土屋孝元のお洒落奇譚。花冷えの東京にて、
茶の花を考える。

(2013.04.02)

桜早く、沈丁花もやっと香ります。

今年の桜は、東京に限り、満開まで早かったですね。梅が咲き、辛夷が咲き、木蓮が咲き、桜が咲きと順番に春がやって来るのに今年は、一斉に花が咲き、桜もすぐに満開になりました。先日からの「花冷え」の寒さで、少しは桜の花も長持ちしてくれるのかな。

沈丁花もやっと香ります。この花の香りは夜の方がより感じられると思うのですが、いががでしょう。この香りで思い出す、なんだか歌の歌詞のようですが、当時、僕が中学一年か二年生で駅を越えた学習塾へ通っていた時に普段は自転車なのですが、雨だったので歩いて塾まで行き、塾が終わり、みんなで雨上がりの夜に歩いて帰る途中、この花の香りが漂っていたのことを思い出しました。

枝ものにも草ものにもなる、椿。

さて、茶室でのお花とは
「茶は服のよきやうに点て、炭は湯の沸くやうに置き、花は野にあるやうに さて夏は涼しく冬暖かに、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ。」
と利休居士曰くです。

お茶の世界では、椿の花を格が一番と考えるようですね、この椿の花は、枝ものにも、草ものにもなる便利な花です。例えば、白玉椿に山吹の花を合わせるとか、この場合は椿は枝ものです。または椿だけでも成立します。椿がない時期は、お茶では草ものを活ける事になります。

夏には「釣舟」。釣舟とは砂張を使った器物で床の間に吊すように仕立てた花器のことです。また砂張とは銅、錫、鉛、少量の銀の合金のことで、左波理、響銅とも書きます。この釣舟とかの花器にはつるのある鉄線の花とか、朝顔とか、青銅製の経筒には蓮の花も良いでしょうね。今なら道端に咲くスミレを古いガラスの香水瓶にとか、最近見かけた雑誌でも床の間の表現として、現代美術家のSさんが写経の墨跡のお軸の前に古道具のガラス製の虫取り瓶にお花を一輪挿したしつらえをみせていました。

椿の時期には、二重、三重の竹花入れや、備前や信楽の壷、架け花入れにも、良いものです。先日も三原研さんの獣頭香炉に椿を活けた師匠のお花の写真が『なごみ』という裏千家の雑誌に特集されていました。三原研さんの香炉は架空の動物の顔を模しているので、その口の部分に椿の花を活けてあり、架空の動物が椿の花をくわえたかのようでした。


一重切り竹花入れに椿を生けました。

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潔さを心情とし、
「花づもり」をしてから活ける。

お茶での約束事は「花づもり」をして、どの花とどの枝ものを合わせようか、など考えてから余分な枝や花を落とし整理し、自分自身の中で決まったら活けるお花を同時に活けるというのです。

お花の流派ではゆっくりと一枝づつバランスをみて 生けていきますが、お茶では、決めたら迷わない、潔さを心情とするようですね。二つの花なら、二つ同時に花入に入れます。三つなら、三つ同時に、ですね。 この時、竹花入れ二重切りではお花は上からは入れずに二重切りの部分から挿します、上からの方が生けやすいとは思いますが、お茶ではこのようにします。


菫(スミレ)の花をガラス瓶に。

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利休の逸話で、庭の朝顔が綺麗に咲きました、秀吉さんをと茶会に呼んでおいて、茶室に一輪のみ朝顔を生け、庭に咲いていた朝顔は全て切り落とした。と、あります、これも潔さ、利休の美意識の表現だったのでしょう。

わび茶にて椿の花を一番とするのも、椿は咲いたらぱっと散りますから、これも潔さの表現でしょうか。利休さんは、最期まで潔さや美意識を貫き通した人です。秀吉に切腹を命じられた時にも、詫びてしまえば済むものを、一切言い訳もしないで切腹して果てましたから。