土屋孝元のお洒落奇譚。猪子餅(亥の子餅)と炭点前。

(2010.12.08)

先週のパトンビーチの話からお茶の話に戻ります。

裏千家では「炉開きには、猪子餅(イノコモチ)」といわれます。
どの時代の家元からなのか失念しましたが、
この行事は、最近のことのようです。
むかし、宮中にては 旧暦10月(今の11月上旬)上亥の日に官位により、
それぞれ色の違う亥の子餅を下賜されたようです。

亥の子餅。懐紙に載せた亥の子餅、菓子切り。
©Takayoshi Tsuchiya

公卿までは黒い餅で以下殿上人までは赤い餅、
白い餅と違いがあったようです。
この色使いは内裏内での官服の色使いですね。
映画などで見かける右大臣、左大臣、関白、摂政、などの会議の場面では
黒い官服に赤、白の襟元が見えています。

「猪子餅」ではなく「亥の子餅」が正式です。
今ではそれぞれの地方や和菓子屋さんにより違いがあるようです。
裏千家をはじめ お茶では陰と陽を重視していて、
これは、炉口にて火を客の近くで扱うので、陰陽説に従い、
亥は陰の気、水ですから、
火の陽と亥の陰で中和するということですね。

このようにお茶では陰陽というか
バランスをとることが、いろいろと使われています。

風炉や炉のなかの灰を整えて
(この灰は、番茶などを灰と混ぜ合わせ、香りをつけ、
夏の土用に天日にて干し乾燥させたものと師匠から聞きました。)
灰がたを作り 最後に水という字を書きます。

文字というか、
水という記号のようなもので、灰匙(サジ)で灰に印をつけます。
仕上げに化粧灰という白い灰を
雪が降り出した砂浜の風情を模して振りかけます。
炭点前で拝見しなければ、わからないことなのですが、
炭(炭はクヌギの炭で、茶会の前には洗って乾燥させておきます。
火を点けた時に弾けるのを防ぐためです。)が入れば水の文字は消えてしまいます。

水の卦について。お茶は陰陽道を基調にしているので、
炉の火または、風炉の火と調和をとる意味で灰形の仕上げに、
水の卦を描きます。水の卦は記号です。
©Takayoshi Tsuchiya

 
炭点前とは、
簡単に言うと 炉開きのあとの茶会席にて客を茶室に案内し、
会席の食事前に行う手前で、
亭主が客の前にて、炉口に炭を入れる動作の作法全般を言います。

炭点前での炭取りの俯瞰図。炭取りにセットした、炭(枕炭に並べた、丸ぎっちょ、割りぎっちょ、天炭、その上に最後に載せる胴炭。香合を載せる香合台(炭)白い枝炭。)と羽箒と火箸、カン、香合。©Takayoshi Tsuchiya

現代美術的に言うと、パフォーマンスアートです。
正客をはじめ、客は亭主の炭点前を炉口のすぐ前で拝見します。
羽箒で炉口を清めたり、釜を上げる動作、炭とりの扱い、など、
この時、最後に亭主が香合の蓋を閉める時に正客が「香合の拝見を。」と、問い、
亭主は香合を拝見に出します。
香合には さきほどの炭点前にて炭に置いた香
(練り香が多く、火から離して炭の上に置きます。
風炉の時には香木が使われます。)も残っていますから、
香名を聞いたりします。

炉開きの花入には白い椿、が多く使われますが、これも炉の火の赤に対して、白い椿ということですね。

亥の子餅に戻り、猪があの様なあんこの色なのか、は、
想像すればお判りと思いますが、
牡丹と言われるくらいですから、小豆の色とは違いますね。

小豆を炊いて全部潰すのではなく
少し皮を残して餡にすると所々にブツブツが残り、
猪の毛皮の表面に見えなくはないではないですか。
最後に線または、スジを入れて猪らしくする地方や和菓子屋さんもあるようです。

潰し餡にて餅を包み長い球形にしたものが一般に猪子餅です。
昔はどこの街の和菓子屋さんでも、この季節には作られていたのですが、
今日、銀座では鶴屋吉信ぐらいのお店にしか、なくなりました。

話は少し飛びますが、
昔、戦国時代には各武将達には茶の師匠とか、
茶坊主とかが戦に同席して、親方様のお茶を飲み、
吉凶を占い出陣を決めたとか、決めないとか。

さきほどのお茶での陰陽とも関係するのではと思います。
陰陽師とも関係があるのかもしれません。
戦場にて朝、親方様のお茶を飲み、
苦い日には出陣をやめさせたとか。
いつものように、心を落ち着けて茶を立てると甘く、
美味しいお茶が立つようです、自分の経験にても そのように思います。
いつもと同じ動作で、同じように所作をしても、毎日、味はちがうものです。
お茶とは、不思議なものです。

 
あの利休も秀吉の小田原城攻めには同席していたようですね。
戦況が膠着していた時に、茶会を開いて、小田原城方に余裕をみせて降伏をうながす意味もあったのでしょうか。

炉の季節になり、亥の子餅から話がふくらんでしまいました。