光隠居とミヤビちゃんのちょっと聞けない日本の雅 -日本の常識 - ~その23 蒙霧升降蜩鳴(ふかきりふりそそぎ、ひぐらしのなく)~

(2010.08.10)

精霊棚の飾りを進めながら、件の二人はお盆について話をしているようだ……。

光隠居 その昔、お盆の入りにお墓参りをしてお墓や周辺を掃除したら、ある家の主は先祖の霊を背負って家路を急いだ。ところが途中、酒屋の前を通りかかると、酒屋の主人が酒を飲んで行けと誘った。すると無類の酒好きな主は一寸ならと云って其処に寄ってしまったんだ。先祖たちはそこが我が家だと勘違いして背中から降りてしまわれた。

そんなことも知らず主はしこたま酒をすごし、家に帰ると家じゅうの人間が熱に侵されている。困ったことに成ったとお寺の和尚に相談すると、もしや途中で誰ぞと言葉を交わし、寄り道したのではないか? と尋ねられたので、酒を過ごした顛末を話すと、先祖様がその酒屋に降りてしまわれて、先祖の帰らない家には悪い物の怪達がその噂を聞いて暴れているのに他ならない。

すぐさま酒屋に行って先祖を背負い直し、もう一度お墓参りをして、今度はどこにも寄り道せず家に帰りなさいと教えて下さった。主は和尚の言われた通り酒屋に行って先祖を背負い直し、お墓参りをした後まっすぐ家に帰ると、家中の者たちは平素と変わらないようになっていた……。

ミヤビ じゃあ、途中で寄り道すると、先祖がそこで降りちゃって、家中に不幸がやって来るの?!

光隠居 昔話だよ。でも、私が子供の頃はお盆中殺生もそれから他人の陰口も一切してはいけないと云われたもんだ。殺生をすると、先祖があの世で殺められた者達から苛められ、陰口は先祖を介してその人の耳に届いてしまうと云われて脅かされたものだ。蚊も叩いちゃ駄目だってな。

ミヤビ へ~……。

光隠居 しかし、生き物に対する敬いや、他人に対する心持は、そうやって教えられたと思う。「一寸の虫にも五分の魂」。生きとし生けるものすべてに命があって、それを大切にする。お魚やお肉お野菜も、元々は命があって、それを体に取り込むから「いただく」という言葉になる。今は「食べる」とよく使うが、あれは食物に対する侮蔑的な言葉で、人間の高慢さが出ている。食事はほかの命を体に取り込んでその命で我々が生きているのだから、「食事を頂く」と云い、「ご飯食べなさい!」じゃなくて「ご飯を召し上がれ」って云うのが、食物に対する礼になるわけだ。お盆は先祖を供養しながら、生きて来た物に対する感謝の日なんだよ。

ミヤビ だからこの精霊棚には色々なお野菜や果物も飾っているんだね。てっきり、先祖の方々が此れみんな召し上がるのかと思ってた……。これでミヤビがこのスイカや桃を頂いても、なんの問題も無いんだわ!

光隠居 結局そこの果物を頂く理由づけか……。

ミヤビ ところで、ここにある茄子と胡瓜の作り物とここにある飛行機のおもちゃってどんな意味あるんだっけ……? ご隠居ママに一回聞いたことがあるんだけれど、忘れちゃった……。

光隠居 おうおう、それの事か……。

二人は精霊棚の中央に飾ってある茄子と胡瓜、飛行を同時に見た。 

つづく