“Omiya is Bonsai-town.” 外国人に教えられた「盆栽」の魅力 。

(2010.03.30)

19歳で初めてヨーロッパに旅立ったことをきっかけに、日本とはまったく違う町並みや文化にショックを受け、20代は、時間とお金があれば海外旅行へと飛び回っていました。ワーキングホリデイを利用し、オーストラリアに滞在したり、アジアや欧州の友人を訪ね歩いたり……。

世界各地で、各国の旅人と出会いました。お互いにまずは自己紹介。そんなとき、たいてい、「Where are you from?」 とお互いの出身を訪ねます。私が「I’m from Japan.」と答えると、さらに「Which part of Japan?」と詳しく聞かれることがあり、はじめのうちは、「I’m from Saitama.」ときちんと自分の出身地である埼玉県と答えていました。すると、「What’s?Saitama?」と埼玉県を知らない外国人が大半だったので(まあ、当然そうでしょうが)、説明するのも面倒になり、次第にその第二の問いには、「Near Tokyo.」と答えるようになりました。

さいたま市北区盆栽町にある盆栽園「清香園」。

しかし、時には「Near Tokyo.」では納得しない人がいました。「自分は日本に住んでいたことがある。東京も広いけど、東京の近くとは一体どこだ?」といった具合です。そういう人には、「埼玉県出身だ」と説明するのですが、さらに「埼玉の中のどこだ?」と突っ込んでくる人がいたのです。「大宮」と答えると、相手は、驚きのような、懐かしさのような、感動の声をあげ、「Omiya is Bonsai-town.」と、私ですら知らない盆栽の魅力を語り始めるのです。そんなことが一回だけではなく、何度かあったため、もしかして、私の生まれた町には世界中の人が知る何かがあるのでは?と感じるようになりました。

 

盆栽町に行ってみた。

盆栽のはじまりは平安時代(794~1185年)末期、遣唐使によって持ち帰られた中国の「盆景」がルーツといわれています。それが貴族や武士の間で、小さな植物の中に自然の風景を想像するという日本独自の文化に磨かれ、江戸時代(1603~1867年)には茶の湯文化とともに文化人から庶民にまで広まりました。その小さな空間に凝縮された植物、自然、四季、時の移ろいを楽しむ盆栽=「BONSAI」は、日本のみならず世界中で広く愛好されているそうです。

大宮盆栽村が誕生したのは大正14年頃。関東大震災(1923年)の被害に遭った東京の盆栽職人たちが、新たな理想郷を求め移住したことからなのですが、当時は未開拓の山林だったこの地を選んだ大きな理由には、豊富な赤玉土と地下水、武蔵野の清浄な空気が盆栽の育成環境に最適だったから。昭和15年(1940年)には地名も「盆栽町」となった。毎年五月に行われる「大盆栽まつり」には、国内外から愛好家が数多く集まるそうです。

古いものでは五百年前のものという貴重な鉢もある。

確かに、我が家のすぐ近くに「盆栽町」という場所がありました。家の庭にもいくつかの盆栽の鉢がありました。しかしあまりにも当たり前にそこにあったため、特別な物だなんて感じたことはありませんでした。恐らく、私がヨーロッパで感じた、暮らしている人には当たり前の風景に驚きや感動があったことと同じで、日本にはまだまだこういうものがたくさんあるのでは?と見直していきたいと思うようになり、昨年から、日本再発見! をキャッチフレーズに、ADVENTURE JAPANという活動を始めました。

 

盆栽町へは

住所:埼玉県さいたま市北区盆栽町

アクセス:東武野田線「大宮公園駅」徒歩5分、または、JR宇都宮線「土呂駅」徒歩10分

筆者プロフィール

田畑 則子(たばた・のりこ)

フリーライター

1971(昭和46)年埼玉県生まれ。 短大児童教育学科卒。カード会社に勤務の後、ワーキングホリデイにてオーストラリアに1年間滞在。現地ツアーデスク、日本語教師などを経験。帰国後、出版社勤務などを経て、1995年、フリーライターとして独立。著書に、『起業本能~夢を生み出す女性たち~』(サンマーク出版)共著に、『笑うアジア』『女ひとり旅読本(シリーズ第一弾)』『HAPPY HAWAII(シリーズ第一弾)』(共に双葉社)、『ワーキングママのための時間管理術』(阪急コミュニケーションズ)など。日本の魅力再発見! をキャッチフレーズに『AJ~ADVENTURE JAPAN~』(株式会社Adventure JAPAN発行)、英語、中国語、タイ語、仏語の五カ国語(日本語含)で発信する同名のサイトを運営。
AJ ~ADVENTURE JAPAN~