『カルミナ カンプス』イラリア・V・フェンディ インタビューアフリカ女性の起業を支援する『MADE IN AFRICA』のバッグ。

(2014.04.21)

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普段見せるチャーミングな笑顔と、プロジェクトを語るときの真剣なまなざし。一流の服と廃材を素材にした小物をミックスするというバランス感覚。そして、世界的有名ブランドの一家に生まれたという立場と、目的をもって自身のブランドを立ち上げた起業家という顔——一見、両極端なものを、ナチュラルに自分自身という器におさめた魅力的な女性、それがイラリア・ヴェントゥリーニ・フェンディだ。

今回、『ドーバーストリートマーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)』2周年記念イベントのために来日した彼女に話を聞いた。

『フェンディ』クリエイティブ・ディレクターから農場経営者への転身。

イラリアはブランド『フェンディ(FENDI)』を経営する一族に生まれ、順調にファッション業界でのキャリアを積んでいた。が、2000年頃、それまでシューズデザイナー、そしてクリエイティブ・ディレクターとして仕えてきた『フェンディ』を去る決意をする。日々、仕事に忙殺されている自分自身に疑問を抱いたからだ。折しもLVMHグループがフェンディ社の株式を買収するという時期とも重なった。

「このままでいいのかしら、と思ったの。まだ子どもも小さかったし、私にはとにかく余裕がなかった。だから思い切って、ファッション業界から遠ざかる決心をしたのよ」

その頃、彼女の関心は、自然環境に向いていた。会社を辞めるとローマ郊外の広大な土地を手に入れ、オーガニック農場に生まれ変わらせる。敷地内の古い建物を、環境と景観の保護に努めたバイオ建築に改築する。そういう作業に没頭する日々を送った。この大きな経験は、彼女の人生をすっかり変え、気持ちを落ち着かせた。穏やかな日々。しかし……。

「しばらくたつと、私がこれまでに培ってきたデザイナーとしての経験が、これまでとは違うアプローチで形にできるんじゃないか、と思うようになったの。それも、農場を経営する中で得てきた、環境保護についての新しい知識が活かせるような形で」

「Carmina Campus」の立ち上げと『MADE IN AFRICA』ラインの誕生。

そうやって2006年に立ち上げたのが『カルミナ・カンプス(Carmina Campus)』だ。廃材、デッドストック、生産から外れた処分品など、もう捨てられるしかない運命だったさまざまな素材を、イタリアの職人の丁寧な手作業によってバッグに生まれ変わらせる。これまでの経験と現在の意識が融合した、イラリア自身のアイデンティティとなるブランドの誕生だった。もっといえば、新しい彼女の誕生でもあった。

バッグはすべて1点もの。ひとつひとつに、使用された素材と制作時間が記載されたタグが添えられ、ブランドの理念を伝える助けを果たした。しかし、彼女の理想はそれに留まらず、さらなる発展を遂げることになる。

翌2007年。イラリアはアフリカ・プロジェクトと名付けたワーキングプロジェクトを始めた。まずはカメルーンで、「カルミナ・カンプス」独自のプロジェクトとして「MADE IN AFRICA」というラインが誕生。素材の調達から制作までをすべて現地でおこなうという、大きなチャレンジだった。

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実はこの時の初めての製品展示会に出かけたことがある。

「あの時の展示会、すごく印象的でした。本当にひとつずつ手作りという感覚にあふれていて。素朴だけど力強くて」

「ありがとう。でもあの『MADE IN AFRICA』ラインをショップに置いてもらうために、とても苦労したのよ」
 と、イラリア。

「なかなか取り扱ってくれるショップが見つからなかったんだけど、ある日、パリに出かけたときにたまたまAdrian Joffeに会って。私はその時、『MADE IN AFRICA』のファーストラインをいっぱいに詰めたスーツケースを持っていたの。それはとてもラッキーだったと思う。ロンドン『DOVER STREET MARKET』に置いてもらえることになったんだもの!」

Adrian Joffeは『コム・デ・ギャルソン(COMME des GARÇONS)』創設者で社長の川久保令氏の夫。『DOVER STREET MARKET』は『コム・デ・ギャルソン』がロンドンにオープンしたコンセプト・ショップだ。ここに並べられるというのは、まだ新しいブランドの新しいラインとしては大きな出来事だっただろう。その後、次々と世界の有力なブティックや百貨店で取り扱われることになる。

