フィレンツェ下町に鎚打つ響き
伝統の技『イル・ブッセット』

(2011.09.30)

フィレンツェ、サンフレディアーノ街。
緩やかな時間が流れる職人街。

世界遺産都市フィレンツェには今も健在の職人街が幾つも残っている。映画『ハンニバル』にも登場した市庁舎ヴェッキオ宮の足下に広がるネリ街、フィレンツェ最古のヴェッキオ橋の対岸に広がる下町オルトラルノ、マザッチョの名画『楽園追放』で名高いカルミネ教会周辺のサンフレディアーノ街。こうした職人街は大抵、主要な教会近くの城下町ならぬ教区に広がっていることが多い。中でもサンタ・マリア・ノヴェッラ教会近くパラッツォーロ通りからスカラ通りにかけてのエリアには「Zona Botteghe=工房地域」との立て札があり、狭い通りには小さな工房が軒を連ねる現役バリバリの職人街なのである。

なにせこのエリアには1612年創業「世界一古くて美しい薬局」と呼ばれるサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局がある。修道院を前身とした美術館のようなこの薬局の周辺には家具修復工房や、時計工房、美術館の額物専門の金箔工房、貴族の家具修復などを専門とする家具工房などがあり、変わったところでは表札工房、贋作絵画専門工房、街路灯工房なども存在するのである。ルネサンス発祥の地とはいえ、21世紀の現代からしてみれば少々異質な、時に古くさく時に懐かしい、緩やかな時間が流れるエリアなのだ。

『イル・ブッセット』はそんな職人街にある小さな革製品専門工房である。店名は革職人が使う専用の小さな金鎚に由来する。パラッツォーロ通りを歩けば朝早くから職人たちがかなでる様々な音が聞こえて来るが『イル・ブッセット』店主ジュゼッペ・ファナーラが使うブッセットもそんな音のひとつ。もはや職人街には欠かせない風景の一部となっている。

美しいコインパース
「ポルタモネータ」

ジュゼッペ・ファナーラが得意とするのは滑らかな馬蹄形を描く美しいコインパース「ポルタモネータ」だ。元来イタリア人男性は札入れとは別にこのポルタモネータを持つのが粋とされ、バールなどにカフェを飲みに行く時、カウンターにひときわ目立つポルタモネータを置いて存在感を示すことは朝のカプチーノ同様欠かせない儀式なのである。ジュゼッペ・ファナーラは全て手作りでこの美しいカーブを作り出す。フィレンツェ近郊サンタ・クローチェ産の子牛の革をひとつひとつ切り出し、型にはめて成形する。

完成後は縫い目も接着跡も一切見えない、まさに職人芸と呼ぶにふさわしい高等技術を駆使ししてポルタモネータを作るのだ。珠玉という言葉があるが、コートのポケットに入れたこのポルタモネータをなぜていると、まさに掌中に玉を抱いているかのような感覚にとらわれる。それはダ・ヴィンチがとなえ、ルネサンス以来理屈でなく、感覚的に人間工学に基づいたデザインを作り出すイタリアの職人だからこそなせるわざ。無造作にポケットから取り出したポルタモネータがそっとテーブルやカウンターに置かれる時、周囲の空気まで一瞬変えてしまうような気になるのは決して大げさではない。

   


イル・ブッセット 
ポルタモネータ 10,500円
販売元:Rotonda SHOP
http://rotonda.shop-pro.jp/