梵(ぼん)な道具を聴いてみる。 第五回 立秋:暑中にもそよぐ風は秋の気配。
古い陶板に小さな秋を乗せてみる。

(2012.08.06)

「梵(ぼん)な道具を聴いてみる」第五回は、常滑の古い陶板をご紹介。
窯道具という本来の役目を終えたあと、なおも数寄者に愛され続ける陶板の魅力に迫る。

陶板という窯道具について。

窯道具の「窯」というのは器を焼成するための陶芸の窯のことである。現在はプロアマ問わず作陶する作家も増え、日々そこかしこで作陶展が催されているが、ここ20年で大幅に工芸人口が増加したのは、作品を発表できる場(ギャラリーなど)が増えたことで「個の営み」を許容・応援する下地ができたこと、或いは自宅でも容易に「作品」を作り上げることができる利器(電気窯やガス窯など)の発展というのも無視できないであろう。しかし古来より器の焼成は薪窯(まきがま)に委ねられていた。薪窯は登り窯や穴窯など多種に及び、またその大小など規模の違いもあるが一回の焼成では膨大な量の薪を必要とし、それに人件費なども加算すると当然コストも高くなってくる。そのため、より多くの器を効率よく窯の中で焼成せねばならず、そのためには相応の道具が必要になる。その道具の代表格が「陶板」である。

陶板は、その地で取れる原土に近い荒い土を用い(器を作るような精錬した土は時間も手間もかかる)タタラという粘土を板状にしたものを適宜カットして薪窯で焼成して作る。現在ならば陶芸材料を売る店に行けば買うことができるが、昔は窯元ごとにオリジナルの道具を用意していた。当然、一回作った窯道具は長い時間作家や職人の酷使に耐えるが、長い期間使用すると窯中で薪から出た灰を被り、炎でその灰が溶けガラス質の物質に変わる(それが釉薬の仕組みであり、灰は釉薬のベースであることが多い)。陶板がガラス質の釉薬で覆われると、上に乗せた器を剥がしにくくなるため過度に灰を被った窯道具は破棄され、新たに作り直された。

偶然性に満ちたうつくしさ。

薪窯で焼成された器には独特の味わいがある。それは予測できない火の流れにより器に付着した火の痕跡、不完全燃焼による釉薬の色の変化などで顕現する人為的には到底実現不可能な領域、時に神がかった「火の景色」が眼前に現れるというところに他ならない。

岡山の古窯、備前焼は無釉の焼き物としても有名だが、それは備前の土は焼成するときの収縮率が大きく、始めから釉薬を掛けて焼成すると釉薬の収縮率と合わず綺麗に仕上がらないためである。備前焼は長い時間高温で焼成し続けるため特に火の景色が出やすく見所も多く、大皿に徳利のようなものを乗せて焼成する時にできる大皿の「抜け」の景色もそのひとつである。窯の中では灰が絶えず舞い、その灰が器に付着して溶け、釉薬へと変化する。それを自然釉といい、それもまた器に妙なる景色を作り出す(現代の備前焼の多くは景色を人為的、作為的に作り上げることが多く、嫌味な感じがして私は好きではない。それは備前に限ったことではないが効果を「狙って」いるものに魅力を感じない)。

繰り返し述べるが、炎の流れや自然釉は人為的に作り上げることのできない偶然性に満ちた力である。無論、薪窯で焼いたからといって全ての焼き物に魅力が備わるということではないが、茶味のある(魅力ある景色を持った)焼き物は珍重され世の数寄者たちに愛された。とりわけ日本の六古窯である備前、丹波立杭、信楽、瀬戸、越前、常滑の中でも古いものは無釉の焼き物が多く、現代的な言葉で表現すると陶器の肌にはアブストラクトな魅力が詰まっており、そこが古窯ファンにとって「たまらぬ」魅力なのだろう。  

陶板も然り、である。火に炙られ続け自然釉がたっぷりとかかった肌の魅力。陶器よりも荒い土で作られるため器よりもプリミティブな味わいがあり、その味わいが一葉の絵画のように四角(または丸)のスペースに凝縮されているのが陶板という道具である。元々は廃棄物だったため残存数は陶器よりも少ない。見立てで陶板を使い始めたのは誰だかわからないが、作家、白洲正子は桃山時代の備前の陶板を食卓で使ったし、書家で陶芸家の北大路魯山人は備前の陶板にヒントを得、オリジナルの食器として昇華させた。

古常滑の陶板に小さな秋をのせてみる。

写真の陶板は江戸期の常滑産と推測するが、時代は鎌倉期までは遡れるかも知れない(地方によっては明治期まで中世と同じ手法の窯もあり、判別は難しい)。食卓で使用できる程よい大きさと厚み、火が作り上げた肌には何にも代え難い魅力を感じる。元々は廃棄されたものであろう、真ん中から割れているのを修復しているが修復自体が古く、今更悪化するものではない。とりわけその瑕でさえも景色となっているのがこの陶板の包容力なのだと思う。

アブストラクトな景色に乗せたのは近所の山で見つけた小さな毬栗。この暑中にあっても確実に季節は移ろい、粛々と秋へと進行している。何を乗せるかは所有者に委ねるとしよう。頃合いの鰹や焼いた野菜、果ては焼きおにぎりをのせても旨そうである。


この陶板は48,000円(税込/送料込)にて販売しております。ご注文・お問い合わせはメールまで。在庫は1点のみですので売り切れの際はご容赦ください。
<立秋>に聴きたい音楽

バッハ『フーガの技法』より/グレン・グールド

グレン・グールドの弾くバッハには定評があり、テレビでも特集番組が編成されたりCDもDVDも沢山発売されているが、パイプ・オルガンのグールドもいいものである。何故「フーガの技法」をオルガンで演奏を試みようと思ったのかは専門的な見解は持ち合わせていないが、オルガンで演奏することが「私のバッハ」に近づくための自らの特命だったに違いない。メディアに則った神格化はよくないが、ここで聴かれる音色やテンポは紛れもなくグールドのバッハである。

夏も盛りが過ぎた頃、ドアの向こうから聴こえてくるパイプ・オルガンの音色は、ひっそりと秋の気配を連れてくるに違いない。

Bon Antiques展示会情報

8月19日(日) 大江戸骨董市へ出店
場所:東京国際フォーラム前広場
時間:9:00〜16:00まで(雨天の場合は中止となります)
 
9月1日(土)〜9日(日) 棚から春日 – 奈良の古物商二人 –
奈良の古物商Bon Antiquesの中上と三坂堂の白土、二人の眼によって選び抜かれた古今東西の古物がギャラリーの空間を彩ります。2日(日)には折形デザイン研究所主宰、グラフィック・デザイナーの山口信博氏を迎え、折形のワークショップとお話会を催します。詳しくは秋篠の森のウェブサイトをご確認下さい。
場所:秋篠の森 ギャラリー月草(奈良)
時間:10:30〜17:30まで(月曜日は〜16:00まで) 火曜日休廊