土屋孝元のお洒落奇譚。お茶において、組み合わせや見立てとは。

(2011.03.18)

地震と津波に遭われた方達へ

大変困難な事態ですが、
なんとか、立て直しましょう。

こころを一つに。

 

 

 

 

茶会において道具や花とは、
季節感をあまりにも外さなければ、
亭主の好みで選べば良いようです。
まあ、そうではないと言う方もいらっしゃることでしょうが……。

亭主として 自分なりの道具の組み合せを考えることは
大人の愉しみのひとつでもあります。
自分の経験で、今まで伺った茶席の例より、
まずは師匠の取り合わせからひとつ。

バレンタインデーの日にお稽古があり、
井上有一作「愛」の書の軸が掛けてあり、和みました。
堂々とした愛の字で半紙からはみ出すほどの勢いで、
表具ともマッチして優しい気持ちになりました。

また別の日のお稽古では、春らしく、
「はるのその くれないにほう もものはな
したてるみちに いでたつ乙女」
やさしいひらがなの井上有一の書。

これを見てどの様に文字を書いても良いのだなと、
井上有一を知らぬ人には、
子供のような下手なひらがなと見えますが、
いろいろと参考になりました。

また別の大寄せの茶会にては、
井上有一作「必死三昧」の書、
これは有一作らしい豪快なというか鬼気迫る勢いを感じさせる書で、
軸は阿曽さんが表具して、さすがと思うセンスの良さです。
浅葱色の裂地、丸表装、
書の勢いと合間って現代美術の作品のようでした。

またまた芸大の大先輩小川待子さん作の黄金茶碗、
形は高台無しの楽茶碗の様でもあり、
銘は「浅井(アザイ)」です。
まるで髑髏杯の様、信長の浅井、
朝倉攻めの故事を知らぬ人には、
まるで、ちんぷんかんぷんでしょうか。

先日の師匠の初釜茶会では、
雪尽しの趣向で、
雪輪文様の茶器、
良寛作「雪裏梅花椎一枝」軸、
熊谷守一の雪兎の絵、
額装は金箔に時代仕上げを施し、
マットの断面には、ペルシャ更紗の古切れを使ってありました。

僕は出席してはいないのですが、
聞いた話では、
師匠が開いたアフリカ茶会というのがあって、
アフリカの何処かの部族の金属製偶像、
これまたアフリカの部族のプリント生地、
食事も和食ではなく、
アフリカをイメージするカレー、
クスクスの食事会だったようです。

自分の例ですが、
僕が開いた夏の茶会では、
芸大の先輩、ガラス作家岩田ルリさんのガラス製サラダボール(花瓶?花器?)を水差しに見立て、
葉蓋手前にて薄茶を冷水で振る舞いました。

葉蓋手前とは、
代表的な例で簡単に言うと
蓮の葉を水差しの蓋にして涼しさを表現する手前です。

葉蓋手前とは、夏の時期、または、七夕の夕方に水差しの蓋に梶の葉を使い行う手前です。涼しさを表現したり、風炉を使わずに水立てにて薄茶を出すこともあります。梶の葉以外にも表面に艶のある大きな葉で桐、蓮、里芋、蕗、などで
代用することもあり、亭主の趣味趣向により世界が広がる手前です。 ©Takayoshi Tsuchiya

 

夏なので、
お湯ではなく水で立てるのも許されるようです。

まあ、正式には風炉に釜を掛け 沸かしたお湯でしょうね、
しかしながら夏の小間(四畳半以下の茶室)では、
かなりの暑さになり、
僕は釜を使わず水で立てても大変な状態で、
脱水症状になるかと
水屋に戻った時に冷水を飲みながら手前を続けました。
あとになれば良い思い出になります。

話は少し飛びますが、
利休に始まった侘び茶の精神は、
道具を見たてるということを行います。

例えば、
香炉や香合に作られたモノを、
蓋を誂え茶器や茶入に変えたり、
水差しではないモノを水差しに仕立てたり、
この例では信楽焼の鬼の水差しというモノがあります、

以前、お稽古で使い記憶していますが、
雑器というかバケツの様なもので
ちょうど植木鉢に穴がないモノです。
それに蓋を誂えて水差しとして使うのです。

究極は井戸茶碗でしょうか。

飯碗か雑器だったモノを茶道具として見立て、
利休の時代、
当時でもかなりの金額にて取引されていたといいます。

鬼の水差しとは、信楽焼で作られた、緒桶、緒煮桶などを茶人が蓋を誂え、
鬼桶と呼び、水差しに仕立てたものです。緒桶とは、糸を紡ぐ時に糸を入れた桶、
または、糸を煮た時に使った桶。正式には鬼桶水差しと呼びます。©Takayoshi Tsuchiya

この次期季節に限らず、
古染付の水差しを使いますが、
これなどは、
日本の茶人が中国へ発注して焼かせたモノだとか。

中国明朝にて制作されたのは
安土桃山から江戸初期までの
ほんの数十年間だけだったようです。
釉薬が粗く、
焼きの時に穴が空いたりする事が
当時の茶人達には、
景色として珍重され好まれたようです。

これなどは、不完全を良しとする、利休の侘び茶の精神の現れでしょうか。

話を戻し、
茶では、自分のセンスにて、
見立てたモノにて客をもてなす、
その為に料理、皿、菓子、軸、花入、
花、 茶杓、茶入、などに気を使い
自分で満足のいく組み合わせを揃えることではないでしょうか。

何も、高いものだけが良い訳ではありません。
おもてなしの心が大切ですね。

 

古染付の水差しとは、安土桃山時代から、江戸初期までに明朝末にて、
日本からの発注により制作された白磁に、藍で竹林や山水などの絵を染付けた
水差しの総称です。焼きが甘いので、蓋周りの仕上げや、
虫食いという表面の穴があり、それを当時の茶人達は景色として珍重した、
と言われています。今はなかなか手に入れにくく、本物は少ないようです。 ©Takayoshi Tsuchiya