土屋孝元のお洒落奇譚。お茶室にて、最近思う事。

(2010.11.02)

茶室にて正座をすると、体重が最近増えたのかな、とすぐにわかります。
てきめんに脚に痛みが来るからです。

白足袋を履き、正座をすると足袋の甲の部分の重なりが痛み出し……。
それは 足袋の縫目が甲にあたるためです。
足袋にもなんちゃってソックスのようなものもありますが、そこは見た目も大事なので我慢です。
正座を上手くするためには、自分の体重もきちんと管理し、できれば体重も軽くしたほうが良いようですね。

作法でも、水差を運ぶ点前では、重たい水差を軽く見せるようにといわれます。
重たいものは軽く、軽いものは重たく見せる。
茶杓などはゆっくりと扱う、濃茶の四方さばき時には、
特に袱紗の扱いもゆっくりと、そうする事で点前には、ほど良い緊張感が生まれます。
茶扇子にて結界を作り挨拶する、畳の縁は踏まない、能のようにすり足で歩く、
このような作法は、武士の所作にも通じます。

茶室にて きちんと所作を行うと、
座禅をしている時のような気持ちになり心が研ぎ澄まされる感じです。
茶杓を振り、茶を立てている時には無心の境地に入り、とても心地良いもので、
この時、亭主は客の顔を見ていません、気配で感じます。
その人のことを思い少し熱くとか、
ぬるめにとか、濃く立てるとか、
その場にて調整します。

唐津皮鯨茶碗と黒薩摩水差し。©Takayoshi Tsuchiya

正座はいつ頃からなのかと文献をあたったところ、
どうも利休は片膝立ちだったようです、
これは確かな文献ではないので正確には言えませんが、
後に江戸時代になり社会が安定してから今の正座が主流になったようです。
戦国までは胡座(あぐら)ですね、
利休は茶室や井戸茶碗など朝鮮半島の文化を「みたて」として取り入れていたようなので、
片膝立ちもそこからきたものでしょうか……。

茶室での 立ち振舞い、所作は、
亭主(茶会を主催する人)として茶懐石の料理や菓子器を出す時に、
両膝を揃えて正座を何回もしますから、(ゆっくりと行います。)
この両膝を揃えて座るのは意外に筋力を使い、
各客人の前で3人なら3回、5人なら5回、お膳を出すので、スクワットをするのと同じです。
昔の武士や茶人は下半身をそうとうに鍛えていたのだなと思います。

僕は 以前、夏に茶会を開き、一日で3kgから4kg痩せたことがあります、
きちんと水分補給していて、その状態でした。
茶事を開くことは相当な体力が必要なのだなと実感しました。

話を戻し、昔は自然に生活をしていく事で体が鍛えられたのでしょう。
畳を中心にした生活、水を汲むのも井戸から、歩いて何処へでも行く、
日本人の生活は、質素ながらも健康的なものだったようですね。

正座をする文化は日本以外には、あまりなく、前述の通り朝鮮半島にて片膝立ちの座り方があるくらいです。

ここでお茶の歴史を簡単に。もともとお茶は最初、日本には薬として入りました。
確か、記憶が正しければ、栄西により伝えられたと覚えています。

最近の研究によれば、弘仁6年(815年)嵯峨天皇の近江行幸の際に唐から着朝した梵釈寺の僧永忠が茶を煎じて献上したと記録があるようです。

その後、平安時代には一度廃れ、
鎌倉時代に入り禅宗と共に抹茶が広まり、
室町時代に村田珠光によりわび茶が始まり、
堺の武野紹鴎 その弟子利休により完成されたと。

茶は中国に由来し その時代により、だし茶、粉茶、煎茶、発酵茶(烏龍茶)と形を変えています。
中国全土に広まったのは唐時代、
陸羽(りくう)により書かれた『茶経』により文化にまで高められたようです。
この時代お茶は抹茶(粉茶)でした。

ヨーロッパへは日本の茶湯文化を伝え聞いたポルトガル人からオランダ東インド会社を経て、
イギリス東インド会社から伝わりました。
英蘭戦争以降イギリスがお茶の輸入独占権を得て、厦門(アモイ)から
半発酵茶「武夷茶(ぶいちゃ)」を輸入しこの茶の色が黒かったので、
以降ヨーロッパではブラックティーと呼ばれます。
ロシアへはモンゴルを経て伝わり、
レモンやジャムなどを入れる飲み方。(これはだし茶の入れ方に属します、茶に塩、ミルクやバターなどを入れるチベットや西域の飲み方です。)

信楽皿に主菓子、菓子切り。©Takayoshi Tsuchiya

茶の湯、茶道は利休以来独自の文化を作り、
徳川時代を経て、あの岩崎弥太郎や、益田鈍翁(ますだどんのう)など
明治期には財界人の好き者に好まれ、
現代に至ります。

岡倉天心先生によれば、鎖国にて日本の茶の湯文化が守られたと述べています。
中国では王朝が変わるたびにお茶文化も変化しました。

『茶経』により抹茶や道具の取り合わせが完成されたのに、
元朝になり廃れ、また明朝になり煎茶になります、
日本ではそのような事は無く、文化が継承されたと。

これは私感ですが、また、再び茶の湯文化が来ているように思います。