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Carmina Campusのショールーム。2014-2015のFWコレクション。
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ブレスレットにしているネックレスはブータンのもの。「一度行ってみたい国なの」
“NOT CHARITY, JUST WORK”というフィロソフィー。

その後アフリカ・プロジェクトは国連WTOの関連機関であるITC(国際貿易センター)の協力を得て、ケニアで推進されることになった。特に女性の地位向上に注力して、アフリカの経済開発を促進していこうというミッションのもと、雇用機会の創出に尽力している。

“NOT CHARITY, JUST WORK”(慈善ではなく仕事による適正な報酬を)。これがプロジェクトのフィロソフィーだ。チャリティーは一過性のものになりがちだが、仕事は継続性がある。これこそ、エシカル・ファッションのひとつのあり方だ。

「私はケニアでバッグづくりをしてくれている女性たちのこと1人1人を“起業家”だと思って接しているのよ」

「MADE IN AFRICA」ラインの生産はITCのエシカル・ファッション・イニシアティブの参加者によっておこなわれている。彼らは労働条件や賃金を保証され、将来的にミクロ起業家として活動できる知識と技術を得られるような訓練をほどこされる。さらに、教育や健康管理などの制度も提供され、それを家族も含めたコミュニティ全体で活用できるようになっている。

それだけでなく、ITCとのこのコラボレーションの最大の成果は、アフリカの伝統的織物素材の中古生地、サファリテントに使われていたカンバス素材、子ども達の古い制服やニットなど、廃棄されそうになっていた素材を利用し、加工もすべて現地でおこなうという100%メイド・イン・アフリカが実現された点にあるといえる。

このような活動を通じて、イラリアは2011年、ローマでおこなわれた国連人口基金の会合にスピーカーとして、また、2012年6月にはリオ+20(国連持続可能な開発会議)のITCセクションのスピーカーとして国連からも招待。名実ともにエシカル・ファッションを実践する第一人者となった。

carmina_04「MADE IN AFRICA」ラインのバッグすべてにNOT CHARITY, JUST WORKというフィロソフィーが書かれている。

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ケニヤでバッグづくりをする人々。

自分自身が強い意志を持っていないと、人は変われない。

「でも、フェンディ社をやめてまったく違うことを始めるとき、何も怖くなかったですか?」
「怖くはなかったわよ。だって、農業をすることも、ファッションデザインをすることも、同じだもの。農業は耕作する、ファッションはクリエイトする、ということね。私が考えていることはいつも1つ。エシカルでありたいということなの」

エシカル(ethical)とは、「倫理的」「道徳上」という意味。ファッションの分野では、環境や社会に配慮しつくられる製品をこういう。具体的には、自然環境に負荷をかけない素材を使う、紛争の元になる素材は使わない、弱い立場にある人々に正しい労働条件で生産してもらう…といったことだ。彼女はこれを自分の“哲学”と呼ぶ。

でもね、と、彼女は続ける。

「その時に、変わりたい、と思っていたのは、もしかしたらファッション業界で私だけだったのかもしれない。けれど、あれからもうずいぶん経つのに、この業界があまり変わったとは思えないの…それがちょっと残念ね」

ため息。確かに、ファッション業界は全世界的に、変化しきれず停滞しているように見える。門外漢である私にすら。

“変化の兆し”は、向こうからやってくるものですか、それとも自分から掴みにいくものですか? という質問に、彼女は大きく目を見開いた。

「変化のチャンスは向こうからやってくるけれど、自分自身が強い意志を持っていないと、人は変われないと思う。特に今は、大きな時代の変わり目だと感じているのよ。誰にとってもね。だから私は、『フェンディ』をやめて農場を始めた時のように、いつでも次の新しいことができるように準備をしているの」

なんという力強い言葉。一度大きく変化して、新たなチャンスをつかみ、十分な手応えを感じているというのに、まだ変化を恐れず待ち望むというこの強さ!

ここ日本にも、変わりたいと思っている女性がたくさんいると思います。そんな人たちはどうすればいい?

「勇気をもつことね。私にとって、それはエシカルであり続けたいという意志のこと。自分にとって貫き続けたい意志とは何かを決めることができれば、自ずと勇気は湧いてくるんじゃないかしら。そうしたら変化のチャンスが来たときに、きっとつかまえられるはず! 私は日本とそこに住む人たちが昔から大好きなの。1人の女性として、応援しているわ」

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今シーズンの「MADE IN AFRICA」ライン。
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初期のものから比べるとずいぶん技術が向上している。