光隠居とミヤビちゃんのちょっと聞けない日本の雅 -日本の常識 - 〜その8 立春大吉〜

(2010.02.16)

まだまだ寒い日が続く如月(二月)の午後、ベットタウンの月桜町は普段にも増して静かだ。しかし、幽かに鼻腔は梅花の香りを感じている。町唯一の和菓子店『福嶋庵』の季節の銘菓『鶯餅』を挟んで、光隠居は亡妻が話聞かせたと云う『節分』の件をミヤビから聞いている。

ミヤビ(以下ミ) じゃあ、一人で行きますから、あなた様はこのお豆を育てて、実る頃に迎えに来て下さい。と言って、御母さんから渡された炒り豆を渡し、道々に咲いている菜の花を頼りに家に帰るの。鬼は渡された豆を畑に蒔いて育て始めたんだけれども、何時まで経っても芽が出ない。とうとう怒って村にお福ちゃんを連れ戻しに行くんだけれど、その時村中で炒り豆を投付けられて豆が嫌いになり、退散したって言うような話だったと思うわ。

光隠居(以下光) ほー。よく覚えていたね~。 

 でも、なんだか鬼も可哀そうな感じのするお話しだし、そんな事で鬼が豆を嫌いになったなんて、信じられない。だいたい、『鬼』って角が生えていて肌の色が赤とか青とか黒で強そうで怖そうじゃない。それなのに簡単にやられ過ぎじゃない?

 はははは。そうじゃな~……。

大笑いをしながら、鶯餅を頬張り茶を啜う隠居。

 そもそも鬼と節分の関係が解らないわ!強くて怖いなら、何時だって来たらいいじゃない。年に一遍や四遍なんておかしいわ。

そう言いながら2つ目の鶯餅を頬張る。

 『鬼』と云うのは、前にも話した象徴で、本当は『災厄』や『病気』の事なのさ。季節の変わり目は農作物や体が、季節に合わせようと少し脆くなる、その隙に枯れてしまったり病気になったりしてしまう。そうならない様に、気を引き締める意味もあったのだと思う。『豆』(まめ)は『魔(ま)』『滅(めつ)』に通じて、災厄や病気を滅する意味もある。

 メッスル~……? きな粉に噎せながら、素っ頓狂な声で目を丸くするミヤビ。

 消滅させる事さ。 と、したり顔の隠居。

 へ~……。なんか煙(けむ)にまかれた感じがする……。じゃあ、『鬼』はその災厄や病気の事なの?

 今日は中々厳しいの~……。『鬼』とは『わからない物』云わばイミフな物じゃ。その昔、日本に流れ着いた外国人が居た。多分、航海中に難破して日本に流れ着いた人々が居たはずじゃ。 

 なに!行き成り話をかえてんの?

 まあ~聞きなさい。流れ着いた外国人の肌の色は、我々とカナリ違ったはずじゃ。生活習慣も全く違う人間が、流れ着く。真っ赤に日に焼けてしまった白人は『赤』く見えただろうし、中東の人達は深い『紺』色、アフリカ系の人達は『黒』く見えただろう。肉を頂かなかった日本人と違い、それらの人達の身体は筋骨隆々で、逞しかったに違いない。髪も金色や茶色で少しウェーブのかかった外国の人達は、我々にとって理解できない生き物に映ったに違いない。ワインは『血』に見えたし、生きてゆく為に肉を求めて可愛い牛や馬を簒奪されたかもしれない。これは私の推測じゃが、仲間の団結を大切にしていた日本人にとって、そう云う外国人は『わけのわからない物』イミフだったに違いない。 

 ふ~ん。 

 決して角は生えていなかったが、その当時聞かされていた地獄の『鬼』達に、昔の日本人は外国人を重ねてしまった……。そんな残念な思い違いと、災厄や病気がくっ付いたとしてもおかしくない。この間のインフルエンザ話だって、迷信じみた事を堂々と云って、日本中からマスクが無くなったり、外国人の所為にした人達が沢山いただろ……。お福ちゃんの話の中で、ミヤビが鬼が少し可哀そうな気がしたのは、そこに日本人と外国人の悲しい誤解の歴史があったからじゃと思う。

つづく