光隠居とミヤビちゃんのちょっと聞けない日本の雅 -日本の常識 - ~その14 山霞薄紅靄~

(2010.04.02)

月桜町の住人白川光と隣家の女子中学生ミヤビは、春霞む日の午後、光翁宅の縁側で茶を喫しながら、ミヤビの将来について話をしていた。

光隠居 私が子どもの頃は、男子は親の跡を、女子は良妻賢母を目指す事が当たり前で、それと違う事をしようとした時は、一家の家長である父親がまず反対したものだよ。 

ミヤビ リョウサイケンボ? って、私の学校の校門にある石に書いてある、『良妻賢母』の事? 
 
光隠居 おうおう。そうだ、そうだ。ミヤビの学校は、校訓に『良妻賢母』を謳っていたな。
 
ミヤビ それってどんな意味なのか、全然解らないんだけど? いったいどんな意味があるの?
  
光隠居 結婚してよい奥さんになって、子供が生まれたなら素敵なお母さんになれって事さ。ミヤビのママみたいに成りなさいって事だよ。
 
ミヤビ なに? うちのママみたいに? 朝の護美出しと夕飯の後片付けはパパにしてもらって、勉強しなさい勉強しなさいって私に毎晩毎晩小言を言うママに成れって事? 冗談じゃないわ。私は真っ平御免です。私は、御隠居ママみたいに奇麗で優しくて何でも教えてくれる女性になりたいと思ったから、同じ学校に行ったのよ!   

光隠居 ご隠居ママはミヤビみたいな子どもこそ出来なかったが、ミヤビのママと変わらず、よく働いてよく小言も儂に言っていたぞ。現に、今一人で暮らして行けるのも、アイツが儂をよく躾けたからに他ならん。その学校に芸術科が存在するとは、思いもよらなんだわ。

ミヤビ 御隠居は芸術科に行くのは反対なの?  

光隠居 反対などせんよ。ただ、音楽を仕事にする事も、絵を描いてお金を稼ぐ事も、並大抵の努力では如何ともせん。ミヤビにその覚悟がある事に、感心していると言っただけじゃ。人には将来を選択する機会が沢山与えられている。高等学校に進むのも、将来を選択する手始めじゃ。何も芸術科に進んだから、絵描きや音楽家に成れとは誰も言わん。責任を自分で負える頃になった時、時にはご両親の反対を押し切ってでも進まなければ自分に嘘をつくと考えたなら、押し進むことも出てくるじゃろう。しかし、ミヤビはまだ中学生じゃ。学費だってお小遣いだって、御両親が出しておいでにある。だからご両親を納得させられないような選択は、少しだけ無理がある。 

ミヤビ やっぱり御隠居は反対なんじゃん!   

光隠居 反対などせん。寧ろ賛成じゃ。
 
ミヤビ 賛成な理由は?  

光隠居 私は昔、音楽の道を選ぼうとしたことがあった。ちょうど高等学校に進んだころだ。幸い、子供の頃からピアノを習わされていたし、親戚の叔父と叔母に音楽家も居た。オーケストラの指揮者にも憧れた。父は反対したが、母が協力してくれて、音楽学校に進めるよう手配もしてくれた。実際、音楽の稽古をしているうちに、途方も無い世界に首を突っ込んだと思った。毎日毎日練習曲を練習して、これでよし!  っと思ってレッスンに行くと、前にレッスンしていた奴の方が数段優れていた。 

ミヤビ 諦めたの?  

光隠居 諦めなかったよ。自分より素晴らしい演奏をした奴より、その何十倍もピアノをさらった。すると今度は目の前にいるピアノの先生が同じ曲を弾き、また打ちのめされた。だからもっと練習した。お陰で音楽学校に進学したが、それがスタート地点の前の段階だと思い知らされた……。   

 

つづく