う。バーチャルと実体験は絶対に違うのだから。

というわけで、ボクにとっての理想郷はサステイナブルモビリティならぬ、見て乗って触って(さすって)気持ちがいいモビリティ社会なのです。