梵(ぼん)な道具を聴いてみる。 第三回 芒種:ひとしきりの雨、潤う大地。
雨滴を纏い始める、粉引という器。

(2012.05.28)

「梵(ぼん)な道具を聴いてみる」第三回は、朝鮮時代に庶民が使えなかった白い器の代弁者、粉引や刷毛目といった器について。また、時間とともに染みでる模様を「雨漏り手」という美学にまで昇華させた、日本の数寄者たちの思いとは。

粉引、刷毛目という焼きもの。

あなたは器についた“染み”を「美しい」と感じるだろうか。それも味わい、という口上はもちろん有効だが度を超した染みは大方軽蔑されるのではなかろうか。器は料理を美味しく食べる、という美意識を根底で支える役者である。ステージでは日々油を纏い、酢をかけられ、幕引きには水をくぐらせられる。その営みの中で「発見」されたかのように美しい容姿を立ち上らせる役者もいれば、鈍重な印象で落ちぶれていく大根もいる。

さりながら、「汚れか美か」を巡る価値観の違いをもっとも露にさせる器、それが粉引(こひき)と刷毛目(はけめ)という焼きものではなかろうか。両者は素地(土)と釉薬の間には白泥が塗布された、いわばインスタントな白色の器である。白い器は世界中で珍重されたため同じような技法は各地に存在するが、ここでは代表的な朝鮮の器に的を絞ることにする。

時代は15世紀の韓国、李王朝の時代は儒学思想が尊ばれ勉学を修めて役人になることが出世を約束された唯一の道だった。「御器は白磁を専用す」とされ一般庶民は白磁の使用を禁じられたが、「白い器を使いたい」という欲求が膨らみ始めるのは至極当然の成り行きであろう。しかし足下には黒い土しかない。そこで考えついたのが黒い土をロクロで成形したあと、貴重な磁器質の白泥を黒い土の上からずぶ掛けして焼成したのが粉引、白泥をより節約するため刷毛でさっとひと撫でしたのが刷毛目である。これで見た目は白い器ができた。一般庶民はこぞって白い器で食事を始めた。しかしその喜びも束の間、白い部分が泥のため貫入から料理の成分が入り込み、染みになるのである。韓国の人々はこれを汚れとして忌み嫌ったため、これらの技法は短命だった(白泥を陰刻に象眼した「三島手」は汚れが余り目立たないため、比較的長い期間作られた)。

「染み」が「雨漏り」に昇華した瞬間。

日本に目を転じると桃山時代。時の将軍、秀吉が朝鮮出兵した際、多くの命を奪いながら数多くの茶碗と朝鮮人の陶工を日本に拉致することに成功する。この戦争が「茶碗戦争」と呼ばれた背景には、ひとつの名物茶碗が一国の価値に匹敵するという行き過ぎの茶遊びに端を発するのだが、ここでは紙面の関係で割愛させていただく。ある日、将軍の茶方に届いた粉引茶碗には見事なまでの染みが広がっており、その染みの「寂」が利休を祖とする侘び茶の精神に火をつけたのだろう。

彼らは茶室の梁に広がる雨漏り(水の染み)に因み、これらの現象を「雨漏り」と名付け、雨漏り茶碗を将軍に献上したところ将軍はいたく喜んだ。それこそが現代における粉引や刷毛目茶碗のステータスを約束したのだが、最初の献上では切腹をも覚悟の上のプレゼンテーションだったのではないか。言い換えれば命をも引き換えに守るべき「美」がそこには存在したのだ。(それから400年の月日を待たねばならないが、民藝運動の実質的主導者である柳宗悦が朝鮮の器を愛し、それらを激賞することで数多くの粉引や刷毛目などの器が彼の地から将来したことも挙げねばならない)。

朝鮮で嫌われた粉引の染みが極東の島国において「美」と捉えられたのは、器の持つストーリーがヒストリーに勝ったことが大きな要因なのではなかろうか。

素晴らしき雨漏りへの道。

粉引を使い始めると、まず内側の貫入やピンホールと呼ばれる釉薬の気泡で生じた極小の穴から染みが生じ始める。そこから長い年月をかけて厚い器壁を浸食し、外側までに達する。これが正しい「雨漏り」の出来(しゅったい)である。正しい粉引は柔らかな見た目とは相反しているが、器体は固く焼きしまっていなければならない(そうでないと、すぐに染みがついてしまう。これを「雨漏り」ができたと喜ぶ向きもあるが、それは単なる「汚れ」である)。正しい粉引をまずは器全体をぬるま湯に10分程度浸してから使用する。この行為により料理の汁や油分などが器に染み込むのを中和させるのだ。そこへ料理を盛り、洗い、乾燥させる(酒の場合は無神経なくらいが良いが、燗は避けた方が無難)。この営みを幾年も続けていくことが器数奇の冥利に尽きるのだ。これは骨董の粉引のみならず、現代作家の粉引も同様である。

朝鮮無地刷毛目小皿と白丹波壷。

写真の小皿は一見粉引に見えるが、刷毛でこってりと白泥を塗った「無地刷毛目」と呼ばれるものである。壷は江戸期の丹波地方で生まれた粉引と全く同じ技法で作られたもので、古美術界や数寄者からは「白丹波」という相性で呼ばれている。無地刷毛目小皿は李朝初期(15-16世紀)、白丹波壷は18世紀(江戸中期)の作で、雨漏りの景色でいえば丹波に軍配が上がるが、小皿もこれから美しい染みが表出されよう美の予感を匂わせている。

ちなみに雨漏りが最もうつくしく見えるのは雨の日、それも北向きの間接光においてである。まるで生き物と対峙しているような、ぞくぞくとする違和感。しっとりとした肌理から立ち上るのは桃山時代の数寄者の群像、あるいは雨滴が重なりゆく、あの日の遠い記憶なのかも知れない。

<芒種>に聴きたい音楽

『Crema(クレマ)』 カルロス・アギーレ・グルーポ

5月の再来日では全国各地を行脚し、数々の聴衆を魅了したアルゼンチンはネオ・フォルクローレ界の重鎮、カルロス・アギーレのファースト・アルバム。セッションマン時代から披瀝した、精確な音感とピアノとギターを無尽に操るテクニック、作詞曲の充実は他に類をみない。天錻の才は悲しさに溢れた歌声を伴って、世界中の詩的な音楽家、リスナーから熱烈なラブコールを浴び続けている。ジャケットは手描きの水彩画(もちろん1枚1枚違うデザイン)を挿入し、ファースト・プレスのCDのプラスティック・ケースにはアルゼンチン中部のパンパ(ラプラタ川流域の草原地帯)で自ら採取した種が散りばめられていた。アカ・セカ・トリオがカヴァーしたM-7「パサレーロ」の他、全ての曲が静かなきらめきに溢れているが、M-2の「紙と染みのサンバ」はフォルクローレの名曲数あれど、音楽の神に愛された彼の面目が躍如している。

Bon Antiques展示会情報

6月3日(日) 大江戸骨董市へ出店
於:東京国際フォーラム前広場
時間:09:00 – 16:00まで(雨天の場合は中止となります)

6月17日(日) 長野県松本市のアンティーク蚤の市に出店
於:10センチ
時間:11:00 – 夕刻まで(雨天の場合は中止となります)