光隠居とミヤビちゃんのちょっと聞けない日本の雅 -日本の常識 - ~その10 桃花初綻~

(2010.03.02)

春は名のみか風は少し冷たいが、何処となく草の香りが漂う弥生(3月)の朔の日(1日)、東京のベッドタウン月桜町のほぼ中央に位置する家では、普段閑として物音ひとつ無いこの町にあって、上へ下への大騒ぎだ。この家の主、白川光翁(しらかわひかるおう)は、この町が出来た20年前に都内台東区から区画整理をうけ夫婦で引っ越してきた、今年77の喜寿を迎えた品の良いおじいさん。先年妻を看取った。今は独居老人である。隣に住む中学生の少女ミヤビは、光翁のお気に入り。今日は東京から大工の老棟梁、横井がやって来て居て、何やら大ごとになっているご隠居の家の縁側から、楽しそうに家の中を眺めている……。

ミヤビ(以下ミ) 今年もご隠居ママ(亡妻)のお雛様を飾っているんだね~……。

光隠居(以下光) お~……。ミヤビ。学校は終わったのか? 

 ご隠居、ただいま~。

棟梁(以下棟) おっ! ミヤビちゃん! 子どもの頃から器量良しだと思っていたが、益々上品(じょうぼん)になってきやがる! 元気だったかい?

 棟梁! こんにちは。って言うか、キリョウヨシってどういう意味~?

 
と怪訝顔。
 

 こらこら、棟梁は綺麗になったって誉めてくれているんだよ。お礼を言いなさい。 
 
 あら!? それは棟梁、サッスガ見る目あるわね! ありがとう.

 
急に顔付を柔和にして、ウィンクする。 
 

 はははははは…… 。相変わらず現金な奴じゃな~。まあ、上がって菓子でもどうだ?

 はーい。失礼しま~っす。

 
と言って鞄を縁側に放り上げ、隠居の持ってきた草餅をほうばる。
 

 なんだい、折角誉めてやったのに、ミヤビちゃんは花より団子の口か~。

 棟梁も一服してください。この『福島庵』の草餅は、向島の『志゛満ん(じまん)』並みの美味しさ。さ~手を休めて一服してください。

 翁がそこまで仰るなら、一つよばれましょうか。御馳走になりやす。

 
っといって草餅を一つ手に取る。
 

 棟梁。家内のひな人形の御殿をこうやって組み立てて下さって、どの位になりますか?

 
と言いながら茶を勧める。
 

棟梁 内の先代に連れられて、根津のお嬢様の御屋敷に上がらせて頂いて、今年で六十年になりやす。

 
茶を一吸い喫して遠くを眺める。
 

 ろ~く~じゅう~ねん! 棟梁一体幾つなの~?

 
を喉に閊えさせながら、素っ頓狂な声で叫ぶ。
 
 
 こら! いつも物を口の中に入れて喋るんじゃ無いって言ってるだろ~…… 。お茶で飲み下しなさい。そうですか……。六十年ですか…… 。

 
ミヤビに茶を渡しながら、感慨深げな隠居。
 

棟梁 六十年でさ~…… 。今年数えで七十六になりやす。先代がこの御殿は別格だから精進潔斎して、人に任すなって言い残して逝ってから五十年、毎年前の日は四足を断ってこさえさせて頂いてます。

 ヨツアシ? って何?

 お肉の事さ。

棟梁 お雛様は子どもの穢れを祓う大切な呪物(まじもの)。それを据える御殿は、云わば神社の本殿と同じだと先代が申しましてね。先代なんぞは水垢離して居たのを覚えてやす。

 棟梁の云ってる事、呪文みたいで良く分からないけれど、隠居ママの事を大切に思ってくれているって事なんだよね…… 。 

 
嬉しそうのミヤビ。 

 

つづく